[台湾、台南]

台南は何度も訪れていたが、初めて国立台湾文学館、すなわち森山松之助が設計した《旧台南州庁》(1916)の展示を鑑賞した。言語とアイデンティティ、政治とイデオロギーに揺れた文学の歴史がダイナミックで興味深い。常設展示では、19世紀後半に登場した「白話字」(日本のローマ字にあたるもの)、日本語と中国語のクレオール、1930年代の郷土文学論争、日本による国語常用運動と言論統制、戦後の反共文学と新聞・雑誌における日本語欄の廃止、アメリカの援助政策、1970年代の現実社会に関心を寄せる郷土文学論争、戒厳令の解除、ポストモダン、1990年代の恋愛小説などのトピックが続く。

国立台湾文学館

白話字の本(国立台湾文学館 常設展示より)

日本統治時代の建築が数多く活用されているように、一度完成した建築は解体されにくいのに対し(逆に体制の変化で破壊されるものは象徴的)、文学の方が繊細であり、影響力をもつがゆえに、真っ先に検閲される分野だが、こうしたフレームは台湾建築史にも少し応用できないかと考えさせられた。おそらく、文学館のキュレーションというか、テーマの設定が巧みなのだろう。ほかに開催されていた二つの企画展も、禁書をテーマにしたものと、アメリカ文学の受容について振り返るものだった。

禁書に関する企画展(国立台湾文学館「文学館20周年記念 よみがえる文物」より)

国立台湾文学館の隣が、2022年にオープンした「台南市二二八紀念館」である。日本の植民地支配後、期待されていた国民党政府の腐敗に対し、1947年に2.28事件=民衆の抗議運動が起きるが、1万人以上が犠牲になったとされ、白色テロの長い弾圧時代につながる。事件処理委員会に関わる建築が展示場となり、自由、事件、民主化を問う。

台南市二二八紀念館

その後、台北の「二二八国家紀念館」にも足を運んだが、こちらは事件とその背景と影響を詳しく紹介する重い内容だった。QRコードを読み込むと、英語や日本語の解説を聞くことができるシステムは親切である。なお、建築は、井手薫が設計した《台湾教育会館》(1931)を活用しているが、戦後は台湾の旧参議会やアメリカの文化広報施設などに使われ、2011年に「二二八国家紀念館」として開館した。展示は、ダニエル・リベスキンド風の什器、多くが顔写真のない犠牲者の一覧を並べた壁、17年間も小屋の壁の裏に隠れたが、病死した施儒珍のエピソードと空間の再現、補償の書類などが印象に残る。

台北の二二八国家紀念館


ダニエル・リベスキンド風の展示壁(二二八国家紀念館)

そして3階の企画展は、自由を求めて反政府運動に身を捧げた編集者の鄭南榕を特集していた。彼は100%の言論の自由を掲げ、雑誌を刊行していたが、1989年に強行逮捕に抗議して編集室に立てこもり、機動隊の突入を受けて、焼身自殺している。その衝撃は国民運動に大きな影響を与えたが、黒焦げの現場は保存され、《鄭南榕記念館》になっていることを知り、最終日に訪問した。何気ないビルの一部屋に入ると、壮絶な事件の記憶が風化することがないよう、当時の編集室と彼の思想が展示されていた。


鄭南榕が閉じこもった編集室の図面(二二八国家紀念館での企画展より)


関連レビュー

台湾の近代建築史|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2024年05月14日公開)

鑑賞日:2024/04/30(火)、2024/05/02(木)