北海道札幌市のモエレ沼公園ガラスのピラミッドでは8月25日まで「長坂有希:Living with Otherness」展を開催中だ。モエレ沼公園では年に2回自主企画展を開催しており、本展はイマジナリー・ランドスケープスと題した現代の作家を紹介するシリーズ展の第7弾となる。本展で新作を発表している長坂有希は、1980年大阪生まれ、テキサス州立大学オースチン校で学士(美術)、国立造形美術大学シュテーデルシューレ・フランクフルトでサイモン・スターリングに師事しマイスターシューラリン(美術)を取得したのち、現在は、香港城市大学クリエイティブ・メディア学科博士課程に研究員として在籍しながら、広島市立大学芸術学部専任講師を務めている。
長坂は、土地をめぐるリサーチのなかでの出会いや協働作業を通じて、その土地の人々や生物、ものたちが編んできた物語や歴史、知恵や技術を学び、そこから得た知見や世界観、疑問をストーリーテリングの手法を用いて表現しているアーティストだ。北海道を舞台とした作品を発表するのは札幌市内のギャラリーCAI02(現在は移転しCAI03となっている)、北海道大学博物館での個展に続いて今回で3回目となる。
「Living with Otherness」会場エントランス[Photo: Yoshisato Komaki]
5つのエレメント、5つの物語
会場の入り口に立つと涼やかな鈴の音が聞こえ、観客を会場へと誘う。薄暗いエントランスには「霧と火山とアカエゾマツ」、「ミズナラと風の中の声」、「冬の森で見た夢」、「雨の森の散歩」、「燃える山」といった言葉がライトで浮かび上がるように掲示され、この先で展開されるだろう物語を暗示する。
場内には5つの映像が揺らめくように配置されている。円柱型の水槽には水が張られ、底から魚や水泡が湧き出る様子が、四角く形成された大地を想像させる粘土には、上空からとらえた大きなアカエゾマツと微細な森の様子が、三角形に敷かれた火山礫には煙の上がる活火山が、それぞれに映し出される。スクリーンとなるそれらの素材と映像の内容はリンクしており、それぞれが水や火、土、木、石といった世界を形作る根源的なエレメントを司っている。こうした構造は、日本庭園の「縮景」や「見立て」を想起させる。この会場の外に広がるイサム・ノグチの庭=モエレ沼公園を想像上の借景とし考えてもいいだろう。幾何学形態を使っているのも示唆的だ。そもそもモエレ沼公園自体がノグチの翻案した日本庭園であるならば、この作品は入れ子状に配置された新たな庭だとも言える。
「Living with Otherness」展示風景[Photo: Yoshisato Komaki]
それぞれの映像を眺めながら場内を巡ると、ときおり乾いた破裂音が響く。森の中で枯葉を踏みしめる音のような気もするし、どこからともなく聞こえてくる不穏な機械音のようでもある。次第に感覚が研ぎ澄まされてくると、そこここでささやき声がしているのに気づく。音のありかを探しながら歩くと、ソファが用意されており、座ると「わたし」が読み上げる物語が聞こえてくる。硬質で清潔なその声は、「わたし」が出会ったアカエゾマツや1200年以上を生きるミズナラの巨木、4万年前から活動している活火山、水の湧き出るところであるメム★1といったものたちとの物語を話す。「わたし」が見てきたこと、自然物の集積であるそれらとの出会いとそのとき得た感覚、そこで生まれた/あるいは生まれえない関係性について──。「わたし」はアーティスト自身であるが、この物語の主人公でもあり、森に生きるひとつの生命体でもある。
流れていく言葉をつかんだり手放したりしているうちに、ふいにサウンドと映像が重なり合い、急にこの作品世界と目が合うように感じる瞬間がやってくる。セレンディピティともいえるこの瞬間、物語のなかの「わたし」と鑑賞者である「わたし」の境界線が交わり、ひとときひとつの世界になる。
「Living with Otherness」展示風景[Photo: Yoshisato Komaki]
「Living with Otherness」展示風景[Photo: Yoshisato Komaki]
「Living with Otherness」展示風景[Photo: Yoshisato Komaki]
長坂有希のみる北海道
長坂と北海道とのかかわりは今から8年ほど前にさかのぼる。アメリカ、ドイツ、イギリスなどを拠点に長く海外で制作活動を行なっていた長坂は、2013年、すべての活動拠点を日本に移すことにしたと言う。自身の作品制作に集中するために、その頃知った札幌にできたばかりのレジデンス施設である天神山アートスタジオに滞在したのがはじまりだ。ひと月の滞在のあいだに、日本でありながら、国内の他地域とは異なる歴史性と市⺠性を持ち合わせているこの土地と、そのスケール感、独特な気候や地形、人間よりも自然が勝っているという感覚、そして人々が纏っている雰囲気に魅了されたという。北海道をテーマにした作品を作りたいと考えはじめた長坂は、その2年後の2018年、偶然知床のカムイワッカ湯の滝に生息するというイデユコゴメという藻を知る。このことがきっかけとなり、北海道でリサーチを行ない、雪に閉ざされた半島を歩いて制作した作品《カムイワッカへ、そして私たちの始まりへ》を札幌で発表する機会も得た★2。この作品制作のなかで、人間の思惑ではどうにもならない大きなが流れがあることを身をもって体験し、より一層北海道に魅了された長坂は、その数年後の2020年、今回の作品となるプロジェクトをはじめた。
カムイワッカ湯の滝[© Aki Nagasaka]
北海道大学苫小牧研究林を中心とした胆振地方をリサーチのフィールドに定めてからは、何度もそこに滞在し、映像を撮影し、森を歩いた。先住民であるアイヌの他種の生物や多要素との共生の文化。また、開拓民として入植してきた人たちが持ち寄ったさまざまな地方の文化。北海道の環境下で暮らすうちに醸成された文化や風土など、複数の文化が北海道には共存している。そして特有の地質、気象によって育まれる豊かな自然──多くの異なる生物や要素が密接に絡まり合い、共生・共存している様子をはっきりと体感できるこの北海道という土地。北海道の生態系をテーマにしたフィールドリサーチの活動のなかで集積された膨大な映像と共同制作者であるサウンドアーティストのルイサ・プターマンによって制作された音源に、長坂自身の気づきや思考を織り交ぜた、ある種の「森のエコロジー」を表現する群像劇としてまとめられたのが本展覧会だ。
苫小牧研究林でのフィールドワーク[© Aki Nagasaka]
苫小牧研究林でのフィールドワーク[© Aki Nagasaka]
他者性とともに生きる
本展のタイトル「Living with Otherness」は異なる文化や価値観、背景を持つ人々や存在との違いや対立を意識しながら、他者性や異質なものと共存・受容することを意味する。このタイトルは、現在の長坂の研究テーマでもあって、生物進化の理論のひとつである「細胞内共生説」に深く影響を受けているという★3。この説は、ある種の生物が他の生物の細胞内に侵入し、共生関係を築く過程を説明している。この仮説によれば、共生関係にある生物はお互いに相互依存し、進化の過程で新たな有益な特性を獲得することがあるという。最も有名な細胞内共生の例は、ミトコンドリアと葉緑体だ。これらの細胞小器官は、アーキア(古細菌)がバクテリアを体内に取り込み共生関係となり、原始的な真核生物に進化したと考えられている。ちなみに、真核生物とは細胞の中に核をもつ生物で、動物や植物、あるいはミドリムシやゾウリムシなどの原生動物、カビなどの菌類、そしてもちろんわれわれ人間もここに含まれる。この説は生物進化の理解において重要で、共生関係が新たな生物の多様性や複雑性の進化に寄与する可能性を示唆している。私たち人間の細胞にはそのはじまりからすでに他者、異質なものが含まれているということか。私たちと世界は混ざり合って存在し、それゆえに生を繋いできたのだ。
「Living with Otherness」展示風景[Photo: Yoshisato Komaki]
その土地の空気を肺に吸い込み、吐き出し、その大気を含む土地と一体になること。20億年前に赤かった海が大量の酸素により青い海に変容していく様を想像し、灰から森が生まれる長い時間軸を活火山から感じ取り、水の湧き出す場所と自身の中の水の存在の共鳴を知ること。大いなる循環のひとつとなった「わたし」の視点が、北海道の物語として編まれる。人間の時間軸、人間の視点を超えようとする長坂のこの試みは、私たちの足元に広がる自然と人間とが織りなす混然一体とした物語を過去から未来へとほのかに照らし、行先のわからない船に乗る我々にその先を示してくれる。
★1──アイヌ語で「湧水」の意味。
★2──2018年10月6日〜 10月27日、CAI02で展示された。https://cai-net.jp/exhibition/長坂-有希-「-カムイワッカへ、そして私たちの始/
★3──海の雑学「わたしたちによく似た「古細菌」の培養に成功(東京大学 海洋アライアンス)参照。https://www.oa.u-tokyo.ac.jp/column/trivia/0031/index.html
長坂有希 : Living with Otherness
会期:2024年7月20日(土)~8月25日(日)
会場:モエレ沼公園 (北海道札幌市東区モエレ沼公園1-1)
公式サイト:https://moerenumapark.jp/akinagaska/