キュレーターズノート
群馬県立近代美術館「群馬の美術2017──地域社会における現代美術の居場所」、アーツ前橋「Art Meets 04 田幡浩一/三宅砂織」
住友文彦(アーツ前橋)
2017年05月15日号
群馬県立近代美術館で開催中の「群馬の美術2017──地域社会における現代美術の居場所」を見に行った。これまで何度も作品を見ている作家が数多く集まる展覧会になった。かつてギャラリーや美術館、アトリエなどで見た作品が別の姿になってひとつの展覧会に集まる。そうしたいくつもの集散の運動から生まれる筋を想像すれば、展覧会のかたちはけっしてひとつではあり得ず、つねにかりそめのかたちによって現われるようにも思える。捉えがたく変わり続ける意識の運動が重なり合う場所に展覧会は形づくられる。私はその重なり合いを楽しみに開幕を待っていた。
「群馬の美術2017──地域社会における現代美術の居場所」
まず、多少駆け足になるが、展示されている作品について概観しておこう。鮮やかな色合いのテキスタイルに意外な象徴的意味を与える寺村サチコと、色合いとしては対極的な白と黒の線に美しい渦のような曲線を与えるましもゆきは、外観の華麗さのなかに内面的な感情の襞を折り畳んでいるようで、隣接する展示が互いに響き合うように見えた。カナイサワコが白い布を複数垂らした奥に熊の髑髏を置き、架空の儀式や修験の空間をつくり上げたのは異界や自然を示すような手法において寺村とましもとは異なる。しかし、いずれも壊れそうなほど繊細な外観に比して想像の力が内側に強い圧力によって充満しているように感じられる作品であった。
村田峰紀は身体感覚を失いやすい特徴を持つ大きな展示室で、仮設壁を変則的に置くことで見る者との距離感を変える。あるいはパフォーマンスや設営のための手作業を痕跡として残すことで、大空間の一部を自分の身体が持つ感覚にたぐり寄せていた。
村上早と三輪洸旗が素材を扱う方法も触覚的な感覚を刺激する。村上の作品には、版画制作のための刻む、擦る、削る、といった行為が、大きなサイズの画面の上に独特のシンプルで不安定な線になって現われており、人や動物の体が繰り返し描かれている。平面と立体を両方展示していた三輪が構成した空間は、見る者が素材の質感を確かめながら見ているうちに独自の感覚を持つ世界へ引き込まれていく。
この見るという行為にあえて意識を向けさせるのが、みねおあやまぐちと小野田賢三がきわめて簡潔な形を少ない色数によって組み立てた作品である。自分の知覚と外界との関係を実験的に探るような作品は、近代に特有の再帰性という概念を思い起こさせる。それは伝統や共同体の外側に個人の領域を積極的に見いだすために、自分の知覚を純粋に追求するような表現である。
対照的に他者との不安定な関係性を題材にしていたのが、榎本浩子と大日向基子である。私的な日常の見逃してしまいそうな風景や言葉を切り取る榎本の作品は、映像や文字を空間の中に配置させる方法が断片的で、そのうえ廊下のような場所で作品を展示しているため、どこか居場所をみつけられない儚さが感じられた。大日向のパフォーマンスの映像記録は、特に年代が古いものほど身体と空間のあいだでバランスを模索するような実験的な色合いが強いものだったように思えるが、セクシュアリティやアイデンティティを凜と軸に据える点で榎本とは異なる他者との関係を見せている。
自らアートスペースを運営する八木隆行は仮設の展示室を出現させ、展覧会に別の作家を招き入れていた。併せて自分のプロジェクトも展示しているのだが、居場所を確保するという意思と技術をこれまでの「B3 Project」においてもこの展示においても実践していると言えるだろう。
居場所―場所は問題であり、問題は場所である。田畑信之、木暮伸也、喜多村徹雄、そして白川昌生は明確に場所そのものに目を向けていた。田畑は、同じ風景の中を繰り返し移動するなかで目撃した風景を写真の作品にする。もはや愛着を持つとも言えなくなった対象に向けて醒めた視線を向けているがゆえに、固有の場所がほかのどこかと連続しているような感覚をおぼえる。木暮は印画紙に焼き付けられたイメージに物質としての質感を与える作品をつくり続けており、火花や照明が明滅する光の中に写真を置いていた。あまりに脆弱で消えて無くなりそうな写真のなかに浮かび上がる風景には、この美術館の周辺にあって廃墟と化した建造物が含まれている。喜多村も同様に美術館が立地する場所に目を向け、そこにはかつて陸軍岩鼻火薬製造所があり、そこで火薬やダイナマイトの生産に携わり事故などで亡くなった人たちの数を指し示していた。その数え上げ、記憶することに含まれず、ほかにも存在したであろう無辜の死を想像しながら。
追悼碑を模した作品をめぐる問題
白川は、ホームセンターなどで容易に入手できる物で構成した彫刻作品やノボリを美術館の入り口に展示していた。そこにはもうひとつ、美術館がある県立公園群馬の森に設置された朝鮮人労働者の追悼碑の形を再現しそれを布で覆った作品が並んでいたが、残念ながら展覧会初日の朝に撤去されることになった。さまざまな感性の働きと作品の制作、そして展覧会を実現させる力学から生まれる集散の運動から、なぜこの作品が排除されたのか。群馬県は碑の設置許可の更新を巡って市民団体と係争中で、同館は「どちらか一方に偏るような展示は適当でないと判断した」とその理由を説明している(上毛新聞4月23日より)。
この追悼碑は2004年に建立され今なお建っているが、碑の前で行なわれた追悼集会で政治的な活動があったという批判が群馬県に寄せられ、2014年の設置更新申請を県は不許可とした。それに対して「追悼碑を守る会」が県を提訴し、裁判で存廃が争われている。
以前に原宿で展示されていた同作品には、小さなモニターに同じ敷地内にある追悼碑と銘文の映像が映し出されているが、それは大きな公園の一角に存在する碑を淡々と紹介していた。追悼碑は公園のかなり奥まった場所にあり、正面に「記憶 反省 そして友好」と日本語とハングル、英語で表記がある。また、追悼碑は単体であるのではなく、そばには財団法人群馬県アイバンクが献眼者(角膜提供者)への感謝の意を込めて建てた顕彰碑もある。
追悼碑には次のような文章が刻まれている。「20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦のさなか、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。[改行]21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちのおもいを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである」。
この公園には、群馬県立近代美術館と群馬県立歴史博物館があり、喜多村や木暮の作品が伝えるような戦争の記憶が深く刻まれた場所である。じつは文化施設が負の過去を持つ場所に建設されることは珍しいことではない。土地を民間に売却して、その記憶が忘れ去られるのではなく、むしろ自治体がその土地を所有して維持するほうが望ましいと言える。公園は、憩いの場だけでなく、呼び名のなかに「公」の字を持つ。公立美術館の「公」も同様に、それは公共性を保持することを意味する。その意味をいま一度考えてみる必要がありそうだ。例えば、この追悼碑に共感する者もいれば、反感をおぼえる者もいる、そうした異なる考えが共存しているのが私たちの社会である。それに対し「公」を、行政や為政者の意志と見なす傾向がある。しかし、けっして皆同一ではない価値観の一方が排除されず共存することが公共性という概念が本来指し示すものである。
ちなみに、しばしば共同体と公共性を取り違える議論がある。前者は同一の価値観を共有する者が構成し、それを公共性とみなすのは間違いである。美術館や博物館においてもこうした取り違いが起こりえる。単一の価値観に集約されず、人によって異なる感じ方を表現する手段として芸術表現は大きな役割を果たしてきた。しかも、失われつつあるものの姿をなんとか残そうとするのは、芸術の原初的な働きとも言える。それゆえに人の数だけ違いも形づくられるが、その感性のあり方の複数性を保持するのは簡単なことではない。多くの美術館で、すでにマジョリティに認められた価値観に追随する例は認められるし、少ない専門職員でその複数性をカバーできる範囲は限られている。
横の関係によって築かれる公共性
今回の作品撤去をめぐってどんな判断過程があったのか、いろいろな意見が寄せられているのを目にするが、美術館の現場に働いている力作用の複雑さを思い描く意見は残念ながら少なかったように思える。ここ数年続く類似の例において寄せられてきた意見でも、「表現の自由」を優先するべきという論調が、対話的な柔軟性を欠く勇ましい響きを持つことが多かった。SNSによる性急な意見のやりとり、同じ価値観を持つ者だけで共鳴しあうこと、そしてマスコミの正義心溢れる報道も、自由のための交渉の現場を励ますどころか、かえって委縮させたり、分断を招く結果になりかねない。
「表現の自由」は理念が与える抽象的なものではなく、実践によって獲得する政治的なものである。そのために芸術関係者であれば作品や展示の詳細を分析してほしいし、文化行政関係者であれば美術館の統治について、メディア研究者であれば批評の不在やSNSの問題を分析し、新聞社は批評の場を自社事業に明け渡していることを自省することで、ようやく問題が立体的に浮かび上がる。評論家の小倉利丸がブログで本件に触れた文章はそのなかでも簡潔にして説得力あるものだ。特に美術館が「図書館の自由に関する宣言」に類するものを持っていないことは関係者の怠惰と言えないだろうか。
この件で非難の声を挙げている人はみな構造的にこうした事態を招いている当事者でもある。大学の研究者やジャーナリストたちにも、行政も含めた、自らと異なる見解を持つかもしれない者への働きかけが求められている。県の職員がこのような性急な判断をする事態は、会社や学校などこの国のさまざまな組織で起きていることとどう関係しているのか。こうした奥行きのある報道や批評が日常的に積み重ねられてこそ、最前線の現場でもしっかり検討を重ねるための落ち着きを持てる。
そのために、設置者と公立文化施設、あるいは研究者/マスメディアと行政/文化施設は縦の関係でなく、お互いに困難なことを解決していくための横の関係になるべきだろう。公共性とはまさしく縦の関係ではなく、横の関係によって築かれるものである。
白川昌生のアーティスティック・リサーチ
再び場所の話題に話を戻すと、白川は1993年に「場所・群馬」という宣言をしている。4月30日に行なわれた同展の関連トークで当時の話が語られたが、白川は前橋市内の臨江閣という明治時代の木造の建物を建設した関係者の名前を列挙した作品のことにも触れていた。また、地元の近代史から国定忠治と萩原朔太郎を結びつけた物語「駅家の木馬」のアートプロジェクトも同じだが、彼は地域の固有性を作品として取り上げることも長年実践している。これらは保守的な立場からの地域振興とも親和性が高いように見える。その点を詳しく書く余裕はここではないが、表現の場所を地域社会に求めることは、前述した異なる見方が錯綜する複雑な現実のなかに身を置くことであり、単純な「地域おこし」批判を圧倒的に凌駕する交渉が必要となる。
これらのアートプロジェクトは共同体の歴史でありながらも、忘れ去られたものや排除されたものを呼び戻す公共性を帯びた歴史の描き方である。これは郷土史家や文学者の仕事にも近く、社会の調査や分析をもとに表現活動が行なわれるのは近年国内外で顕著に見られる動向でもある。かつての前衛芸術運動のように社会を啓蒙的に批判する縦の関係ではなく、現代のアーティストは社会の問題を解きほぐすことやそこに関心を向けさせることで横の関係をつくりあげようとする。こうしたアーティスティック・リサーチの過程には非芸術家も多く参加し、科学や政治の実践とは異なり、人の感性へ働きかけを行なう方法によって社会と関わる。こうした近年の動向には、アーティストの実践が社会において実際に機能することを強く求める動きもある。白川のアーティスティック・リサーチは、かつての前衛芸術と有用性を求める芸術運動のおそらく中間くらいに位置する。もとの追悼碑はひとつの目的を明確に掲げているが、白川が追悼碑を模した作品は目的や有用性を先送りにして、関心を持っていなかった他者を引き寄せることを意図している。私が今回の一件について、白川の作品を知る者として付け加えておきたいのはこの点である。
最後に、こうした作品の撤去をめぐる問題や先の地方創生担当相の発言が続くことで美術館の学芸員の仕事はとても困難なものだという認識が増しているかもしれないが、実際にはこうした複数の考えを織り合わせ、まさに公共なるものを実現させることができる貴重な実践の場であることは間違いないと書き添えておきたい。
群馬の美術2017──地域社会における現代美術の居場所
会期:2017年4月22日〜6月25日
会場:群馬県立近代美術館
群馬県高崎市綿貫町992-1 群馬の森公園内/Tel. 027-346-5560
学芸員レポート
前回報告した加藤アキラの個展に続けて、当館で同時開催している「Art Meets 04 田幡浩一/三宅砂織」について書く。けっして大きくない展示室だが、それぞれが試みてきた表現手法がよく伝わる構成になっているのではないかと思う。田幡は4つ、三宅が2つの似ているが異なる手法を用いたシリーズを並べていて、それらを並べて見ることで二人の作家が何に関心を向けてきたのかを浮かび上がらせている。
田幡浩一
田幡浩一は、これまで一貫して静謐な画を用いた映像的な表現を試みてきた。72色の色鉛筆で順番に同じ鳥の絵を描いた《72 colour (birds)》では、異なる色の鳥が一枚ずつ現われては消えていく。少しずつ形がズレていくアニメーションのような動きが生じるわけではない。わずかな筆跡の違いや、色の彩度や明度だけが変化していく。しかし、そこに私たちは鳥の微かな動きを感じ取ることもできるし、固有の色を剝奪された鳥の姿かたちがじわっと現われるのに見入ることもできる。同じ絵が反復される運動を見つめるだけでもそのリズムや色の明滅は見ることの快楽を与えてくれる。あるものが別のものへとかたちの変化を遂げるのではなく、ただ光の反射が変わっていくだけなのにそのイメージに私たちの脳は反応する。これと同じく、白鉛筆だけで描かれた絵のシリーズは、何も画面に描かれていないように思えるので自分の視点を動かして凝視するうちに、ある角度から描かれている像が発見できることに気づく。この体験は、眼で見ているあらゆるものが光に照らされることではじめて見えている事実を再確認させる。むしろ自分が動くことで見えてくるため、「見る」ことに主体的に関与することを促している。
ほか2つのシリーズ作品では、はじめに画用紙を切断してずらしたうえでそこに静止画を描き、そのあと紙をもとの位置に戻す、あるいはかたちを解体させて少しずつずらしている。静止している画像の線を少しずつずらして動きを生み出すアニメーションは、私たちの知覚を一定の時間の運動に従わせる。つまり、その運動に知覚を委ねる。しかし、田幡が描く静かな線は私たちが眺め、その線を眼で追う行為によってはじめて運動が生じる。しかし、彼は人間がイメージをつくりあげる主体となることに関心を向けているわけではおそらくない。私たちの眼には明らかに「見えている」と思える対象を正確に描写し再現したあとで、それらがどのような条件の下で眺められているのかを検証している。かたちや光が一定の条件のときに、人間は対象を同定できる。それを少しずつずらしたり、解体したり、明滅させることで私たちが対象を捉えられなくなる瞬間に関心を向けているのではないだろうか。その境界の向こう側には、私たちに眺められていなくても存在する世界が広がっている。
三宅砂織
三宅砂織は、過去の一瞬を切り取る写真をいったん透明なフィルムに描き、再び写真の印画紙に定着させる方法で作品を制作している。もとになっているイメージは自分で撮影したり、蚤の市などで集めた写真である。家族や友人の肖像、あるいはどこにでもありそうな風景の一部。それらを引用して作品に取り込む際に、彼女はイメージ素材として透明なフィルムに直接描き直すのである。すでに喪失した(であろう)イメージを再び絵筆でなぞる行為が独特の質感を生み出している。さらにビーズなど光を透過する物を置いてみたり、複数の要素が印画紙の上に集積されて作品ができあがっている。鑑賞者が目にする印画紙は絵具の物質感を欠いた平坦な画面であるにも関わらず、三宅が手で描いた線の痕跡は光によって画面に定着しある種の情緒感を漂わせている。
もうひとつまとめて展示したのは、同じ手法で一枚の写真だけを素材とした作品シリーズである。いくつかの要素が混在するのではなく、過去の撮影された風景がそのまま切り取られることで、用いる手法そのものに焦点があてられている。つまり、写真から絵画へ、そして再び写真へと転換される過程が作品の中心に置かれる。しかし、大きさも違ういくつかのフィルムを重ねてひとつの画面を構成する点は同じで、フィルムの縁が四角い線となって残されるので、滑らかに統一されたひとつの画面にはなっていない。遠目で見るときには気づきづらいが、作品に接近すると見えてくるフィルムの存在は、もとになるイメージに物質的な印象を与える。一枚の写真をわざわざ任意に分割し、各部分をフィルムに描く段階で、遠い過去の、あるいは他者の記憶を三宅はいったん自分の手の中に確保する。その身体的な経験を物質としての形に置き換えているのが、作品に刻まれたいくつかの四角い線なのではないだろうか。
二人はそれぞれ映像と絵画、写真と絵画のように、メディアへの強い意識を隠さない。メディアの特徴を理解し、独自の方法で使いこなそうとしている。しかも、その知りえた特徴を追及するのではなく、むしろ別の使い方に横滑りさせていく。つまり、私たちが慣れ親しんでいるメディアとの接し方とは違う見方を求めてくるのである。その際に問題になるのは、描かれている主題ではなく、むしろ見ている私たちのほうである。私たちの向き合い方次第では、今見えているものも同じ姿ではなく、別の見え方をするのかもしれない。田幡も三宅も見ることとそれを再現することに強い意識を向けた結果、〈存在の複数性〉へ関心を向けていく。それは見ているものの違いを肯定する点に大きな希望があるのではないだろうか。
Art Meets 04 田幡浩一/三宅砂織
会期:2017年3月18日〜5月30日
会場:アーツ前橋
群馬県前橋市千代田町5-1-16/Tel. 027-230-1144