2024年8月27日11時50分羽田発フランクフルト行。フライト情報によれば、ロシアと米国アラスカの間をベーリング海峡に向け飛行中。パソコンは日本時間の17時16分を示しているが、実際は、地球上を高速で時間を乗り越えて進んでいる、それも北極圏を飛び越え過去に向けて。ここは近代以降に人間が基準とする世界時間の「はざま」にある。そしてそれを可能にしているのは、現代の科学・技術なのだ。
羽田空港を出てすぐの機内からの雲の風景[筆者撮影]
フルイドスケープ
渡り鳥は、自然の風や気流を利用して数千kmという距離を移動する(それと異なり人間は、エンジンを稼働させ移動する)。渡り鳥は春と秋に移動するが、大陸と海洋の寒暖差で生じる季節風(モンスーン)がむしろ彼らを動かしているともいえる。そして海では海流が魚や鯨を動かしている。
海流をともなう海洋循環が熱帯から温水を高緯度へと運び、大気循環とともに地球上の南北の熱輸送に貢献していること、大気と海洋の循環がつながるひとつのシステムであること★1……鳥や魚や鯨だけでなく、人も含めたあらゆるものが自然の循環に乗り移動してきた。それに対して技術を発展させ、大量かつ高速の移動を実現させた唯一の存在が人間である。
久高島、立山、軽井沢、青森、小豆島……今夏はとりわけ多くの地を訪れた。長年行きたいと思っていたり、展示や会うべき人がいたりと、いずれの場所からも呼ばれた気がして足を踏み出した。鳥や魚ではないが、まるで見えない流れや循環に乗せられているように移動するなか、むしろ生きていること自体が移動であり旅なのではと思い始めた。
人と人、人と動植物、人と物、物質と非物質、寒と暖……さまざまな物や情報が出会い交わり、新たな流れや循環を生み出していく。地球上でたゆまず生起する現象は、フルイド(流動的な)ものであり、私たちはその只中で自らも常に流動し続けている。そのことを「フルイドスケープ」と呼んでみる。世界を流体や循環、移動という情報のフローから見るまなざしであり、流体そのものとして動かされ移動する存在やプロセスそのもの……この夏に出会った、そのような世界と共振しつつそれらを可視化する作品やエピソードを「AOMORI GOKAN アートフェス2024 つらなりのはらっぱ★2」を中心に巡った体験から紹介したい。
つむじ風(飄)──鴻池朋子展から
昨夏、国際芸術センター青森(ACAC)で共同キュレーションをした「EIR(エナジー・イン・ザ・ルーラル)」という南イタリアLiminariaと青森ACACとのプロジェクトで滞在した際、下北半島を含めいくつかの地を訪れた★3。青森に来たのはそのときから約1年ぶりとなる。
青森県立美術館では、「鴻池朋子展 メディシン・インフラ」が、大規模な展示全体でただならぬ振動とパワーを会場に響かせていた。鴻池が昨年から東北で展開するプロジェクト《メディシン・インフラ(薬の道)》(縁のあった場所に自作を展示保管してもらうもの)の一環で、地元の人々による各自の記憶をたどった刺繍、動植物をはじめ森羅万象が交歓するかのような空間(見えないものが浮遊し飛び交い、ときに憑依するかのような)、戦争で家を追われた人々や動物をモチーフとしたベッドカバー、研究者を中心に15組の人々が鴻池作品と遊び、研究や作品を発表する「新しい先生は毎回生まれる」をはじめとした展示の数々。とりわけさまざまな人々の手を介した制作では、既存の美術館やアートのシステムやインフラに対して感じた違和感から、アートを社会に開いていく活動を精力的に展開しはじめた鴻池の今を如実に語っている。
「鴻池朋子展 メディシン・インフラ」「竜巻」展示風景 青森県立美術館[筆者撮影]
「鴻池朋子展 メディシン・インフラ」「眠り」展示風景 青森県立美術館[撮影:artscape編集部]
「新しい先生は毎回生まれる」に参加した木下知威(歴史家/障害史・建築学)は、美術館と滞在先の松丘保養園(サテライト会場)の行き来のなかで発見したものを地図に描き、複数のテキストを発表した。筆談を行なっていた木下と話したとき、彼が自らを「飄(つむじ風)」と表現したことが印象に残った★4。つむじ風は異なる風が出会い絡み起き、大小複数のつむじ風が出会うことで渦巻きが増幅し分散していく終わりのないプロセスにある。自らを生成流転のプロセスで発生する個体を超えたノードと位置付けるかのような木下に共感を覚えた★5。
「新しい先生は毎回生まれる」 木下知威氏の展示机 青森県立美術館[筆者撮影]
「新しい先生は毎回生まれる」 木下知威「つむじ風たちとの筆談」展示風景 青森県立美術館
ここで木下が実際に来場者と筆談した[撮影:木下知威]
流れと出会い──是恒さくら、岩根愛
「currents / undercurrents -いま、めくるめく流れは出会って」展(ACAC) は 、「current」(海流や気流、水や空気、電流などの流れ)と「undercurrent」(知覚しにくい流れや暗示を意味)をテーマに、人を含む生き物が自然環境に応じて移動し生きてきたことを踏まえ、移動により起きるつながりや紡がれる歴史や記憶などを青森との関わりから提示する展示である。作家は11(うちひとつは発見地に下北を含むアイヌの衣服)で、立体、木版、写真、映像、手仕事やドローイングほかによるインスタレーションなど、多様なメディアやアプローチで青森の歴史や記憶、自然を多層的に浮き彫りにすると同時に、前後期で展示を変容させることで流れと出会いを更新していった(筆者は後期に訪れた)。以下、大気や海洋と関わる是恒さくらと岩根愛の作品について述べていく。
是恒さくらは、2010年代後半より「ありふれたくじら」というフィールドワークを基盤としたプロジェクトを主に展開してきた。東北を中心に国内外の鯨文化を残す地を訪れ、人々の話を聞いたうえで時間をかけ手仕事(刺繍や染め物など)やテキストを編み上げ、リトルプレスの発行★6や展示を行なう。近年はとりわけ東北と北海道を中心に鯨にまつわる民間信仰を調べてきたが、2022年から1年間のノルウェー滞在後、2024年2月から青森に約半年滞在し制作を行なった。県内の鯨やイルカの回遊と人とが交わる伝説を調べ、集めた着物や端切れを使い、人々との対話や共同制作を積み上げながら生み出されたのが、鯨と人をつなぐ繊細かつ壮大なインスタレーションである。
「currents / undercurrents -いま、めくるめく流れは出会って」展 是恒さくらによる手製本(会期中に数冊製作) 青森公立大学 国際芸術センター青森[撮影:artscape編集部]
会場でひときわ目立つ2つの布の形状は、ひとつの存在をあらわしている。円筒状を形成する紺色の帯状の布は、床では詰め物が入った立体物とつながり(足のようでもある)、大きな詰め物にも延長されている。作品は、布を解き割き重ね縫い、藍で染め直す工程を経た異なる色や素材の布をつなぎ合わせたもので、イルカや鯨、そして鯨の胎児が刺繍されている。その右に吊られているのは赤い経糸で織り上げた裂織で縁取られ、内部は布がパッチワークを成す鮮やかで大きな布で、下を向いた鯨の頭部に見える。2つの布の形状は鯨の上半身と下半身で、下半身の先端が立体的な足となった状態だろうか(前期は鯨の尾として閉じていたが、後期は開かれて足となることで樹木のような形象に変化したという)。大きな詰め物(前述)は、鯨の胎児だろう。頭部の布から赤い糸が下半身の布へと延び、帯状になり床へと下がっているが、この帯には上半身が人で下半身が鯨の姿が描かれている。いずれも人と鯨とのハイブリッドである。
「currents / undercurrents -いま、めくるめく流れは出会って」展 展示風景 青森公立大学 国際芸術センター青森[撮影:小山田邦哉 写真提供:AOMORI GOKANアートフェス 2024 実行委員会]
人にとって鯨は、恵みをもたらす宝であり信仰の対象でもあった。鯨にまつわる記憶や伝承は、青森でも近代捕鯨技術の受容以降、久しく薄れていたが、是恒は各地に残る人とイルカや鯨との関係を丁寧に掘り起こし、人々とともに作品として現代に甦らせた。人々の記憶が染みた布、刺繍、そして是恒の思いがうねりとなって生み出された、驚くべき鯨と人の混交(ハイブリッド)が放つ波動は、目の当たりにした人それぞれのなかで新たな波動を呼び起こしたことだろう。
鯨と人との混交は、是恒においても起きている。アラスカと山形で学び、鯨に呼び寄せられるように各地を巡り、東北や北海道を拠点に制作を重ねてきた彼女は、自身を鯨のように移動し旅する存在と見なしているように思われる。
岩根愛の《The Opening》(《離脱の試み / Attempt at Disembodiment》(2023-2024)★7の関連作品)は、暗い空間のなかで床全面にうねり変化し続ける波の映像が平衡感覚を揺るがせる。陸と海の境界で、異なる方向から異なる色の波が押し寄せぶつかり複雑に絡み合う様態の只中では、時間さえ忘れてしまう。
波は、なんとも複雑な様相を呈している。海からの波や地形、上流からの流れ、水質、水温、水の色そして風などの相互作用によるのだろう。映像は複雑な情報フロー──フルイドスケープ──そのものであり、それは単一的な時間や空間の概念や位相では把握できない。私は加えて、見えない水──大気中の、そして地中の水脈──へと想いを馳せる。
「currents / undercurrents -いま、めくるめく流れは出会って」展 岩根愛《The Opening》展示風景 青森公立大学 国際芸術センター青森[撮影:小山田邦哉 写真提供:AOMORI GOKANアートフェス 2024 実行委員会]
映像は、米国カリフォルニア北部のマトール川の河口を岩根が撮影したものである★8。ここでは春から夏に大地が渇き、河口では砂が干潟となり水を遮断してしまう。 雨季となる秋の満潮の日に、山から水が一斉に流れ、河口が決壊し海とつながる。そして太平洋を回遊した鮭が、生まれた川を遡っていく。生き物のような複雑な流れや渦をともなって海と川がつながることで、鮭が産卵し、死骸が川や大地に養分をもたらしていく。岩根はこの驚くべきつながりの瞬間──生命の躍動というべきか──を私たちに見せてくれた★9。
波の映像は、ドローンによる。つまり見る側は、ドローンからの視点として自然の恩恵を俯瞰し享受している。岩根は当初ドローンに、撮影における自身の眼とカメラの眼の分離という、体験したことのない違和感を覚えたという。その違和感から「体外離脱」に興味を持ち、青森では古武術における体外離脱の訓練なども試みた。パノラマカメラによる写真に関わり、体感(本人の言葉では「体が腑に落ちる」)を重視する岩根にとって、ドローンと関わるには逆に分離を体感することが必要だったのだろう。
人間以外の存在から〜「野良になる」、そしてThe Termites(小豆島)
自然界の渦巻きは各所に見られるが、渦巻自体が生命をもつようにも見える。つむじ風(木下:「飄」)や岩根がとらえた波の渦は、異なる空気や水が出会い絡まることから生成変化し続ける。
十和田市現代美術館での「野良になる」展では、近代的な人間像から逸脱する存在や思考を「野良」──野生でも飼われるのでもないあり方──という可能性としてとらえ、4人による作品が紹介されている。
トランスジェンダーや美術教育を受けていないアーティストによるオルタナティブで想像的な都市や地図、養殖という人間によるドメスティケーションの問題、植物などを基盤とした近代以前の叡智(先住民などによる)の発現など、アプローチは異なるもののどの作品からも、自明とされる社会の価値観への問いかけが発信されている。
永田康祐の《鮭になる》は、十和田湖の鮭(ヒメマス)の養殖から発想を得たアニメーションで、寄生虫に蝕まれ排除された鮭とそれを処分する役割の「老いた人」が描かれている。文化人類学マリアンヌ・E・リアン(Marianne E. Lien)の『Becoming Salmon: Aquaculture and the Domestication of a Fish』に由来するタイトルとともに、永田(監督・脚本)と山本悠(作画・演出)らが綿密な検討を重ねた上で仕上げた作品は、シンプルな絵とストーリー、淡々で叙情に満ちたナレーション(遠藤麻衣)で広く人々に語りかける。そこで露わにされるのは、ドメスティケーション・システムから外れた人間や非人間であり、淘汰されるものへの共感とともにそれを救/掬いあげられない現実の非情である。永田は、養殖という私たちの日常に不可欠となったシステム、それを稼働させる人間の欲望、そして人間や非人間を含めた生政治の問題に目を向けさせる。
「野良になる」展 永田康祐《鮭になる》(2024)展示風景 十和田市現代美術館[撮影:冨田了平]
上述のいずれの作品も、人間中心的ではないまなざしをアートを介して挿入することで、自然と人間の関係を問い直すものである。とともに、流動的な「フルイドスケープ」としての世界観──人為的な境界を超え、さまざまなものが関係し合うことで新たな流れや現象を生成し続ける──という世界観を持つように思われる。
青森訪問の1週間後、小豆島では、ジェームズ・ジャック(James Jack)と越後正志が中心となって展開するThe Termites(白アリを意味)を訪れた。「モアザンヒューマン」──人間のためだけではない──の視点でのアートを通した地域活動で、家屋を侵食する白アリもプレイヤーとして位置づけている。元そうめん工場を改造した拠点を訪れた後、コラボレーターのひとりである明日夏さん(皿井明日夏、ヨット操縦者)のヨットに乗せていただいた。沖では風に恵まれ、ジャックもサポートに入りなめらかに帆走する、ヨットの傾きと浮遊感にこれまでにない感覚を呼び覚まされる。風を敏感に読み臨機応変に帆を調整し操縦する現場は、まさにフルイドスケープのダイナミズムの中にある。ギリシャ語の「キュベルネシス(舵を切る)」 という、サバイバルのために情報を感知し行動する人間とテクノロジーの連携と循環の実践ともいえる★10。
ヨット出発。操縦する明日夏さん[筆者撮影]
ヨット上での明日夏さんの言葉が心に残る──操縦しているとき感じるのは、環境の只中にいること、そして同時にヨットで航行する自分を外の視点から見てもいること。岩根が、地上にいながらドローンを介して幽体離脱を感じることを思い出す。いずれも自らを二重の存在として把握しながらそれらが相互に関係し、人間と環境も複層的相互に関係し続けている側面において。それは知覚可能と不可能なもので満ちたフルイドスケープの只中で、流れを感知し俯瞰しようとするたえまない運動と言えるだろう。
currents / undercurrents──めくるめく流れが出会って
8月27日、機内からの雲の風景[筆者撮影]
北極圏を飛び越え、同日フランクフルトに到着し、マルセイユ空港から南仏のアルルへ。「Agir pour le Vivant(Act for Living)」という精神、生命、環境、社会をアートでつなぐオルタナティヴなフェスティバルを視察した。その最終日に「currents / undercurrents」を体現する出会いに巡り会うことになる。この日はバスで約40分の自然の中に佇む施設Domaine de la Motteで、水をめぐるトークやとコロンビアのシャーマンによる儀式とトークがあった。バスに乗り込む前に出会ったのが、岩根が通ったカリフォルニア北部ペトロリアの高校の先輩マイケル・ライアン(Michael Ryan)である。この日最初のプログラムでトークを行なうPlanet Drum Foundationのディレクター、ジュディ・ゴールドハフト(Judy Goldhaft)の娘オーシャンの夫で、ジュディは岩根の映像作品にも協力しているという。バスでマイケルの隣に座り、岩根のことやマトール川の環境や鮭、川の名前にもなった部族マトールのことをうかがった★9。快晴の午前、静かな川辺でジュディは亡き夫のピーターとともに1968年のサンフランシスコに発し行ってきた活動や、ペトロリアに移り1973年に「バイオリージョン」★11を提唱する財団を設立以来展開する活動について語り、最後に水と母性の関わりを表す「水の踊り」を披露、みんなでシナジーを共有した。
ジュディ・ゴールドハフトのトーク風景[筆者撮影]
鮭が毎秋マトール川に回帰するように、岩根がペトロリアに戻り始め、そして私は2週間前青森で初めて岩根に出会い、南仏に来て彼女をよく知るマイケルやジュディらに出会った。異なる場で関わってきた要素が突然つながる体験はこれまでも何度かあったが、今回はとりわけ「めくるめく流れが出会った」ように感じる。見えないものの、すでにあったつながり(undercurrent)が可視化されたかのように。
ジュディが持参したカリフォルニア北部沿岸と水系の地図(マトール川を含む)[筆者撮影]
「関係論という点でいうと、インゴルドを始めとする最近の人類学が行っている『リレーショナル・シンキング』は、まさに仏教における『縁起』の考え方に他ならないと思います。つまり動きのなかで、あるものが別のものとの関係において生じていく。その関係的な流れを、ある思考として取り出すという点では、縁起もマルチスピーシーズ民族誌も、同じような世界の捉え方をしようとしていると思います」(奥野克巳インタビュー「縁起あるいはアニミズムの他力性」)★12
関係的な流れをある思考として取り出すという点で、奥野が語る縁起やマルチスピーシーズ民族誌と「フルイドスケープ」という世界観は、共振しうるのかも知れない……このことについては、今後も続く旅のなかで探索していきたい。
★1──安成哲三『モンスーンの世界』(中公新書、2023)より。
★2──2024年4月13日から9月1日まで、青森県立美術館、青森公立大学 国際芸術センター青森(ACAC)、十和田市現代美術館、弘前れんが倉庫美術館、八戸市美術館開催されたアートフェスティバル。https://aomori-artsfest.com/
★3──2021年から2023年に開催。初年度はオンライン、2022年は日本からアーティストとキュレーターが南イタリアに滞在、最終年の2023年にイタリアからアーティストとキュレーターが来日し滞在。https://acac-aomori.jp/program/eir-2023-1/、https://acac-aomori.jp/program/eir-2023-2/
“rural”は、日本語に適切な言葉が見当たらないが、本プロジェクトでは「田舎」を使用した。
★4──その後木下が、自身の展示や滞在を含むプロジェクト全体を「つむじ風(飄、と書く)」と呼んでいることを知る。その後彼から参考にといただいた映像(9月から展示机の上で上映、会期後は本人のサイト上で公開予定)には、以下の言葉があった。「飄とは渦巻くように昇っていく風。突如としてあらわれ、周りをかき回して消えていく。わたしたちは飄のように美術館のあいだを 青森の街を波立てながら吹き抜けていく。わたしは『メディシン·インフラ』で つむじ風のように現れて消え去っていく」。
★5──本展のプレスリリースに、「随所で発生する『竜巻パラソル』に巻き込まれ」という文言を事後的に発見した。鴻池は、地球や自然の振動や動きを複数の「竜巻パラソル」として会場で発生させ、来場者に体感してもらおうとしているのだろう。
★6──是恒はまた会期中に手作りの冊子を数冊制作し、会場に展示した。そこでは青森での体験とともに、青森の諏訪神社にイルカが詣でたり、銛で撃たれ八戸に辿り着き石として祀られた鯨(八戸太郎)の伝承など人々と鯨との関わりが語られ、舟形の中に描かれた絵や人と鯨が合体した絵とともに綴じられている。それらはいずれも、鯨道(鯨の回遊ルート)──海流と関係する──から外れて人の住む地に流れ寄る鯨と人との関係を物語っている。
★7──《離脱の試み / Attempt at Disembodiment》(2023-2024)(後期展示)では、パノラマ写真を含む写真作品が展示された。2023年春から開始した本展の制作期間で、記録し続けている福島とハワイ(移民を通じたつながり)に加え、コロナ禍以来関わっているカリフォルニア(《The Opening》)に青森を加え、これらを往還しながら本作を制作した。この期間に岩根は、父と母が亡くなるという体験を経ている。
★8──岩根は、高校時代をマトールの谷にある町ペトロリア(1970年代にフラワー・チルドレンが築いたコミュニティ、名称は石油井に由来)で過ごした。コロナ禍の時期に現地を訪れ、固有種の鮭と環境保護のためのマトール・サーモン・グループや連携する環境保護団体に出会い、活動に共感し、通い、映像作品を制作してきたなか、決壊を撮影するためにドローン使用を決意、2022年11月7日にその瞬間を収めた。
★9──マトール川は先住民(マトール族)が住んでいた頃は深い川だったという。開拓民が伐採を進めたことで川が広く浅くなり、水が海に流れなくなったと現地の方(マイケル・ライアン、後述)に聞いた。加えて地球温暖化の進行も原因のひとつであると推測する。
★10──ノーバート・ウィーナーが1945年に提起した「サイバネティックス」はこの言葉に由来する。サイバネティックスは分野やメディアを横断し、情報フローセンシングと制御を扱う理論として重要である。現代においては、デジタル監視に代表されるように閉鎖回路的に使用される側面も含め、人間や非人間のための活用可能性を広く検討していく必要があるだろう。
★11──バイオリージョンとは、相互に関係し、つながった動植物のコミュニティや自然のシステムが維持された地域で、しばしば分水嶺として定義される。人が住んでも乱したり傷つけてはいけない「生命の場」。(Planet Drum Foundationのサイトより)
★12──奥野克巳インタビュー「縁起あるいはアニミズムの他力性」(『談』2024 No.130「特集:トライコトミー…二項対立を超えて」、発行:公益財団法人たばこ総合研究センター[TASC]、発売:水曜社、2024)。
鴻池朋子展 メディシン・インフラ
会期:2024年7月13日(土)~9月29日(日)
会場:青森県立美術館(青森県青森市安田字近野185)
公式サイト:https://www.aomori-museum.jp/schedule/13464/
currents / undercurrents − いま、めくるめく流れは出会って(AOMORI GOKAN アートフェス 2024メイン企画)
会期:前期=2024年4月13日(土)~6月30日(日) 後期=2024年7月13日(土)~9月29日(日)
会場:青森公立大学 国際芸術センター青森(青森県青森市合子沢字山崎152-6)
公式サイト:https://acac-aomori.jp/program/2024-1/
野良になる(AOMORI GOKAN アートフェス 2024メイン企画)
会期:2024年4月13日(土)~11月17日(日)
会場:十和田市現代美術館(青森県十和田市西二番町10-9)
公式サイト:https://towadaartcenter.com/exhibitions/noraninaru/
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