〈歴史〉の未来
「擬似同期」的な歴史資料の展示形式
さて、本題に戻ろう。本稿の主題は、「歴史資料館」という存在の未来のあり方についてだった。では、そもそも「歴史資料館」とはいかなるものだろうか。ごく一般的なレベルで確認しておけば、それは「後世に語り継ぐべき歴史的事象を、後世になっても検証可能なように、できうる限り客観的な見地に立って(≒実証可能なかたちで)資料を収集・保存・提示する場所」といったところになるだろう。
ただし、上にも見てきたように、ある種の歴史資料館の特徴は、《客観的で大文字的な「歴史」の記述からは零れ落ちるほかない、パーソナルでミクロな出来事の記述を、歴史資料の一部として採用する》という点にある。だとするならば、今後歴史資料館の収集対象は、ウェブ上に膨大に存在する「パーソナルでミクロなテクスト」にまで拡張されることになるだろう。本文中でも示唆したように、つまりはSNSやケータイ小説(日記)のデータがそのまま歴史資料として保存されるようになるということだ。そのとき課題になるのは、例えばTwitterのように極めてリアルタイム性の強いテクストをどのように収蔵し、歴史資料として扱っていくべきかといった問題である。
また、もっと新たな歴史資料の展示形式も今後は生まれてくる可能性がある。Twitter上であらゆる事件がリアルタイムに実況されるようになるとすれば、映像と実況を組み合わせて、ちょうど前回・前々回と紹介してきた「ニコニコ動画」のような映像資料を作り出すことが可能になる。おそらく、それは次のようなものになるはずだ。
まず、ある事件の一部始終が記録された映像を用意する。その映像は、もともとのタイムライン(時間の流れ)が保持されていることが条件となる(つまり映像中の時間の流れが、実際の時間の流れとシンクロしている映像を用意する)。次に、その事件についてTwitter上でリアルタイムに実況されたテクストのログを、映像に重ね合わせ表示する。より正確にいえば、映像のタイムラインとTwitterの投稿ログをシンクロさせるかたちで、あたかもその場でリアルタイムにTwitterが投稿されたかのような状況を(筆者の言葉を使えば)「擬似同期」的に再現するというわけだ。
さらにいえば、今後「セカイカメラ」のようなAR(拡張現実)型のメディアやインフラが普及していけば、「歴史資料館」という場所に限られることなく、当の事件が起きたその場所で、歴史的事件を「擬似同期」的に体験しなおすことができるようになるのかもしれない。これはまだ筆者のジャストアイデアに過ぎないが、技術的には十分に実現可能であり、そう遠くない未来には実現してしまう可能性が高い。
はたしてそれらが「歴史」なるもののあり方にどのような影響を与えてしまうのか、いまから私たちは考えておく必要があるのではないだろうか。