会期:2024/07/31~2024/09/01
会場:京都芸術センター[京都府]
企画:河村清加
公式サイト:https://www.kac.or.jp/events/20240625/

「展示」「美術」という制度において、「眼差し」そのものをどう可視化することができるか。「仮設」「擬態」「視線を向けられない場所への介入」といった共通項から眼差しについて問う、丸山のどかと婦木加奈子の2人展。

展示会場の京都芸術センターは、元小学校の建物をリノベーションした施設である。ギャラリー南に入ると、「柵」が鑑賞者を視線もろとも遮るように置かれ、その奥には、室外機や単純化された木を模した立体物が立ち並ぶ。壁に沿って「1」の形を立体化したような構造体が等間隔に並び、コーナーには、丸いドットを散りばめた半円形の台座状のものが置かれる。すべては形態が単純化され、ベージュや無彩色で均質に塗られている。限りなく平明だが、謎に満ちた空間。

丸山のどか《ギャラリー南の周り》(2024)

普段は閉じている隅の扉が少し開いていることに気づき、屋外に出ると、元教室の建物とコンクリート塀の間の細い路地を、探検のように進む。すると、先ほど目にした「1」のような構造体がコンクリート塀の一部であることに気づく。丸石を積み上げた構造物が塀のコーナーに 実際にある ・・・・・ ことの驚き。その横には、風雨に晒されたシマウマや木の壁画が残されている。これまで幾度となく訪れて「知っていた」はずの京都芸術センターが、見知らぬものに変貌していくスリリングな体験。この路地には、展示台、脚立、スポットライトを実物大で模した ・・・ 立体が点在し、行き止まりには「現実の茶色い柵」が立ち塞がる。「あの柵の実物がやっぱりあった」高揚感と、「展示の終わり」を告げられる軽い失望。「展示空間」は建物外部へと拡張されつつ、「現実を模造した柵」と「現実の柵」によって境界が再画定される。

ギャラリー南の屋外

展示室内の作品は《ギャラリー南の周り》と題され、屋外の展示は《展示室》と題されていた。丸山は、空間への解像度を上げると同時に、内/外、中心/周縁の反転を鮮やかに仕掛ける。現実空間を実物大の模型で再現する手法は、トーマス・デマンドの写真作品を想起させる。デマンドの場合、歴史的・社会的事件の記録写真を基に制作した模型を再撮影することで、大量に流通する「複製イメージ」が現実以上の現実感を持つことと同時に、ぺらぺらの厚紙でできた光景が「現実感の希薄さ」を露呈させるという両義性をもつ。対して丸山は、「展示の周縁」とされる存在(脚立や展示台、照明などの機材、展示室の外部にある物体)の複製行為によって、「展示」が内部/外部、中心/周縁という境界化を生みだす力学そのものを眼差すよう、解像度を上げていく。


丸山のどか《展示室》(2024)

一方、ギャラリー北に入ると、「鑑賞者が入ってきた入口の方向を一斉に向くイーゼル」という、「不在の視線」に包囲される。ここでもまた、「イーゼル」は実物ではなく、トレーシングペーパーを白い糸で縫い合わせた、たよりなげな構造体である。婦木加奈子の《かろうじて立っている》は、自身がデッサンモデルをした際の経験に基づくという。また、婦木の写真作品《ストレンジャー》も、「仮設」「擬態」の戦略を用いて、ありふれた空間への眼差しの解像度を上げる作品だ。軒先から敷地外の路上にはみ出した大量の鉢植えの中に、植木鉢を模した自作の鉄製の彫刻を置き、撮影した。その写真は、木材のフレームや紐、ブロックを用いて、「展示室外」の空間に仮設され、何重にも境界を侵犯していく。こちらでも、塀の「1」型の構造体がフレームの支えに利用され、作品構造の一部に溶け込む。

婦木加奈子《かろうじて立っている》(2024)[撮影:守屋友樹]


婦木加奈子《かろうじて立っている》(2024)[撮影:守屋友樹]

何かに視線を向けることは、別の何かを「見えなくする」ことでもあり、視線の焦点化は視野から排除・周縁化されるものを生み出す。その表裏一体性の提示とともに、「共にあること」の寛容さについて体現する展示だった。

婦木加奈子《ストレンジャー》(2024/撮影2022)[撮影:守屋友樹]

鑑賞日:2024/08/24(土)