会期:2024/06/15~2024/08/25
会場:日本民藝館[東京都]
公式サイト:https://mingeikan.or.jp/special/ex202406/

柳宗悦が朝鮮陶磁器に傾倒していたことは知っているが、本展を観て、その時系列がようやく理解できた。1914年、現地で小学校教師をしていた浅川伯教が朝鮮陶磁器を手土産に柳の下を訪ねたことを機に、柳は工芸の美しさに魅了され、民族固有の造形美に開眼したのだという。それまで雑誌『白樺』で柳が紹介していたのは西欧近代美術であった。つまり朝鮮陶磁器は、その後、柳が民藝の思想へと至るきっかけを与えた原点とも言えるのだ。仲間と共に民藝運動を起こし、日本各地で工芸調査と収集に精力的に取り組むのは、その先のことである。

1914年は、日本が韓国併合によって植民地支配を開始してからまもなくの頃である。日本人が朝鮮陶磁器を手に取る機会に恵まれたのは、そのためだったのかと腑に落ちる。1919年の三・一独立運動に際して、柳は大きな衝撃を受け、芸術によって朝鮮人と日本人との心をひとつにするという信念を掲げた。それが1924年の朝鮮民族美術館の開館へと結び付くのだ。日本民藝館の設立より10年以上も前の出来事である。こうした柳の功績に対する韓国での受け止め方はさまざまあるようだが、終戦後、そのコレクションは最終的に現地の国立中央博物館に収蔵された。


朝鮮民族美術館(景福宮・緝敬堂)での柳宗悦、日本民藝館蔵

本展では日本民藝館に引き取られたその一部のコレクションや、柳が同時代に収集したコレクションが展示されていた。鑑賞すると、それらは日本の陶磁器や暮らしの道具に酷似していることに気づく。いや、その考え方は逆で、朝鮮半島(あるいは中国)から渡ってきた物や技術を日本が真似て、習得したのである。青磁や白磁、染付、鉄絵、三島など、日本に普及する陶磁器の伝統技術の多くが朝鮮時代に築かれたものだった。遡れば豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、日本人は多くの朝鮮陶工を連れて帰り、九州を中心に陶磁器の生産技術を発展させた。本展はまず「九州の焼物」を巡る展示構成となっており、その歴史観を伝える。現在、韓流やK-POPなどに日本人が熱を上げるように、日韓の文化交流は形を変えて続いている。芸術や文化こそ人々の心がつながる要素になることを、韓国併合という特殊な環境下ではあったが、一世紀も前に柳は示したのである。


染付鉄砂葡萄栗鼠文壺 朝鮮時代(17~18世紀)、高34.9cm〈朝鮮民族美術館旧蔵〉、日本民藝館蔵

浅川伯教採取陶片(高麗~朝鮮時代)、*初出品、日本民藝館蔵

鑑賞日:2024/07/31(水)