キュレーターズノート
ミヤギフトシ「American Boyfriend: The Ocean View Resort」「New Message」、竹内公太「影を食う光/Sight Consuming Shadow」、「カゼイロノハナ──未来への対話」
住友文彦(アーツ前橋館長、キュレーター)
2014年01月15日号
対象美術館
たしか夏の終わりころだったと思うが、「あいちトリエンナーレ2013」が開幕して少し落ち着いた日常生活に戻りつつあるとき、自宅に届いた郵便物を一つひとつ開けていると「American Boyfriend」と書かれた封筒があった。
前にもこの連載で少し触れたように、毎日届く郵便物のほとんどは実際に足を運べない展覧会やイベントの案内だが、ご無沙汰している作家の近況やいま起きていることを知るうえで貴重な情報なので、仕事場よりも自宅でゆっくり時間をかけて見ることが多い。もちろん実際に足を運ぶために会期と会場を確認するわけだが、その封筒の中身には一切そういう情報がないことが妙に気になって気持ちが少しざわざわとしていた。取り出した紙には手紙でもない文章が綴られ、それは個人の記憶なのか、創作なのかも判別できないような内容だった。それと一篇の詩が記された小さな紙と、一部が破り取られた写真も同封されていた。見知らぬ誰かから送られてきた文章とイメージは、夏の終わりに心地よい想像をめぐらせる時間をくれたと思う。その後は、用途が判別不可能なため、他の郵便物とは分けて机に置いたままにしていた。数日経ったころに、そのなかに記されていたURL(http://americanboyfriend.com/)を入力して、画面に現われたブログを読んでみた。そして、ミヤギフトシという作家の名前をはじめて知った。
そのミヤギが個展を開催しているらしいと知って会場に出向いてみたのだが、正直言うと、郵便やウェブによるプロジェクトだけでもいいかもしれない、展覧会というお馴染みの形式で見ないほうがいいかなと心のどこかでは思っていた。だから、なにかのついでに寄れるくらいならと思っていたはずなのに、表参道にも恵比寿にも足を運んでしまっていた。ただ誤解のないようにお伝えしておきたいが、そうした好奇心を煽るための広報的な仕掛けとしてプロジェクトが機能しているわけではなく、文章と写真によって創作されたものが、印刷物や空間だけに定着されず、形式化された居場所を持たないまま宙づりになるという点で、郵便やウェブは彼の表現にふさわしい手段として選び取られているし、それは大きな意味を持っているとも思う。
送られてきた郵便物には流行のデザインが施されているとは言えない。しかし、過剰な方法ではなく必要なデザインと質感が選び取られて、ミヤギの感覚をかたちに丁寧に置き換えているように感じる。それが見る者の注意力を自然に引き出している。それと同様にミヤギは、やや昔の音楽や映画、割れたカップやタバコのような生活のなかに登場する些細なディテールに眼を向けながらイメージとテキストを作り出している。しかも、記憶や観察が文章と写真を柔らかく包み込むような仕草によって。ただし、それらが「誰の」記憶なのか、「誰が」見ているのか、は明瞭に判別できず、ゆっくりと進む電車の窓の光景のように過ぎ去っていくように感じられる。
展示を見たり、文章を読むうちに、彼が沖縄という出自に関わる歴史や政治に関心を寄せていることや、セクシュアルマイノリティであるということが次第に感じ取られる。そうした情報は、もちろん本当かどうかはわからないが、とりたてて大きな役割を持つわけでもなく、穏やかな眼差しが注がれる日常の些細な事柄の断片と一緒に並置されている。自らのアイデンティティについては事実であり、それ以外の回想はもしかしたらフィクションではないかと思いつつも、それらの境界は明確にならない。自己の殻を外側から固めてしまう属性を、身の回りの物や出来事をみつめる丁寧な観察力や描写力によって相対化しているように思える。それは、自分の感覚とは異なるところで決められているような約束事から逃れる自由さを獲得しているように感じられた。おそらく、これからも展示というあらかじめ決められたかのような形式を超えていく自由な場をつくりあげていくと期待していたい。
もうひとつ、竹内公太が福島県いわき市にある森美術館で発表した新作も、彼が福島で生活するなかで関わり続けている身近な対象に対して、とても丁寧に視線を向けることで、私たちが自然に持ってしまう固定的な解釈がずれていくような体験をするものだった。この展示の中心には、いわき市内のある劇場が取り壊されていく様子を撮影した映像を、かつてスクリーンがあった場所から鑑賞者が眺めることで、共同体の記憶をとどめている空間の解体作業の擬似的な当事者になるかのような作品が置かれていた。見方によっては、東北の沿岸部で無数に起きている解体作業を眺める体験にも感じられる。静かで染み入るような映像を見ている建物の外側では、実際に展示スペースの周辺で放射性物質の除染作業を行なう作業音が響いていた。この現実と作品が生み出す二重性は、偶然もあるにせよ、当然東京ではありえないことであり、作家があえてこの場所で展示をしたことの意味を感じ取れる体験だった。それと、私としてはもうひとつ別の作品で、彼が住む場所の周辺に点在する石碑を調査した作品がとても気になった。過去の戦争被害者や防潮堤の建設、炭鉱労働者の無縁仏の合祀など、さまざまな理由で建立されたいわき市内の石碑を竹内が調査し、そのことによってローカルな近代史の断片が浮かび上がっていた。しかも、そこに竹内は、おそらく私たちがなにを忘れているかという点を見出したのだと思う。それによって、近年増加する一方の電子記録メディアがなにを伝え、私たちを忘却の恐怖から救うのかという点を批判的に考えることをうながしていた。草むらのなかや、道路の脇に立つ石碑は、確かに普段誰も見ることはないかもしれないが、電子情報のように検索をかけたり再生機材を準備しなくても、そこにあり続ける。竹内は、ビデオを使って石碑の文から特定の文字を選んで撮影し、それらを組み合わせて別の言葉(「私は石碑ではない」)に置き換えるような操作を加える。彼はメディアの新旧をめぐる是非を問うわけではない。ただ、私たちがそうした論議の一方で、絶えず忘れ続けていることに気付かされる。
ミヤギも竹内も十分に手垢がつくくらい慣れ親しんだ対象(属性や石碑)を、あえて召喚し、自分の感性によって発見されたものを自由に並べていくことによって、対象を重さから解き放とうとする意志を感じる。自らの感覚に向き合い、それを丁寧になぞるためにイメージと言葉を使いこなしていることで、その軽さを獲得している点にとても共感できる。
ミヤギフトシ「American Boyfriend: The Ocean View Resort」
ミヤギフトシ「New Message」
竹内公太「影を食う光/Sight Consuming Shadow」
学芸員レポート
2013年10月26日にアーツ前橋が開館した。私は7月に非常勤の館長に就いたのだが、なんとか開館を迎えることができて安堵を覚えたところだが、これからの運営を考えるといろいろな課題がまだまだ積もっている。ここでそれらについて書いておきたい気もするのだが、今回は現在開催している開館展のことに絞って書こうと思っている。
この展覧会「カゼイロノハナ──未来への対話」に来てもらうと、大きく三つに分かれる場所で作品が見られる。ひとつは館内の展覧会、それと館内外に点在するコミッションワーク、それと、館外に広がる地域アートプロジェクトである。そのうち、館内の展覧会は前橋になんらかのかたちでゆかりのあるアーティストだけで構成している。このことを決めてから抱えることになった不安は、広報的なアピールに欠けることだ。開館という祝祭に相応しい、派手な知名度を持つ作家名や作品が見当たらないプレスリリースや案内を見て、マスメディアの人には「なにを取り上げていいかわからない」、一般の人にも「有名な作家の作品がない」と言われ続けた。しかし、私は美術館ができることのなかで、過去からの連続的な時間を未来へつなげていく役割を他にも増して重視する以上は、この地域と関わる作品だけで近代以降を振り返るような試みによって開館するべきだと考えた。そして、展示された作品を眺めながら、いまあらためてその思いを強く抱いている。かつて生糸によって栄えた街が、近代絵画や日本画の画家を支援し作品を残してきたこと。そうした作品の一部は市の収蔵作品となり、それらには戦争画や戦後の復興期の作品も含まれる。それから、前衛美術の運動が花開く時期があって、それを引き継ぐ活動も生まれた。さらに国際的な美術の動向に関わりながら現代の若手作家にも影響を与えた白川昌生、福田篤夫、柳健司らが、この地域で持続的な活動をしてきたこと。そうしたことがこの地域の美術に充実した厚みを与えてきたことを、幕を開けた展覧会を見て実感している。それぞれの作品や作家は、公募団体であったり、前衛グループであったり、固有の表現活動の舞台を持っている。それを個別に詳しく迫ることも重要でありながら、美術館や美術展がそれらを横断的に一緒に並べることは鑑賞する側から別の文脈や意味を与えていくことに他ならない。そこに、名声や権威によって光り輝く「色」はないかもしれないが、時代やメディアが異なる表現者たちの感性が響き渡る空間になれば新しい意味を生み出す。それは、言うまでもなく、西洋や東京を中心とした「美術」だけでなく、地域ごとに書かれうる複数の歴史が生み出す文化としての豊かさを感じることだと思う。歴史は唯一の正当性を築き上げるのではなく、逆に複数の視点から何度でも書き換えられていくことで新しい価値を生み出していき魅力を獲得する。群馬県美術会の会長をつとめた中村節也が描く独特の雲のかたちと色使いのように自然と向き合った近代絵画もあれば、その横では赤城山で蘚苔類の研究に没頭した角田金五郎のスケッチからカナイサワコが着想した小さな彫刻が会期中も増殖していく。この展覧会は「対話」というテーマによって構成されたが、それはまた当然別の視点でも構成されうる。これは、この地域の芸術を知るためのほんの始まりなのだという気がしている。
また、すでに見た人からの反応もいただいている。このartscapeでも福住廉のかなり詳細なレビューが掲載されている 。ほかにも、朝日新聞や東京新聞に長文のレビューが早い時期に掲載されたのはありがたかった。建築については、開館前に『新建築』や『日経アーキテクチュア』で取り上げられている。ほとんどの場合は、展覧会の会期終わり頃、あるいは終了後に反応が届くことのほうが多いので、作品を出している作家と同様に、企画者にとってもこうした反応が早くあることは本当にうれしいことである。作品や展覧会は、当然ながら報酬や名声のためでなく、まさしくこうした言説の網の目に置かれていくことを望んでいる。
すでに、新築ではなく商業施設を改装することによって街中に立地している点、美術以外の領域と展示作品が関わり合う点などがそれらで言及されている。そのときに活動コンセプトにも掲げた「対話」という設定については、例えば福住が指摘するように「対話」的な作品をあえて強調していない展示もある。ひとつは「戦争と震災」について展示している箇所である。これは、圧倒的に私が「知らない」立場であるゆえになんとか知ろうとする態度に終始し、対話的なやりとりに臨めていないのかもしれない。震災については、東日本大震災が発生したときに前橋に滞在してもらっていた照屋勇賢が提案したコミッションワークの空間がある。それは普段は見えない場所にある非常階段を、ガラス面によってあえて見えるようにした隠れ部屋のような空間である。木材でつくった仮設の階段によって、非常時の空間と手前の展示空間は連続しているように見える。来場者は、展覧会を見て回る途中で少し休んだり、静かに過ごせる部屋として使っていただいてもいいし、午後2時と4時の2回だけ、群馬交響楽団が震災後に行なったチャリティコンサートの録音(事務局長の挨拶や当時の各音楽ホールの活動状況、そして黙祷とバッハのアリア)が流れる。それも同じ内容が、非常階段がある向こう側で20分、その後観客がいる展示室側で20分、連続して流れる。その部屋で読んでもらうために、「非常時の芸術、非常時の美術館」をテーマに、照屋が絵と文章を、私が文章を書いて、編集者とデザイナーも交えて対話的な手法で制作した本もある。ぜひ、少しでも多くの人にゆっくりと過ごしてもらいたい空間である。
それと、前衛芸術についても同様に対話的な設定はない。しかし、これは積極的にNOMOグループという前衛集団が、金子英彦を中心に商店街や七夕祭りのような日常生活のなかに介入していくことを企図していたことを念頭に、館外で展開する地域アートプロジェクトとのあいだに何らかの照応関係が見出せるものと考えてもいいと思う。芸術を日常生活へ接近させる試みとして、前衛芸術と昨今の地域におけるアートプロジェクトの実践は類似する。数多実施されている後者について考えるうえで、前者から学びえることのひとつは、それが戦争に対する厳しい反省の側面を持つことである。つまりNOMOグループが目指したのは、「反芸術」という言葉が想起させる芸術の刷新ではなく、発達した科学技術を持ちながらも人を殺してしまう人間への深い懐疑と批判である。NOMOとは「Non Homosapiens」の略であるらしい。図録に掲載した拙文にも記したように、その際に芸術の専門家と一般の非専門家が一緒に協働する可能性や、権威や伝統ではなく人々の公共的な意識によって支えられる共有の場を創り出す点に、前衛から現代の地域アートプロジェクトに引き継がれている最良のものが見つかると考えられるのではないだろうか。かつて特定の場所(フロント=前衛)を占めていた芸術は約50年経ち、社会の日常生活において各所に広がっている。それは、個人の周辺や身の回りの出来事と関わり合うものへと場所を移してきている。どこか抽象的で普遍的な活動理念を掲げていたこの前衛芸術は、具体的で個別性の強いものになって、地域と関わりだしている。
アーツ前橋では、地域アートプロジェクトとして四つのプロジェクトを実施している。「マチリアルプロジェクト」では、空きスペースの再利用をしている。ひとつはアーツ桑町という登録団体による自主運営の試みで、ここでは打ち合わせやトークイベントのほかにも、DJの活動をしている人がはじめてサウンドインスタレーションを発表するなど、気軽さと実験性を持ち合わせる活動が生れている。また、閉鎖した銭湯では、伊藤存が採取したいろいろな生き物から形を作り出す作品と幸田千依が滞在中に出会った光と自然の風景を使い絵画作品を、ともに公開制作した。いまはすでに作品展示になっている。「きぬプロジェクト」では、西尾美也がいらなくなった服を回収し、自由に貸し出しをする「ファッションの図書館」を実施し、2014年の秋へ向けた活動をはじめている。「ダイニングプロジェクト」では、スペイン人のフェルナンド・ガルシア・ドリーが、この地域の料理を学びながら新旧の地元農家やイギリスでアーティストと農業を行なっているイギリス文化公益法人「グライズデール・アーツ」のディレクターなどを呼び、知識や経験の継承と市場をめぐる食の問題を話し合う場をつくった。また、増田拓史は「前橋食堂」と呼ぶ、一般の家庭料理を調査してレシピ化することで、普段は気付かない特徴の顕在化や失われていくかもしれない味を伝えるプロジェクトを行なっている。これは会期末にレシピ本の完成披露を予定している。最後に「ガーデニングプロジェクト」では、街中の空き地にEARTHSCAPEによる《メディカル・ハーブマン・カフェ・プロジェクト》が設置された。自生する薬草を人体の形に植えて育てるのだが、お茶を飲んだり押し花にする行為をとおして、自然を利用する知識や実践を消費行為から取り戻し共有するきっかけをつくっている。
そして、それらを結びつける鍵となるのはポスト前衛芸術運動の世代であり、国内ではフォーマリズム的な志向の強かった1980年代からローカルな自分の居場所をみつめることから表現を立ち上げる試みを実践してきた白川昌生のような人物ではないだろうか。かつての前衛芸術運動が乗り越えれなかった限界、そして昨今の地域型プロジェクトが陥る危険性、その両方を見据える歴史的かつ批評的な洞察を持ちうる作家だからだ。次回の展覧会はその白川の個展と、津上みゆき/狩野哲郎の二人展を3月に同時開催する予定である。