2018年02月15日号
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アート・アーカイブ探求

菱川師宣《見返り美人図》江戸美人の存在感と生命感──「田沢裕賀」

影山幸一

2014年01月15日号

作品をつなぐ線

 田沢氏は、3月に東京国立博物館で開催される「特別展 開山・栄西禅師800年遠忌 栄西と建仁寺」(2014.3.25〜5.18)の準備に大忙しであった。俵屋宗達筆の国宝《風神雷神図屏風》(建仁寺蔵)と尾形光琳筆の重文《風神雷神図屏風》(東京国立博物館蔵)が6年ぶりに同時公開となる。
 日本近世美術史を専門としている田沢氏は、1960年青森県弘前市に生まれ、城下町に育った。古い文化に関心をもち、特にねぷたの絵に興味が湧いて浮世絵にも関心をもったと言う祭り好き。子どもの頃は故郷の津軽冨士、三つ峰の岩木山がすべての世界だったと言う。
 大学は東北大学文学部東洋・日本美術史へ入学、岩佐又兵衛筆の伝承をもった作品について卒業論文「又兵衛風風俗画」を書き、その後大学院へ進んだ。修士論文は「祇園祭礼図」について書いた。大学院修了後は、肉筆浮世絵専門の麻布美術工芸館学芸員、三井文庫学芸員を経て、1995年より東京国立博物館に勤務。学芸員になることを決心したのは、大学に入ってからである。「美術史を専門にやっていき、そして展覧会という機能によって作品を新しくいろいろと見せてくれる面白さに気付いたとき。作品そのものよりも、作品をつなぐ線がいろいろあり、それによって作品の見え方も変わってくる展覧会というものが面白いと思った」と田沢氏は言う。絵のエネルギーがある作品、遊楽図、洛中洛外図、歌舞伎図などの近世初期風俗画(16世紀末〜17世紀中頃)が好みという田沢氏は、師宣の絵はおとなしくきれいな絵だと言う。

大和絵師としての浮世絵師

 浮世絵は、日本の文化芸術を代表する江戸時代に発達した民衆的な風俗画である。肉筆の風俗画・美人画を母胎に、菱川師宣の版本挿絵により浮世絵様式が開発され普及していった。師宣は、安房国保田(ほた)、現在の千葉県安房郡鋸南町(きょなんまち)で縫箔(ぬいはく)刺繍(ししゅう)業を営む父吉左衛門と母オタマとの間に、七人兄弟の第四子長男として誕生。俗称は吉兵衛、晩年には友竹(ゆうちく)と号し、生年は1630年頃(寛永の中頃)と推定され不詳だが、1694(元禄7)年に没した。
 幼い頃より絵を描くのが好きだった師宣は、江戸に出て土佐派や狩野派などの諸流派に接し、独学で画技を磨いた。版本の版下絵師として活躍、『武家百人一首』(1672[寛文12]年)など文章を少なく、挿絵を大きく取り入れた版本・絵本で江戸庶民の人気を獲得した。さらに吉原遊郭などの風俗を鑑賞用として木版摺りの一枚絵を制作、絵画文化の大衆化の立役者として、浮世絵版画の基礎をつくったといわれている。版画を商品として成立させた意義は大きい。
 「菱川ようの吾妻おもかげ」(服部嵐雪)とうたわれた師宣は、版画と肉筆画の両分野において元禄時代の着物を着た一人立ちの江戸美人スタイルを広めていった。新鮮で生命力に溢れた“菱川よう”の絵は、挿絵本、鑑賞版画の一枚絵、掛幅、画巻、屏風といった浮世絵表現の枠組みをつくり、晩年期には門下に弟子を集めて肉筆画の工房制作に取り組むなど、浮世絵世界を後世へつなぐ基を築いた。
 浮世絵師である師宣は自分の絵を「日本絵(やまとえ)」といい、自らを「大和絵師(やまとえし)」と称していたらしい。「師宣は、版下絵師や雑多な絵師と区別させるために、正統な絵師であるという表明をしていたのではないか」と田沢氏は述べた。

【見返り美人図の見方】

(1)モチーフ

振袖姿の一人の女性。

(2)題名

見返り美人図(みかえりびじんず)。「紅地櫻菊花模様鹿子絞美人図」「婦女図」「半面美人図」など複数あった。近代に入ってから「見返り美人」と命名された。命名者は不明。

(3)構図

背景のない画面の中央下部に、身体をひねった動きのある女性の全身像を、絶妙に配置したことで象徴性を高めている。上部の余白は画賛のためか、女性の形を印象的にするためなのか、画面右側の微妙な余白と考え合わせると、画賛のためではなく全体の調和に配慮した余白と思われてくる。無背景に一人立ちの女性像は、浮世絵に先行する近世初期風俗画の寛文美人図の構図に倣ったもの。

(4)画材

絹本着色。岩絵具、胡粉、膠(にかわ)、墨、掛軸。作品の保存状態はよいが、桜の花など絵具が剥落している部分がある。

(5)技法

輪郭線を描いた後、筆跡を残さないように絵具を平面に塗っている。墨の線は彩色後に描き起こしている。

(6)色

鮮やかな色彩。白、黒、赤、青、緑、黄、茶、肌色が調和している。

(7)サイズ

縦63.0×横31.2cm。

(8)制作年

江戸時代・元禄年間(1688〜1704)前期、師宣晩年の作である。落款にある「友竹(ゆうちく)」の画号や画風の推移のほか、梵鐘などの諸資料では1693(元禄6)年頃という説(図録『菱川師宣作品集』1995, 菱川師宣記念館)もある。

(9)落款

画面右下に「房陽菱川友竹筆(ぼうようひしかわゆうちくひつ)」の署名と、「菱河」(白方瓢形印)の印章。菱川師宣の署名がある作品には工房作も多い。

(10)鑑賞のポイント

おしりが大きく、臀部の肉感的表現を見ることができる。着物を着ている人間の身体の存在感がある。一人の女性が振り返った瞬間を、背の方からとらえた場面で、右から左へ歩いている途中で袖がひらりと動いている様子を表わす。その姿から「見返り美人図」と名付けられた。きれいな色、すーっとした描線、上品で洗練された美しさと生命感のある強さがある。昭和23年、戦後記念切手の第一号として5円切手の図柄となったことで一躍有名になった作品である。鮮やかな緋色(ひいろ)に花の地文を織りだした綸子(りんず)★1の着物に、桜と菊の花丸模様を刺繍で表わす。桜の花丸は、中央に金糸による大型の桜を配し、周囲には浅葱(あさぎ)と白の糸で小柄な桜をレイアウトしている。一方菊の花丸は、中央を鹿の子絞りで埋め、周囲は金糸縫いによる菊花をめぐらせている。この大型の桜と菊の花丸模様は、貞享年間に流行した友禅模様と同じ花の丸模様。背中・袖・足と三段に配置され、流行の帯の結び「吉弥結び(きちやむすび)」と櫛と笄(こうがい)を挿した「玉結び」という髪型、また真横の顔を見せる反った後ろ姿が新鮮。ファッションブックを見るように、当時の女性たちが流行の先端を見る眼差しでこの絵を鑑賞していたと想像するが、実際は男性が鑑賞していたのかもしれない。現代の目からは美人と映らなくとも、縫箔師の家業で培った師宣の目は最新の江戸ファッションに身を包んだ女性を美人としてとらえたのだろう。見る者を強く引きつける描写は、師宣作品のなかでも際立った特徴を示しており、師宣の基準的作品とされている。

★1──紋織物のひとつ。経(たて)・緯(よこ)ともに生糸を用い、製織後に精練した、滑らかで光沢と粘り気がある染め生地。

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