2024/08/09~2024/08/10 ※毎年同日程で開催
会場:松戸宿坂川沿道[千葉県]
公式サイト:https://www.kentou.org/
公式ハンドアウト:
(外面)https://www.kentou.org/wp-content/uploads/2024/06/2024soto.pdf
(中面)https://www.kentou.org/wp-content/uploads/2024/06/2024naka.pdf

[筆者撮影]

川が大きく折れ曲がっている。折れ曲がりの外側の河岸に階段があり、大勢の人が腰掛けている。内側の河岸から張り出す仮設ステージで、地元のシニアフラダンサーが踊っている。この折れ曲がりの付け根からまっすぐ伸びた川沿いの手すりには、横長の提灯が吊るされている。電球の灯った同じ形の出店がずっと並んでいるのが見える。向こうから歩いてくる人と、こちらから歩いていく人で、川沿いの細い道は混雑している。

目線から下がったところを川が流れ、ビニールネットが流路を区切ってコースのようになっている。

江戸川を挟んで東京都葛飾区と向かい合う千葉県松戸市で、「松戸宿坂川献灯まつり」を訪れた。松戸駅から徒歩5分ほど、江戸時代に開削された人工河川の坂川沿いの会場は、このように現われる。

詳細は公式サイトに詳しいが、祭りの経緯を下記に記す。

・江戸時代、松戸は江戸に入る手前の宿場町および物流拠点として栄えた。
・江戸時代より松龍寺の縁日に開催されてきた「とうもろこし市」が、2000年頃より後継者不足・担い手不足となった。
・江戸時代に農業用排水として掘削され、その後水質汚染が問題となった坂川だが、2000年頃に水質改善・環境整備が進んできた。
・「伝統行事と河川愛護が両立できる行事」を目指すなかで、松龍寺境内での献灯の記録を発見し、灯篭流しとして翻案することにした。2006年より開催。

地域行事の継承が困難になった例は、全国各地で見受けられる。担い手不足となった松龍寺の「とうもろこし市」では境内で盆踊りが行なわれていたそうだ。境内は塀に囲まれている。檀家さんという意識が弱まった現代において、日常的にその領域を自分に関係のある場所だと思い続けられるだろうか? 街と祭りは双方向に支え合うものだ。夜市がどの範囲まで広がっていたのかはわからないが、祭りによって、祭りの起きていないときも街を思えるよう喚起するのは難しい。

いかに一過性のイベントで終わらせないか、というのは地域行事に限らず、さまざまな企画の場面で今日議論されていることだろう。ピークがあることは日々のルーティンへのモチベーションになりえるが、一過性のものになる危険をつねに持つ。「献灯まつり」では、街の人々の環境整備の熱意が、川を利用した地域行事にも流れ込み、相互に支え合っている。川の保全というルーティンを持続させている、一過性にならないピークの造りとはいかなるものなのだろうか?

さまざまな要因はあるだろうが、本稿では「献灯まつり」の会場構成の巧みさに目を向けてみたい。ここには、ピークにおける経験が、いかに日々へと還元できるかの示唆がある。

坂川が折れ曲がる地点は、会場全体でみると下流にあたる。向こう──上流から灯篭が流れてきて、メインステージの足下に溜められていくということだ。「上流の『静』と下流の『動』の対比を とうろう流し場は祈りに相応しく、流れる先は段々賑やかに」とサイトに書かれているように、来場者の多くはこの賑やかな地点から「献灯まつり」を経験し始める。

上流へ向かいながら歩いていると、灯篭を手にした人に追い越されたり、追い越したりする。老若男女、さまざまな人が灯篭を手に歩いているのだ。手すりの行燈は絵画教室の子どもたちが描いたもので、それが会場の端から端まで続いている。街中で普段目にする店名が掲げられた出店も多く、川沿いに街が凝縮されたような印象すらもある。

[筆者撮影]

坂川をまっすぐ歩いていくと、松戸神社の境内を通り抜ける。坂川沿いは松戸神社への参道のようでもある。さらに進むと、坂川と直交する向きで別の参道が現われる。これが松龍寺の参道であり、「とうもろこし市」の会場である。「献灯まつり」と「とうもろこし市」は交差する。焼きトウモロコシをかじる人たちが目の前を横切っていく。交差点にあたる橋の近くには大勢の人が座り込み、奥のテントではトウモロコシの髭をむしるおばあさんたちがいる。

この交差点をさらに越えると、灯篭の製作コーナーが現われる。家で作ってきた人もいれば、ここで作る人もいる。広い空き地にテントと机が並べられたここは、道以上に大勢の人で混雑していた。灯篭作れますか~と中学生が連れ立って現われると、追加の机がさらに運び込まれた。灯篭に絵を描き、色を塗り、組み立てて、それを抱えてさらに上流へと向かう。

(あたりが暗くなると、上流から灯篭が流れてくる。私やまわりの人が抱えるように、先行していた誰かが流した灯篭なのだ。すれ違った人のなかに、その灯篭を流した人がいるかもしれない。)

気づくと出店はなくなり、川沿いを賑やかすのは歩く人々の話し声だけだ。歩いていくと、川へと降りるスロープが見えてくる。テントの受付へ立ち寄ると、灯篭の中に土をまぶしてくれる。安定して流すための重しの土だ。少しだけ重くなった灯篭を抱えて、折り返す向きのスロープに並んでいると、下から上がってきたおじさんが火を点けてくれる。

川へ降りる。ビニールネットで区切られた流路の幅いっぱいに組まれた桟橋に3人並んで灯篭から手を離す。ゆっくりと灯篭が流れていくのを少し見届けたら、階段で一気に道へ上がる。 灯篭はゆっくりと流れていく。

時折水草に引っかかってくるくると回ったり、ほかの灯篭とぶつかって止まったり……。

私の歩く速さは、自然と灯篭に合っていく。灯篭を抱えて上流へ向かう人とすれ違う。その人のようにさっき私も歩いていたのだと思い出す。私が灯篭を抱えてすれ違った人のように、いま私が歩いているのだとも思い始める。

灯篭を持ち歩くこと/目的を共有した他者とすれ違うこと/川の流れと歩く向きの関係……など、そこで起きる移動経験が「献灯まつり」を特別なものにしている。言うなれば、直線上で行き来することしかできない空間なのだが、そこにずっと流れ続ける川のあることで、事態は時間的な複雑さを獲得している。

時差を伴い行き来していると感じた経験のあることが、ここにいる大勢の他者を、彼・彼女のいるこの土地を、こんなにも想像させるのだ。祭りのピークを越えてなお、まだそう思えることに驚かされる。日々は繰り返されるが、同じときは一度としてない。

[補足]
坂川は「逆川」が由来であるとも言われる。江戸川へ向けて水を流すために掘削されたが、勾配が十分に取れず江戸川から水が逆流するため、逆向きに流れる川ということで「逆川」だったとか。支流の多さは、もう少し下流へ延ばせば流れるはずだ、と江戸川の下へ下へとつなぎ直した苦闘の結果だ。結局、江戸川にうまく流れることはなく、明治以降は支流の一カ所に設けたポンプで水を抜いている。
「献灯まつり」の行なわれる坂川は、ポンプよりも標高が低い地点にあり、私が目にした水の流れは、(江戸川の流れからすると)上流に向かって流れていた。つまり、かつてここを掘削した人たちが流したかった向きは、いまの流れとはまったくの逆向きだったのだ。
だから、灯篭を抱えて歩くことは、ありえたはずの坂川の流れに沿うことでもある。この坂川をめぐる事実との重なりが、まだ20年足らずの「献灯まつり」の今後の持続を願う気持ちに拍車をかける。

鑑賞日:2024/08/09(金)