会期:2024/03/12~2024/05/12
会場:国立西洋美術館[東京都]
公式サイト:https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2023revisiting.html

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展は、国立西洋美術館の学芸員の新藤淳が企画したものである。話題の展覧会だが、いきなりこれが登場したわけではない。いずれも新藤が担当した、古美術と現代美術を織り混ぜた「クラーナハ展―500年後の誘惑」展(2016-17)と、以前、artscapeで取り上げた山形と高岡で西洋美術館の歴史を捉え返す驚異の前衛的な企画(「国立西洋美術館コレクションによる山形で考える西洋美術──〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき」展「国立西洋美術館コレクションによる高岡で考える西洋美術──〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき」展[いずれも2021])が合体したような企画だった。すなわち、過去の作品と現代の作品が対話し、しかもそもそも日本における国立西洋美術館、あるいは西洋美術の受容とは何かを問う、これまでの目論見を継承している。ただし、物故作家はパーフェクトに仕切ることが可能だが、今回のように生きている作家が数多く入ると、キュレーターにただ従うわけではないため、困難さと予想外の出来事を伴う。会場デザインを手がけた建築家の吉野弘からも、さまざまなアーティストによる要望を調整するのは大変だったと聞いた。


「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展 会場案内マップ

さて、今回の展示作品は、おおむね以下の2種類のタイプに整理できるだろう。コレクションをもとに新作を制作、もしくは関連づけられた現代作品、そして日本の国立西洋美術館という制度・枠組・場所・建築を主題とする作品である。したがって、オープニングにおける、美術館のメインスポンサーの川崎重工がイスラエルから武器を輸入していることに抗議するアクションは後者の方向性と密接につながっており、企画に文句があるなら参加するな、というよくある批判は的外れだと思う。例えば、フォレンジック・アーキテクチャーは、ホイットニー美術館のビエンナーレにあえて参加することで、催涙弾などの製造会社のCEOが理事にいることを抗議する作品を発表し、ほかの作家の活動と連携しつつ理事を辞任に追い込んだ。このときは同社製品の各地での使用状況を分析する映像を出品したが、ビエンナーレの招待を辞退していたら、効力は減じただろう。そして今回、美術館の内覧会に警察が入ったことは、大きな問題である。

展覧会ではさまざまなアプローチが認められたが、理論的に一番鮮やかなのは、ロダンの像を転倒させた小田原のどか、そしてもっとも情に訴えたのは、新藤も巻き込んだ弓指寛治のリサーチである。内藤礼はミニマルだが、強烈だった。ある意味でオープニングより過激なパフォーマンス映像だったのが、遠藤麻衣の作品である。そしてキュレーションによる組み合わせの妙が冴えるのは、第7セクションだった。

小田原のどか《近代を彫刻/超克する─国立西洋美術館編》(2024)

弓指寛治《You are Precious to me》(2023–24)

左から、ポール・セザンヌ《葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々》(1885–86)、内藤礼《color beginning》(2022–23)

田中功起《いくつかの提案: 美術館のインフラストラクチャー》(2024)

第7セクション「未知なる布置をもとめて」展示風景

ところで、同日、住友文彦の講義演習として多国籍の学生が企画した「敷居を踏む Step on the Threshold」展(東京藝術大学大学美術館)にも立ち寄ったが、西洋美術館のアクションと連携するZINEが展示されていた。

「敷居を踏む Step on the Threshold」展(東京藝術大学大学美術館)


関連レビュー

高岡で考える西洋美術──〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2021年11月15日号)
山形で考える西洋美術──〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2021年09月15日号)

鑑賞日:2024/03/24(日)