会期:2024/06/14~2024/06/30
会場:PURPLE [京都府]
公式サイト: https://purple-purple.com/exhibition/horii2024/

私たちは普段、他者との関係性に名前を付けながら生きている。そして、そこに性愛や恋愛が差し挟まれるとき、「普通」で「自然」な「唯一の正しい名前」しかないわけではないことも知っている。セクシュアルマイノリティの歴史は、「命名の獲得と奪還の歴史」でもある。マジョリティから一方的に貼り付けられた蔑称ではなく、上書きして書き換え、自らの手に取り戻し、あるいは新たに発明し、名を与えることで存在の承認と可視化を示すこと。だが、そこからもこぼれ落ちる関係性があったら? ナン・ゴールディン、ロバート・メイプルソープ、ヴォルフガング・ティルマンス、鷹野隆大、ミヤギフトシ、森栄喜など、写真はセクシュアルマイノリティの可視化と関係の深いメディアだが、まだ名づけられていない関係性を、写真はどのように提示することができるのだろうか?

ギャラリーに入ると、奥の展示空間と区切る/目隠しするように、カーテンの壁が立ち塞がる。木材でできた可動壁と異なり、「柔らかい壁」だが、ここから先はプライベートな領域であることを示す境界であり、視線を遮断して何かを奥に隠す壁だ。そのカーテンの壁に、夜の室内で、裸で過ごす2人の男性の映像が投影されている。ただし、映像は二重に重なり合って輪郭が曖昧に溶け合い、カーテンの襞の干渉もあいまって見えづらい(ちなみに、カーテンという「柔らかい境界」は、アメリカ/日本/沖縄、ゲイ男性/へテロ男性という政治的・セクシュアリティの支配構造がもたらす境界線について語るミヤギフトシの映像作品《The Ocean View Resort》[2013]を想起させる)。

[筆者撮影]

カーテンの奥には、ホテルのベッドの上で裸で向き合い、あるいは夜の公園で背後から抱きしめるように身体を重ねる2人の男性の写真が展示されている。性行為や抱擁のように見えるが、2人の身体の輪郭はおぼろげで、亡霊や影のような気配の曖昧さが空間に揺らめく。

[画像提供:PURPLE]

堀井の写真シリーズ「皮膚の思考(遅い鏡)」は、堀井が、「自分とは異なるセクシュアリティを持つ人」と親密な関係を持った経験をもとに制作されている。具体的な撮影手法は、1分間シャッターを開放するあいだ、相手の身体がそこにあった痕跡や気配を手探りで感じながら、交互にカメラの前に身を置くという、長時間露光撮影が用いられている。「ホテルのベッド」「夜の公園」という撮影場所の選択は確信犯的だが、物質性が半ば蒸発したような、残像のように曖昧な像は、社会のなかでの「見えにくさ」でもある。同時にそれは、さまざまに名づけられた「セクシュアリティの枠組み」のなかに収まりにくい、掴みづらい曖昧さの表出でもある。実際には、2人の身体は重なっておらず、物理的に接触していないことは、「2人の間のセクシュアリティの違い」の代弁でもある。バイセクシュアル男性とゲイ男性、性自認がノンバイナリーやクエスチョニングの人物とゲイ男性、あるいは片方の人物が、恋愛感情はあるが、他者に対して性的欲求を抱かないアセクシュアルであるなど、「セクシュアリティが異なる関係性」にも無数のケースがありうる。重要なのは、「どれなのか」を特定・詮索することではなく、そうした無数の可能性がありうることへの想像力をもつこと、そして可視的ではない・・・・・・・アイデンティティを生きる人がいるということを知ることだ。

[画像提供:PURPLE]

ここで、長時間露光撮影という手法は両義的である。別々のセクシュアリティに属す2人は互いに異なる時制を生きているが、その生は(擬似的に)重ね合わせることもできる。他者との出会い直し・・と出会い損ね・・が、引き裂かれながら同時に生起する。セクシュアリティのあり方に名前を与えて存在を可視化することは重要だが、命名が細分化すればするほど、こぼれ落ちていく繊細なものがあるのではないか。あるいは、既に名付けられた枠組みの安心感・安定性のなかでしか、他者と関係性を持てないのか。個展タイトルは「身体の脱ぎ方」だが、「関係性の脱ぎ方」という言葉が私の頭には浮かんだ。

異なる時制をひとつの画面に共存させる長時間露光撮影とは対照的に、「連続撮影」という別の時間の操作によって他者との関係性を語るのが、《水の中で目を瞑って手を繋ぐ》である。文字通りの行為の記録写真が、計30枚、グリッド状に並べられる。互いに手を伸ばすことは、繋がりを求める行為であると同時に、互いを隔てる距離を身体的に測り合うことでもある。不安定な水中で、見えない相手に向かって手探りで伸ばした手は、一本の線を結んだかと思うと、次の瞬間にはわずかな綻びが生じ、線はほどけ、断ち切られ、再び指先がわずかに触れ合う。そうした出会い直し・・と出会い損ね・・が、不規則な波のリズムのように揺らぎながら繰り返される。

[画像提供:PURPLE]

写真は2人の前腕のみをクローズアップで捉えるが、ままならない運動の不自由さは、水中に浮かぶ2人の身体を翻弄するさまざまな諸力や負荷について想像させる。水の抵抗、水流や波の干渉、足場のない不安定さ……。だが私たちもまた、こうした目に見えない諸力や負荷がせめぎ合うなか、解けかけた手を掴もうとしては、相手との間にある距離を何度も計測し直そうとする、水中・・世界にいるのではないか。「写真が内包する時間」への考察とともに、堀井自身の個人的な関係性から出発し、より抽象度の高い思考へと開いていく展示だった。

[画像提供:PURPLE]

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鑑賞日:2024/06/23(日)