会期:2024/09/05~2024/11/20
会場:日本民藝館[東京都]
公式サイト:https://mingeikan.or.jp/exhibition/special/?lang=ja
いろは文の風呂敷や型染カレンダーを私も愛用していたことがあるほど、染色家、芹沢銈介の作品は、現代においても魅力が失われることはないと実感する。本展は来年、生誕130年を迎える芹沢銈介の軌跡を紹介するものであるが、ユニークなのは自身の作品のみならず、「芹沢の眼」として収集品の紹介にも重きを置いていたことだ。本展を観るまで知らなかったのだが、芹沢は「もうひとつの創造」と自ら言うほど、生涯にわたって古今東西の工芸品を大量に買い集めてきたコレクターであった。それは24歳のときから始めた、数百枚に及んだ小絵馬の収集に端を発する。残念ながら小絵馬は戦災で焼失するものの、戦後に収集した工芸品だけでもなんと6,000点以上にのぼったという。染織、木工品、漆器、ガラス、陶磁器、家具、書籍、玩具、人形、装身具、絵画などその分野は幅広く、しかも世界中から集めたようで、まるでキュレーターのような能力をいかんなく発揮していたのである。芹沢が師と仰いだ柳宗悦も「本当の美しさがわかっている」と、彼の審美眼を高く評価していたようだ。
そのごく一部に過ぎないが、展示された芹沢の収集品を眺めると、確かに「芹沢銈介の世界」を表わしているように思えた。どこか歪さと大らかさ、愛らしさを持ち合わせた、手仕事の跡が見られるものばかりだったのだ。それでいて佇まいが端正で、人の暮らしを支えてきたという矜持すら感じられる。
それにしても、なぜ、芹沢は収集を「もうひとつの創造」と位置付けていたのか。ここからは想像でしかないのだが、収集はきっと創作活動における糧となり、また収集品は自らのアイデアの源泉にもなったのだろう。つまり収集を通して得られた豊かな経験が、自らの引き出しとして蓄積されていたに違いない。言い換えれば、枯渇を恐れていたクリエイターなのではないか。最晩年まで描くことを止めなかったという逸話からしても、創造に対する強い執着を感じるのである。芹沢にとって創作と収集は、きっとコインの表と裏のようなものなのだ。そうした観点で本展を観ると、なかなか興味深いものがある。
芹沢銈介《御滝図のれん》(1962)紬、型染 縦129.0cm、静岡市立芹沢銈介美術館蔵
芹沢銈介《伊曽保物語屏風》(部分)(1932)紬、型染 4曲1隻
芹沢銈介《沖縄笠団扇文着物》(c.1960)紬、型染 丈160.0cm
鑑賞日:2024/09/06(金)