会期:2024/07/03〜2024/07/07
会場:世田谷パブリックシアター[東京都]
公式サイト:https://setagaya-pt.jp/stage/15708/

舞台は観客の目をそこに立つ者へと向けさせ、その声に、言葉に耳を傾けさせるための装置だ。ならばそこはどのような人々のための場所であるべきだろうか。

演出家、振付家、キュレーターの橋本ロマンスが演出・振付を担った『饗宴/SYMPOSION』は「プラトンによる対話篇『饗宴』への批判的な視点から出発」したのだという。橋本は当日パンフレットに寄せた挨拶のなかでその批判的な視線を「古代アテネの男性の知識人たちが朗々と愛を演説する行為」や「特権階級によって定義される愛のグロテスクさ」へと向け「では、もし2024年の東京で、愛を語る場があるとしたら、そこには誰が集まるべきなのか。そこでは、どのような愛が語られるのか。そもそも、安全に愛を語ることができる場所は残っているのだろうか」と矢継ぎ早にいくつかの問いを投げかける。これらはそのまま、舞台あるいは劇場という場へと投げかけられた問いでもあるだろう。橋本は、不可視化されてきた人々の存在を可視化し、聞かれてこなかった声に耳を傾けさせるための場として作品/舞台を立ち上げていく。

[撮影:大洞博靖]

不可視化されてきた人々とは誰か。この作品においてまず可視化されるのはクィアなパフォーマーたちの存在だ。当日パンフレットには橋本自身が「ノンバイナリーのクィア」であることや創作環境としての「性別二元論ではない新しい更衣室のシステム」への言及があり、演出・振付の橋本と出演者の多くのプロフィールにはそれぞれの使うジェンダー代名詞の表記がある。例えば橋本の場合はthey/themと記されているのだが、日本語で書かれたプロフィールにわざわざ英語のジェンダー代名詞が記載されているのは、そうすることで可視化されるものがあるからにほかならない。


[撮影:大洞博靖]

[撮影:大洞博靖]

クィアなパフォーマーがクィアとして、クィアなままで舞台に立ち、ミラーボールに反射する光が乱舞するなかで生き生きと踊るあの姿を、私は一生忘れないだろう。だが、あの光景がそこまで胸に迫って感じられたのは、日本の、ことに世田谷パブリックシアターのような公共の/大きな劇場においては、クィアなパフォーマーが舞台に立てる機会はきわめて限られているという現実があるからだ。いや、それ以前に、クィアが生き生きとふるまえる空間はいまの日本にはごく僅かしか存在していない。舞台上の光景がほとんど不可能なユートピアのように見えたからこそ、そしてそこにいる人々がどうしようもなくチャーミングに見えたからこそ、私は強く揺さぶられてしまったのだった。だが、何がそれをほとんど不可能なものにしているのか。橋本は「私が望むことは、このような作品を作る必要がない世界です」というが、その言葉に首肯しつつ、私はクィアなパフォーマーが当たり前に出演する作品が当たり前に上演される世界が来ることも願わずにいられない。

ピンクウォッシングを持ち出すまでもなく、あらゆる差別の問題は地続きであり、作中には当然、いまも虐殺され続けているガザの人々への言及もある。いや、それは言及などという生やさしいものではなく、ほとんど観客に対する糾弾とでも呼ぶべきものだった。出演者のひとり、野坂弘は自身が行なったある抗議活動について観客に語る。あるダンス公演とその会場となった劇場へに対する「PACBI:イスラエルの国際的文化ボイコットガイドライン」に基づいた要求。それに対する相手方の不誠実な対応。抗議のために劇場に足を運び、ロビーでパレスチナ国旗を掲げたところ、許可のないパフォーマンスとして排除されてしまったこと。作中では具体的な名前は挙げられていなかったため、ここではひとまずそれに倣っているが、これらは実際にあった出来事である。


[撮影:大洞博靖]

開演前から見えている舞台美術の壁面にはFREE GAZAやLIBERATIONなどと書かれたグラフィティが並び、当日パンフレットには2023年10月7日という日付への言及もある。だから、予期しなかったわけではない。だが、率直に言えば、私は当初、野坂のあまりに直截な物言いに、果たしてこれを舞台でやる意味はあるのだろうかと思ってしまったのだった。しかし、ダンスの観客の総数がさほど多くはなく、「あるダンス公演」と『饗宴/SYMPOSION』とでかなりの数の観客が重なっているであろうことを考えれば、これ以上に効果的な方法はないだろう。野坂の声が「あるダンス公演」の客席どころか劇場のロビーからも排除されてしまったのは、それがそこに集うつくり手と観客の一部にとっては聞きたくないものだったからだ。橋本はそれを「ノイズ」と呼ぶ。そのような声があることを知らずに済んでいた観客も多かっただろう。それは劇場からノイズが排除されているからだ。だが、『饗宴/SYMPOSION』はその声/ノイズを聞かれるべきものとして舞台に回帰させ、観客を揺さぶり問いを突きつける。あなたはこんな世界でどんな選択をするのかと。

[撮影:大洞博靖]

[撮影:大洞博靖]

舞台に立ち、その存在を可視化するということは、我が身を無数の視線に晒すということだ。発した声は、暗闇に潜む匿名の観客によって否定されるかもしれない。だが、それでも舞台に立つことを選んだ出演者たち──池貝峻、今村春陽、唐沢絵美里、Chikako Takemoto、田中真夏、野坂弘、湯浅永麻──に、そしてもちろん演出・振付の橋本と音楽(身体を揺らすビートがバキバキにカッコイイ!)の篠田ミル、この舞台を実現したスタッフ陣に最大限のリスペクトを。加えて、世田谷パブリックシアターの主催公演を担うアーティストに橋本を抜擢した芸術監督の白井晃の英断にも拍手を送りたい。これは公共劇場でこそ上演されるべき作品だった。各メディアで公開されている橋本のインタビューや白井との対談にも学ぶところは多い。

鑑賞日:2024/07/04(木)


関連リンク

橋本ロマンス インタビュー(ローチケ演劇宣言!):https://engekisengen.com/genre/dance-performance/92136/
橋本ロマンス×白井晃 対談(おけぴ):https://okepi.net/kangeki/2786
橋本ロマンス インタビュー(BELONG):https://belongmedia.net/2024/06/26/rom-hashimoto-symposion-interview/
稽古場レポート(ぴあ):https://lp.p.pia.jp/article/news/374262/index.html
橋本ロマンス インタビュー(jstages):https://jstages.com/2024/06/世田谷パブリックシアターで橋本ロマンスの「饗/