キュレーターズノート

現代日本文化のグローバルな交渉──小沢剛について

住友文彦

2011年01月15日号

 前回の寄稿以降は、自分自身が参加したり、あるいは企画するレクチャーやシンポジウムが多かったため、展覧会を見に行く時間をあまり確保できていなかった気がする。そうしたなかで参加した学会誌『表象』のための共同討議「現代日本文化のグローバルな交渉」(2011年4月刊行予定の『表象』第5号に掲載予定)の前後で考えたことがあった。

 議論に参加したのは、美術以外に演劇、マンガ、映画等幅広い分野の研究者であり、一般的にアニメやマンガ等の「コンテンツ産業」を中心に海外における日本文化への関心が高まっていると言われる状況をきっかけに、その受容と理解について実際に流通や交渉の現場を知っている者同士で領域横断的に検討するのが主眼だった。典型的な語りが増殖しがちなテーマだけに、現場で起きている瑣末と思われてしまうような出来事のなかから新しく議論を掘り起こしていく努力を続けていければ、同時代の文化交渉の現場にとっても有益なのではないだろうかと感じた。相互の伝達メディアや制度の違いが多いなかでどれだけ噛み合った議論ができたかは成果を一読していただくしかないが、そこでは突っ込んで触れられないまま、そのテーマとの関連において興味深いと思われた小沢剛の仕事について少し考えたことがある。

 前回紹介したメディアシティソウル2010」、それから「あいちトリエンナーレ2010」において、これまでの「西京人」プロジェクトがかなり展示された。また、私は伺えなかったが府中市美術館の公開制作として「できるかな2010」も昨年11月まで行なわれていた。
 このふたつのプロジェクトに共通しているコミカルさは小沢の特徴として目につく。誰もがよく知っている対象(東アジアの都市、「ノッポさん」)を取り上げて、そこから想像できることを作家自身が実践してみるときに、人々が持つ記憶や理想と実際の行為のあいだに生じるずれが笑いを誘う。そこには、国家とか、ものづくりとかについて、実直とも、アナーキーとも言ってもいいような作家自身の問いかけが感じられる。しかし、この誰もが作品に関心を持ちやすいわかりやすさは、欧米中心の美術批評においては表面的にしか受け止められない可能性がある。しかも、森村泰昌の女優や泰西名画のシリーズであれば、絵画や写真という表現形式を問う要素がまだ残存していたが、小沢にはすでにない。おそらく、もっとも欧米の美術界に評価されやすいのは《ベジタブル・ウェポン》のシリーズではないだろうか。女性と暴力という主題があって、しかも写真という表現形式に集約させることができる作品である。


西京人(チェン・シャオション、ギムホンソック、小沢剛)《第3章: ようこそ西京/西京オリンピック(部分)》2008
Xijing Men (Ozawa Tsuyoshi, Chen Shaoxiong, Gimhongsok), Chapter 3: Welcome to Xijing: Xijing Olympic, 2008.


小沢剛《ワンマングループショウ2—岡本六太郎「できるかな2004」》2004
Tsuyoshi Ozawa, One-man Group Show 2: Rokutaro Okamoto "DEKIRUKANA 2004 (Can you do it ?)", 2004.


小沢剛《ベジタブル・ウェポン—筑前煮/京都》2008
Tsuyoshi Ozawa, Vegetable Weapon: Chikuzenni (Simmered vegetables with chicken) / Kyoto, 2008.

 美術作品の受容と理解を言語的に行なう傾向が強い欧米の美術に対して、それを回避、あるいは拒否して、良くてフォーマリスティックな作品、下手すれば工芸やデザインとも変わらない表現をするか、開き直って「日本的な」作品を追求する作家が目につくという状況が、現代美術における「グローバルな交渉」の現場で起きていることである。
 確かに、小沢の《なすび画廊》や《醤油画》などのプロジェクトは「日本的な」問題を取り扱っているように見えるが、それはひとつ上の世代の「対西洋」意識よりも脱力していて、自分の生活する土地固有の問題に眼を向け、それらを肯定するのでも否定するのでもなく自己を相対化するような態度から制作されている。そのため、多文化主義的な1990年代以降の美術批評に合致する見方も可能である。非欧米圏の美術に注目した重要な展覧会だった「移動する都市(Cities on the Move)」展(分離派館[ウィーン]ほか、1997)と「緯度が形になるとき(How Latitudes Become Forms)」(ウォーカーアートセンター[ミネアポリス]、2003)の双方に小沢は参加している事実がそれを証明している。
 こうした動向は、作品の主題や作者の属性をもとに地域的な拡充だけを取り上げてしまえば、植民地主義的な欧米中心の美術の再生産にしか見えないだろう。しかし、もっと重視しなければならないのはこの地殻変動によって、かろうじて延命してきた形式主義的な近代美術の流れから、現代美術が完全に決別したことだろう。つまり、同質的な文化共同体のなかで共有されてきた宗教画や歴史画などとは違った、異文化を背景に持つ者同士でも共有できる「美術」のための表現形式を近代芸術は追求してきたが、そこからもっと人々の生と結びつく表現を模索する潮流がより強くなってきていることのほうが重要だと思う。この潮流についての詳細は、私が重要だと思われる論文を挙げ、編集委員の加治屋健司が選んだそれらの翻訳文が、共同討議が掲載される『表象』誌上に同時に載ることになるのでぜひ参照してもらいたい。
 したがって、小沢剛は生活のなかで感じ取る個人的な問題を歴史や芸術といった普遍的な主題と結びつけるときに、表現の形式に向かわずに、同時代の世界に対してどのような問いかけをするのかを明確に示すことができる点で評価され、「グローバルな交渉」の現場に取り上げられているとみなすべきである。これはおそらく他の多くの「日本的なもの」を扱う現代美術作家と大きく違うところである。
 さらに前述した欧米の美術批評の眼になかなか理解されないと思われる小沢剛の作品の特徴は、表現者の自己同一性を攪乱するような部分ではないだろうか。岡本太郎を題材に「ワンマングループショウ」という論理的に矛盾する方法の展覧会を行ない、ギム・ホンソック、チェン・シャオションとの共同制作である「西京人」名義の作品を発表する小沢について、アーティストは独自な表現をする個人であると考えるととらえどころがなくなる。したがって、それらは欧米で受容されるときにあくまでユーモアでとどまることで、存在論的な問いかけが回避されていないだろうか。
 異なる文化間の交渉において、いっぽうの文化にとって根深い制度的批評の可能性が、このように明確に自覚されずに表面的なエキゾチシズムやユーモアに回収される例は数多くあるだろう。こうした課題を丁寧に説明していき、グローバルな現場で理論的な交渉を展開させることは、おそらくアーティストや作品が表現の可能性を押し広げていく助けになる。この課題は緊急のものなのではないだろうか。