世界の建築家があこがれるヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展。二年に一度、このビエンナーレの日本館を任されるキュレーターは、国内の指名コンペによって選ばれる。建築キュレーターである本橋仁氏(金沢21世紀美術館)のチーム案は、あえなく落選の結果となった。アンビルドとなった展覧会ではあるが、本企画の背景にある物語を聞くことができた。ここから新たな企画の種子が芽吹くことを期待したい。(artscape編集部)

土の匂いがしそうなほど具体的に積み上げたプロジェクトが、アンビルドになること。その寂しさを、「第19回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展(2025)」の被指名キュレーターが発表されたのちに感じている。「悔しい!負けちまったゾ!!」そんな悔しさから、本メディアのキュレーターズノートにまさに、ノートに記し続けたキュレーションを開陳することにした。題して「敗戦記」。いっそのこと、「土に還れ!」とでも副題をつけようかとも思ったが、しばらく成仏させられそうにないので、ひとまず土の上に放り投げておこう。

なお、指名コンペの結果と落選案ふくむ全案が、国際建築展ウェブサイトに講評とともに掲載されている。選考プロセスについて触れておくと、この指名コンペは委員から推薦された28名(組)のリストから書類選考が行なわれ、6組が二次審査に臨み、結果として提出された4組より選ばれた。どの提出作品も力作だったと思う。ぜひご覧いただくことをおすすめしたい。

耕起される風景[イラスト:taikankun][筆者提供]

うれしいヘルプミー

メールだったか、チャットだったか。負けたいまとなっては見返す気力も無いのだけれど、オファーを頂戴した最初の連絡を受け取って感じた嬉しさは覚えている。始まりはこうだ。

「詐欺メールみたいなのがきた!」

と、旧知の仲である惠谷浩子さんから突拍子もない連絡を受けた。

「これってなぁに?」と続けて見せられたのは、2025年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展の日本館キュレーターを決めるための指名コンペ参加への意思確認であった。

目を疑った。いやいや、目を疑うなんていうと失礼かもしれない。だって惠谷さんは優秀な研究者であることは、多くの人が認めるところだ。しかし驚きはそこではない。建築展のキュレーターに? というところだ。

彼女の専門は「景観」。現在は、奈良文化財研究所景観研究室に身をおき、とくに全国を駆け巡りながら文化的景観の調査を行なっている。風景をつくる、その構造を読み解く専門家であり、植物を中心とした生態学のスペシャリストである。そんな彼女に白羽の矢が立ったことに驚きと、それに感動が混ざった。そして疑問が浮かんだ。惠谷さんにいまここで期待されているものって何だろう。

南禅寺周辺の庭園で、追い込み漁による生態調査中の惠谷浩子さん

それと同時に、「建築に門外漢の私に何が出来るだろう」と躊躇う彼女にはこのコンペに必ず意思表示して参加して欲しいという気持ちが起こった。

建築展に景観の研究者。もちろん昨今、エコロジーへ意識を向ける建築家は少なくない。しかし、建築家の性(さが)は、与えられた敷地から考えざるを得ないことである。敷地という与えられた場所から、地球を考える。その考えは尊いが、私は自然と対峙して屹立する建築のあり方もまた、自然との関わり方のひとつだと思うから、自然にばかり配慮した建築の姿はやはり、どこか負けていると感じてしまう。というのも、そのモヤモヤは他領域からの強烈な建築へのクリティークがなければ解消されないと常に思っていたからだ。

「ノンノン! 惠谷さん。そのメールは詐欺じゃないヨ」

と、すぐに伝えるべくオンラインでヴェネチア・ビエンナーレの歴史や昨今の建築展でのトレンドを伝えるミーティングをひらいた。2014年には、太田佳代子さんがコミッショナーの際にわたしもメンバーとして参加させていただきき、昨年も出張でビエンナーレを訪問する機会を得た。

思えば、惠谷さんに参加すべきと伝えたときには、わたし自身も参加することになろうとはつゆとも思っていなかった。あくまでも友人として、相談に乗れればいいなと。

「頑張ってくださいね! なにかあれば協力しますゆえ」
「ノンノン! 本橋さん。いっしょに参加ヨ」

──こうしてわたし自身の参加も決まった。

そっか、わたしは建築キュレーターであった。日本の美術館で働く建築キュレーターのいかに少ないことよ。いや、世界的に見ても建築キュレーターは稀なのだ。わたしは建築展を作ることを生業にして、ご飯を食べさせてもらっている。だから誰よりも、ビエンナーレに参加しなきゃいけない義務がある! などと吠えてもしょうがない。やるからには勝つしか無い。そこから、惠谷さんとは2ヶ月、文字通り激走することとなる。

追い込み漁で、ホール・イン・ワン

よく話しを聞き、もっと盛り上げて、その人の思いを倍以上にして返す。そんなラリーを続けて、思いを形にする。「思いを形にする!」なんて! 香具師みたいなコトバ!!

一方で、作品輸送の手配から、頭を下げて協賛集めまでして、企画を現実化する。それを一人でこなす日本の学芸員は、いわば「プロ香具師」みたいなところもある。惠谷さんの持っている思いをひたすら聞きながら、いかに「展示」というモノを伴う形で見せていくかが腕の見せどころだ。今回の企画もそうした意味で、選ばれちゃったら夢では終われないので、出版社と事前協議し、輸送会社、施工会社にまで見積をとって、あとボタンひとつで発射完了みたいな実現可能性100%の状態に仕上げた。プロ香具師の矜持として、わたしはキュレーター候補である惠谷さんの思いを、初めにしっかりと聞く必要がある。

彼女のもつ、風景とそれにまつわる建築に向けられた思いは、好き/嫌いを伴う、とてもクリアなものだった。研究者にありがちなファクトベースのみで語らない、感覚も併存した彼女の研究者としての価値基準が、わたしは好きだ。

この展覧会で見せたいものを考えたときに、「建築」展であることを彼女はしきりに気にかけていた。それが彼女の参加を躊躇わせる原因でもあった。しかし、果たしてそれは重要な問題だろうか? 建築が物理的世界にのみ閉じる限り、たしかに建物を扱うことは建築展にとっての命題だ。しかし、建築を建てるのとは異なり、建築展は未来をみせるのだ。ウィトルウィウスの建築書が、天文学から始まるように、わたしたちは建築とは程遠いことから、建築の核心にむかってホール・イン・ワン(金獅子賞)を目指さなければならない。建築を専門とせず、普段の調査では追い込み漁で池の水を調べる彼女のような研究者は、このホールという網に、思いっきり魚を流し込むことだ。混乱させよ! この指名コンペに参加することの意味は、そこにあるだろう?

それって、もしかして棍棒?

とはいえ、最初のディスカッションは難航した。議論のキッカケになったのは、やはり彼女が専門とする風景だ。生きる風景と、固執してしまう風景があるということだ。

ごくごく議論を簡便にするため、文化的景観の保護について説明しよう。景観保護は審美的に、あるいはピクチャレスク的に風景を残すことが目的ではない。むしろ、変化を許容しながら、その土地のもつ固有性を尊重した変化を認める法律なのだ。ここで思い起こしてみたいのは、ドレスデンの世界遺産抹消のニュースだ。ドレスデンは、川べりの美しい町並みの景観によって世界遺産に登録されていたが、しかしそこに住む住民にとっては、生活に便利な橋が欠如していることによって非常に不利益が生じていた。では、あらたな橋を作るか。そのことは、ピクチャレスク的な意味での景観にしてみれば「景観破壊」を意味する。そのことについて、住民投票まで行なわれた結果として、橋の建設が進められることとなった。そしてドレスデンは世界遺産の登録を抹消される。

この出来事は当時大きな話題をよんだ。つまりわたしたちが守ろうとしている景観は、ある意味では、ある時点で時計の針をとめた状態だ。しかし、その過去と未来を退けるようなあり方は、本当に景観への評価に合ったものだろうか。ロマン主義にも程があるぜ? と思うが、一方でそうした状況へのカウンターとして、風景のもつ「構造」を保全し構造を守る、構造主義にも程があるぜ! な文化的景観が法制化までされて、いまに至る。国は重要文化的景観を指定する。つまり文化的景観の重要文化財であって、そこで守られるのは見えない、数値化しづらい構造なのである。その評価基準や保護の仕方について、そのわかりづらさに対する批判もある。そりゃそうだと思う。

しかし、惠谷さんはこう続けた。ただ、いずれにせよ。保全に意識を向けすぎる活動は、どうしても暗いものが多いのだと。もっと、景観そのものを掘り返すように積極的に介入するような人たちを知ってもらいたい。

「なんかねー、明るいやつがいいんよねぇ!」と、議論に疲れた惠谷さんはべらんめえに語る。

いや、ほんとうにそりゃそうだと、私の首はもげそうだった。

構造を守るなら、もっとラディカルにいこうぜ。だって構造を守ることは一方で、変化を許容していることにもなるのだから。そんな、明るく、風景を守る人たちがいるのなら、建築を仕事とする私たちに投げ掛けてほしいのだ。

でも、そんな人いる?

「棍棒……」
「え? もしかしてあれ、観たの?」
「うん!」
「「それだ!」」

11月伐採[提供:全日本棍棒協会]

「いいいじゅー!!」で議論は、どハマる。

NHKの番組に「いいいじゅー!!」というものがある。この番組は、地方移住をテーマにした情報番組で、地方への移住者(おもにIターン)で、その土地で面白い活動を行なう人にフォーカスをし、土地の魅力や新しいライフスタイルを紹介するものだ。わたし自身、別に移住願望があるわけじゃないが、この番組が好きだ。取り扱われる人たちの、仕事にクセがありすぎて大好きになる。

なかでもクセ強だったのは、奈良県宇陀に移住した東樫さんの回「奈良・宇陀市」であった。あれは神回だ。その映像は衝撃の連続だったのだ。全日本棍棒協会、略してZNKK。ハテナ? の連続だった。しかしそこには圧倒的な野生と理性とが共存していた。彼らは、棍棒を振り下ろして、棍棒を飛ばして、それを棍棒で弾き飛ばすという新たなスポーツを考案して、いままさに全国大会を実施している。棍棒なんてRPG(ロールプレイングゲーム)でゲームスタート直後に、眼の前に落ちてる初期装備くらいの存在でしかなかったが、彼らはリアルにそれを作っているのだ。

実は、棍棒の噂はツイッターでも、以前に見てはいた。棍棒を売っている様子がネットで盛大にバズっていて、タイムラインを賑わしていたからだ。しかし、そのバズりを見たときは、あまりピンと来てなかった。というのも、彼らがその裏に秘めている理性に気がついていなかったからだった。

「いいいじゅー!!」では、その背景も紹介される。つまり、私たちが一番よく木材として認識する杉。これは戦後の住宅難で、家をつくる材料として全国の山に植樹されたものだった。しかし、外洋材にとって代わるとともに、日本の植樹したはずの杉は使われなくなる。そして山は放置され荒れ果てていく。本来、人間の手が加わってはじめて成り立つ里山の風景が、いま放置されたスギ林によって、山のバランスが崩れてしまっている状態となっている。

この、ゆゆしき問題を解決するのが、棍棒なのだ。スポーツ用品としての棍棒に必要とされる要件は、もちろん家に使われる木材のそれとは大きく異なる。硬いほうがいい。重いとよく飛ぶ。でも、重くて硬けれればいいの? といえば、そうではない。スポーツには戦略というものがある。守備側は、棍棒をもって棍棒を弾き飛ばすのだから、機動力だって必要だ。そうしたスポーツとしてのプレーの多様化は、必要な木の材種の多様化につながっていく。つまりスポーツが広まり、多様な思想がそこに集合すればするほど、必要な木を自ら育てるために、山の多様性が恢復していくというのだ。

棍棒飛ばしの様子[提供:全日本棍棒協会]

棍棒飛ばし全国大会[提供:全日本棍棒協会]

なんという発想。わたしは、「いいいじゅー!!」での東さんの思いに、ズッキューンされていた。よくよく彼の活動を調べてみると、番組に出演していた東樫氏は同時に『人類堆肥化計画』(東千茅、創元社、2020)の著者でもあるそうだ。え? あの著者なの? という事実にぶち当たり、さらには同じく彼が主宰する団体の雑誌『つち式 二〇一七』では、あの社会学者・見田宗介が帯文を書いている。いつか、話してみたい……。そうした思いを、心のなかで抱えていた。

「いいいじゅー! 私も見たのよ! あれは感動モノね」と惠谷さんも太鼓判を捺す。

もうこうなったら、行くしか無い奈良県の宇陀に。棍棒をスポーツにするなら、やっぱり世界大会をやらなければね、という話しからはじまり、最終的に(企画書にはさすがに書けなかったけれど)ヴェネチアで無人島を所有するほうにまで話しはいたり、棍棒飛ばしの世界大会会場までアレヨアレヨと決まる始末。こうして、ビエンナーレの計画は、棍棒を思いついたところから、一気に話しが膨らんでいったのだった。

次回「ウダウダ言わんと、いざ宇陀へ!」乞う、ご期待。