2018年12月15日号
次回1月15日更新予定

キュレーターズノート

いまここでしか見ることのできない展覧会をつくる
──学芸員としての35年を振り返って

川浪千鶴(高知県立美術館)

2018年04月01日号

私が福岡県立美術館から高知県立美術館に移籍したのは、2011年の7月。今年の3月末に約7年間の任期が終了する。美術館の学芸員を都合35年以上続けたことになる。好きなことを仕事にできてうらやましいとよく言われるが、好きだけではこうも長くは続けられなかっただろう。とはいえ、飽きずに歩んできた道のりを振り返ってみれば、それが美術と美術館の魅力を説明することにつながるかもしれない。

1980年代に福岡県立美術館に採用された私には、「地域と人々に育てられた学芸員」という自負がある。福岡という都市空間とそこで展開されたアートシーンの賑わいは、90年から2000年にかけて目を見張るものがあった。公立美術館や民間組織の垣根を越えたプロジェクトなどを通じて学び、影響を受けたのは、アーティストたちの未来を見据える力であり、その可能性を信じ、つなぎ手として奔走する美術関係者の態度だ。そして、アートとの思いがけない出合いから、新たな夢や希望を自ら紡ぎ始める鑑賞者や参加者の存在である。地域に根ざし、地域と共に生きる美術館として、「人」が主役になる現場をつくりたいとこの頃に思ったことは、いまも変わらず私を支えてくれている。

福岡県立美術館の時代が、美術館の活動を水平方向へ「拡げる」ことに関心が強かったとすれば、高知県立美術館に勤務した7年間では、コレクションを地域の文化資源として活用するために、垂直方向に「深める」活動を軸にしてきたといえる。

その理由としては、私が高知に移籍した2011年に東日本大震災と福島第一原発事故が起きたことが大きい。文化を受け継ぎ、守り伝える施設のひとつとして、美術館が地域資源の再評価に真摯に向き合うことの重要性を痛感させられた。そしてなにより、高知県立美術館のコレクションや高知ゆかりのアーティストたちの作品が素晴らしかったことに尽きる。

マルク・シャガールの油彩画や版画、石元泰博の写真の二大コレクション以外にも、美術館や地域には、日本画、洋画、版画、前衛美術などの領域毎に、独創的なアーティストたちが幕末から現代にかけて制作した作品が多数あり、その質と量は日本だけでなく海外にも誇ることができる。東京ではなく、いま高知にわざわざ足を運ばねばけっして見ることができない、唯一無二の展覧会が実現できるという確信を私に与えてくれた。

本コラム担当の最後にあたり、高知県立美術館在任中に開催した企画展から4本を取り上げ、地域文化と展覧会の関係について小考してみたい。

地域に生きる絵金文化

私が高知の文化としっかり向き合った最初の展覧会は、「絵師・金蔵生誕200年記念 大絵金展 極彩の闇」(2012年10月28日〜12月16日)。

着任早々、初めての宵宮の絵金祭りを見るために、赤岡町に連れて行ってもらったことをよく覚えている。蝋燭の灯りに浮かび上がる芝居絵屏風の生々しさと迫力にまず目を奪われたが、芝居絵屏風のある夏祭りの風景が地域の人々の手で長年にわたり大切に守り伝えられていること、絵金作品が「生きた」文化財であることに感銘を受けた。

絵金とその弟子たちの貴重な作品を一堂に並べ、絵金と祭礼文化を総合的に顕彰するという展覧会の骨格はすでにできあがっていた。途中参加の私は、以後学芸課では展覧会の総合計画やマネジメントを担当し、本展においては絵金文化の豊かさをより多くの人にさまざまな手段で味わってもらうことに注力した。

県内各地の祭礼を案内した『絵金ガイドブック』を制作し夏祭りの時期に事前広報物として配布したり、「秋の絵金祭り」として灯明祭りを美術館の開館記念日(11月3日)に開催するなど多種の普及活動を行なったが、なかでも、展覧会カタログを『絵金 極彩の闇』と題し書籍出版したことは大きな成果を生んだ。作品図版や解説、論文以外に、撮り下ろしの祭礼写真や絵の具や紙を分析した科学調査コラムなども掲載し、バイリンガル化も実現。本書は、絵金文化を紹介する基本図書に位置づけられ、その年の「優秀カタログ賞」に選ばれた。増刷も行ない、国内外を問わず広く絵金ファンを増やすことに現在も貢献している。

地域文化の価値を磨き上げ、資源化するためには、継続性が保証される、自前の有効なメディアを持つことが重要だと学んだ展覧会だった。




郷土作家としての正延正俊

画家・正延正俊の初回顧展「没後20年 具体の画家 正延正俊」(2015年8月9日〜9月28日)は、兵庫県の西宮市大谷記念美術館との共同企画だった。

高知県須崎市出身の正延は、今や「世界の具体」といわれるほど人気が高い前衛美術グループ「具体美術協会」に長く所属していたことで知られている。しかし、西宮市大谷記念美術館との最初の打ち合わせ会議で、正延を有名な具体作家としてだけではなく、高知と西宮、二つの地域の郷土作家として誠実に検証し評価すること、それが両館の使命であると確認しあい、展覧会の方針としたことは、きわめて重要だったと思っている。

正延が生まれ20代を過ごし、絵画の基礎を学んだ場所が高知なら、西宮は教員として働きながら、最期の瞬間まで自身の創作に向きあった場所。画家人生を支えたものとは何だったのか。いつ美術に目覚め、どんな人たちと交流し、何を学び、何を考え、どんなこだわりを持って制作し続けたのか。作家の軌跡を丁寧にたどっていく作業は、地域に立脚した郷土の美術館が責任を持つべき仕事といえる。

展覧会準備を通じて信頼を深めたご遺族からは、のちに第5回県展(1951)の特選受賞作など代表作品5点をご寄贈いただいた。展覧会を通じた縁で収蔵された新たなコレクションとカタログは、今後さらなる出会いや発見を生み出してくれるだろう。こうして展覧会と地域文化の関係は循環し発展していく。




高﨑元尚展と岡上淑子展は続く

先にあげた展覧会はどちらも物故作家が対象だったが、最後に二人の現存作家(高﨑氏は展覧会開幕から1週間後にご逝去された)の展覧会をご紹介したい。94歳の前衛美術家・高﨑氏と90歳のコラージュ作家・岡上氏、最年長の高知在住作家による、どちらも高知県立美術館での初個展。お元気なうちにそれぞれの個展を開催することが、高知における私のプライベート・ミッションのひとつだったので、担当学芸員たちの尽力で夢が叶い感無量の思いだ。





高﨑元尚《COLLAPSE》(2017)






上=岡上淑子《彷徨》(1956)© Okanoue Toshiko, Wandering 高知県立美術館蔵
左=岡上淑子《沈黙の奇跡》(1952)© Okanoue Toshiko, The Miracle of Silence 東京都写真美術館蔵
右=岡上淑子《口づけ》(1953)© Okanoue Toshiko, Kiss 高知県立美術館蔵


「高﨑元尚新作展 —破壊 COLLAPSE—」(2017年6月17日〜7月23日)では、入院中だった作家から指示を受けながら、展示室に圧倒的な規模の、新作かつ最後のインスタレーションを出現させた。「岡上淑子コラージュ展—はるかな旅」(2018年1月20日〜3月25日)では、1950年代の7年間に集中して制作された、世界的にも類例のない、奇跡のようなフォト・コラージュ作品を展観する初回顧展を実現させた。

どちらも、いまここ、高知でしか見ることのできない唯一無二の展覧会として人気を博し、郷土の美術館が地域美術の再評価に真摯に向き合った例として、終了後も高い評価を受けている。

高﨑展は展覧会後に、美しい作品写真と詳細な年譜を掲載した記録集を発行。岡上展は、今回展示できなかった海外作品まで網羅した、念願の『岡上淑子全作品』集を河出書房新社から刊行した。どちらのカタログにも、これまで知られていなかった作家の活動履歴や資料、関連情報がぎっしりと詰まっており、カタログはもうひとつの展覧会だという意を改めて強くしている。そして、ひとつの展覧会の終わりは、新たな展覧会の始まりだということも。

いつの時代においても、自分自身を再発見する旅に誘ってくれるアートと美術館は欠かすことができない。定年という区切りを3月末に迎え、高知から福岡に戻るとはいえ、地域とアートと美術館をめぐる、私の「はるかな旅」はこれからも続いていく。




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