「漏れ」は良くない。
知らない間に鞄の中に漏れた食べ物や飲み物の汁、不用意に廃棄したゴミ袋から漏れる匂いは不快である。暗転させた展示室に差し込む一条の光は、希望ではなく興醒ましだ。組織に所属する私たちは、たいてい年に一度は情報セキュリティに関する研修を受講し、情報漏洩のもたらす悲劇や、それを自ら招くリスクについて反復的に叩き込まれる。事業計画を立案する際に項目の抜け漏れがあると、関係者全員が後で困る。温湿度制御すべき部屋には気密性が求められる(空気はできるだけ漏れてはいけない)。そして、展示室の天井から水が漏れてきたらとても困る★1。
私たちはまず、漏れないようなシステムを設計・構築・実施する。そして万が一にも漏れてしまったら、速やかに「漏れる前」の状態へと戻そうとする。あたかも「漏れなかった」かのように。
しかし、こうした努力はしばしば徒労に終わる。弛みなく作り上げられたシステムはいつか綻び、万全に設計された制度もいつしか疲労し破綻する。何よりも、あらゆることが制御可能だと考えるのは人間の傲慢だ。人工消雨や人工降雨の技術がいくら進んでも、たいていの場合、突然の夕立に成す術はない。人間どうし・生き物どうしが同じ地球の上で生きる以上、私たちは分かちがたく関わり合う存在であり、予期せぬ出来事や抗えない事象が、複雑な網の目のように私たちを捉えて逃さない。それならば、「万事漏れる」という地点まで、いちど戻ってみるのが良いのかもしれない(もちろん情報漏洩は決してあってはならないのだけれど)。漏れてしまうのだとしたら漏れをどうするのか。私たちは漏れに対して、どのように創造的になれるのか。
水漏れでサンバ:島袋道浩
2024年7月4日から9月23日までBankART Stationで開催されている島袋道浩の個展「音楽が聞こえてきた」の核となるのは、島袋が2015年にハバナ(キューバ)で発表した作品《キューバのサンバ》だ。この作品は「漏れ」なしに成立しない。島袋のテキストをそのまま引用しよう。「現場に行ってみると屋根は朽ちて半分以上無く、柱の鉄骨も錆びている。その広大な空間の真ん中あたり、天井を走る水道管は壊れて水が漏れ、コンクリートの床には大きな水たまりができていた。その連続して落ちる水滴の下に、拾ってきた空き缶をいくつか置いてみる。すると心の踊る音がした。」(展覧会公式サイトより)筆者はハバナ・ビエンナーレを見に行くことは叶わなかったが、当時島袋から本作の話を聞いた。空き缶を置くという何気ない所作が音楽を生み出し、日常の風景にちょっとした魔法をかけるような、島袋らしい作品だと思ったのを覚えている。
「音楽が聞こえてきた」展 会場風景 ©島袋道浩[提供:BankART1929]
「音楽が聞こえてきた」展 会場風景 ©島袋道浩[提供:BankART1929]
展示室の大部分は少し暗くなっていて、もちろん映像作品が多いという理由はあるのだが、視覚より聴覚が優位になるような仕掛けかもしれないと思う。大小8個の銀色に光る空き缶が、コンクリート打ちっぱなしの床に配置されていているのが見えてきて、まもなく天井から落ちてきた水が缶を打つ★2。響き線を張っていない小太鼓のような高い音がして、サンバの音が鳴った! と嬉しくなる。もう少し進むと、少し広くなった展示室の奥に白い展示壁やモニターが複数設置されており、うちひとつの前には多数の空き缶が置かれていて、今見た一群の空き缶と別に、もうひとつバンドがいるような風情である。まもなく、その右隣に配された三つのモニターが目覚め、アート・リンゼイ、カシン、そしてハバナで実際に展示されていた(「演奏」していたというべきか)空き缶が映し出される★3。三つのモニターが三人の演奏家のように音を鳴らしはじめ、ブラジルに縁のある二人とキューバの空き缶のセッションが《キューバのサンバ リミックス》(2016)だ。そして長きにわたる島袋の盟友、野村誠がリミックスした《キューバのサンバ リミックス》(2023)も展示されており、水の粒が缶を叩く音とほとんど同じピッチから展開する野村のダイナミックでジャンルレスな音楽は、本展のなかでも最も心が踊るパートのひとつだった。雨音を起点にして展開する音楽世界に没入していると、別の白い展示壁面に映像が映し出され、また違う作品が始まる。リンゼイ、カシン、野村、モレノ・ヴェローゾ、ブラジルのヘペンチスタ(吟遊詩人)、そして小杉武久といった音楽家と協働しており、作品どうしの音楽が混じり合わないようにしながら、途切れることなく音楽と映像を味わえる展示構成になっている。とりわけ、島袋が長年敬愛していた小杉武久が登場するふたつの作品《音楽家の小杉武久さんと能登へ行く(桶滝)》《音楽家の小杉武久さんと能登へ行く(見附島)》(いずれも2013)は、即興的に演奏する小杉にヴィデオカメラがゆっくりと寄り添うような構造になっており、他の作品とは異なる緊張感がありながら、島袋の肩越しに小杉の音楽を聴いているような親密な雰囲気もあった。
与件を受け止め、投げ返す。それはハバナの展示場で島袋がしたことであり、島袋から依頼された音楽家たちがしたことでもある。世界のなか、環境のなかで、創造的に関係し合うことが、この展覧会では提示されている。展示室を一巡した後で、展覧会冒頭で見た天井からの水の滴りが、リアルな水漏れだと知って驚いた(真上に花壇があるとのこと)。そもそもBankART Station自体、閉鎖性のない空間である。みなとみらい線新高島駅構内地下1Fにあるこの場所は、受付こそあるものの展示空間と地下公道は緩やかに繋がっており、今回はその不思議な抜け感も心地良さに繋がっている。温湿度制御は困難な空間だろうから、たとえば美術館の所蔵品を借用するのは難しいだろうが、このような場所でしかできない展示があり、それを羨ましくさえ思った。たとえ水漏れがあったとしても。
漏れて流して動かす:毛利悠子
さて水漏れといえば、毛利悠子が2009年からフィールドワークを始めた《モレモレ東京》である。このシリーズは、地下鉄の駅などで突発的に生じた水漏れに、駅員らが即興的に対応したブリコラージュの様子を写真で採集し始めたことに端を発している。ガムテープやゴミ袋、ホースやペットボトルなど、手近な素材を使ってなんとか修繕した様子には、即興的な創造性が見て取れる。日用品を使ってキネティックなサウンド・スカルプチャーを手がける毛利が、名もなき駅員たちの創意工夫に共鳴するのは頷ける。このシリーズはやがて発展し、日産アートアワード2015では《モレモレ:与えられた落水 #1-3》(2015)に結実しグランプリを受賞した。マルセル・デュシャンの「大ガラス」、《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》(1915-1923)に直接的に言及したこの作品では、毛利自身が落水と水の循環の構造を作り出している。
毛利悠子 《Decomposition》“Trust & Confusion” Tai Kwun Contemporary(香港)、2021[撮影:竹久直樹]
Courtesy of the artist, Project Fulfill Art Space, mother’s tankstation, Yutaka Kikutake Gallery, Tanya Bonakdar Gallery
毛利悠子 《Decomposition》”Art & New Ecology” The 5th Floor(東京)、2022[撮影:竹久直樹]
Courtesy of the artist, Project Fulfill Art Space, mother’s tankstation, Yutaka Kikutake Gallery, Tanya Bonakdar Gallery
水という素材は、電気と共に毛利にとって非常に重要なエレメントだ。それらは高低差や電位差によって自然に流れる(そしてたまに漏れる)。2021年から始めたシリーズ《Decomposition》は、果物に電極を刺して電気を流し、それを音と光に変換している。音や光は電気抵抗値によって変化するが、この抵抗値は果物内部にある水分量に左右される。次第に朽ちていき、あるいは乾燥していく果物そのものが、音と光をコントロールしているのだ。
現在、第60回ヴェネチア・ビエンナーレの日本館代表(キュレーターはイ・スッキョン)として毛利が発表しているのは、《モレモレ:ヴァリエーションズ(Compose)》と題された、やはり循環する落水のインスタレーションと、この《Decomposition》のシリーズである。《モレモレ》は傘や瓶、ホース、たらいなど、ヴェネチアで手に入れた日用品を組み合わせている。吉阪隆正が設計した日本館はちょっと不思議な建築で、天井と床にそれぞれ開口部が設けられている。この開口部は、作家によっては完全に塞いだり、あるいは開けたままにしたり、いずれにしても展示や作品との整合性を図るのが難しいポイントとなっている。毛利はもちろんこの構造を積極的に作品に取り込んだ。建物の中と外の境目が曖昧になり、水が漏れるどころか、時に雨が降り込む展示室だ。筆者は展覧会オープニングの時期に何日か続けて日本館を訪れたが、大雨の時には開口部に設置された透明のビニールタープが想定以上の風雨を受けてバタバタと大暴れしつつも、そのこと自体は作品性を毀損するどころか、むしろ肉付けするような頼もしささえ感じられた。
毛利悠子「Compose」2024年第60回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展・日本館インスタレーション[撮影:久家靖秀]
Courtesy of the artist, Project Fulfill Art Space, mother’s tankstation, Yutaka Kikutake Gallery, Tanya Bonakdar Gallery
2024年第60回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展・日本館インスタレーション[撮影:久家靖秀]
Courtesy of the artist, Project Fulfill Art Space, mother’s tankstation, Yutaka Kikutake Gallery, Tanya Bonakdar Gallery
日本館のタイトルは「COMPOSE」。作曲する、構成するという意味だが、作家は「共にいる[com/pose=place together]」という語源を強調する★4。現地で調達したさまざまな素材を共に置き、光も水も風も受け止めつつ、ローカルの人々と共に働く。予測のできない水の動きを無理に閉じ込めて封じるのではなく、漏れて流して動かすところから、毛利の創造が始まっている。
「漏れ」は良くない、できれば漏れないでほしい。でもやっぱりどこかで漏れるのだとしたら、その「漏れ」が開く新しい世界の扉を、なるべく閉じないようにしたいと思う。
★1──2024年4月9日、筆者の勤務する国立国際美術館では、地下1階講堂及び地下2階コレクション展示室内の一部に漏水が発生した。このため、地下1階講堂及び地下2階コレクション展示室を閉鎖し、「コレクション2」は会期途中で終了した。以下参照されたい。https://www.nmao.go.jp/2023_collection2_oshirase/
★2──その後、8月下旬の大雨で漏水が進み、缶の数が増えて現在は合計12個とのこと(島袋から筆者へのEメール、9月3日)。
★3──アート・リンゼイは、幼少期をブラジルで過ごした異才のギタリストである。カシンは2000年代以後のブラジルMPB音楽の中心的存在の音楽家。
★4──「【対談】毛利悠子×イ・スッキョン:ヴェネチア・ビエンナーレ2024日本館での展示を語る」『TOKYO ART BEAT』 https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/sook-kyung-lee-yuko-mohri-interview-202405