会期:2024/09/17〜2024/10/14
会場:CREATIVE HUB UENO “es”[東京都]
公式サイト:https://ueno-es.jp/exhibitions/198.html

人形とは「人の形を写したもの」★1であり、そんな自己の客体化を通じて、私たちは古来より呪術や宗教、芸術に象徴性を担保してきた。とりわけアニメーションにおいては人形劇の伝統を引き継ぎつつ、日本も含め世界中でアートからエンターテイメントまで多様な実践が積み重ねられてきた。そんな人形アニメーションを創作の中心に据えながら、近年アートと短編アニメーションそれぞれのシーンにおいて、積極的な活動を展開しているのが副島しのぶだ。彼女のキャリアは学部生時代の立体制作から始まり、大学院入学以降アニメーションに注力するようになってからも展示に力を入れ、写真やインスタレーションといった多様なスタイルに挑戦している。

このたびの個展「私の横たわる内臓:循環するhub」は、新作アニメーション《私の横たわる内臓》(2024)をフィーチャーしながら、ギャラリー空間を変質させようとする試みだった。それは同作のテーマが、日本の民間信仰である「胎内潜り」であり、胎内という内部と外部の循環であることに関わっている。

「私の横たわる内臓:循環するhub」展示風景[撮影:ただ(ゆかい)]

《私の横たわる内臓》は、あるときふと発見された内部への通路をくぐって行く場面から始まる。そして、その入り口を少し進むと、狩猟や農耕といったメタファーを通じ、さらなる深淵へと潜っていく。そして、その出口では場面が一転し、労働や遊び、芸術といった営みが展開され、内部と外部が反転したかのような印象を受ける。こうした序盤の流れは、作品のテーマを端的に表現していると言えるだろう。

副島しのぶ《私の横たわる内臓》(2024)より[画像提供:副島しのぶ]

そして副島は後半にかけて、この内部と外部という主題を、生と死をめぐるドラマへと昇華させる。中盤以降物語が展開する文明空間では、肉塊や農作物らしきモチーフを登場させることによって、その営みが人間以外の生物と関わる、より大きな循環であることが明示されており、さらにその生活は、儀式的な要素を描くことによって、象徴性がさらに高められていく。

副島しのぶ《私の横たわる内臓》(2024)より[画像提供:副島しのぶ]

この儀式パートでは再び内部へと送り返される人物が飾り立てられ、その後共同体の人々に取り囲まれるなか、涙を流す。この人物はいわば「生贄」として、臓器的な内部へと送られてしまうのだ。この涙を流す場面は、《私の横たわる内臓》が一貫して感情移入を促す演出を抑制してきただけに、ひときわ印象に残る。副島のアニメーションは人形の表情に変化をつけず「いかなる表情にもなりうる顔」★2としてしばしば形容される、能面のような雄弁さを湛えており、だからこそ作中唯一表情に対して直接的な演出を加えられるこの場面は、鑑賞者の情緒を刺激するハイライトとなっている。犠牲は集団を維持するためのものであり、一定の条件を満たせば誰でもいい。しかしだからといって、当事者からすれば単純に了解できるものではないだろう。だが集団の掟において、個人は無力である。そのことを象徴するかのように、涙を流す人物のかたわらには、甲虫が裏返った状態で脚をじたばたとさせている。

「私の横たわる内臓:循環するhub」展示風景[撮影:ただ(ゆかい)]


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★1──押井守『イノセンス創作ノート─人形・建築・身体の旅+対談─』(徳間書店、2004)p.15
★2──おかだえみこ「人形アニメの来た道、その魅力」(『夜想』34号[特集:パペット・アニメーション]、ぺヨトル工房、1998、p.52)


鑑賞日:2024/10/06(日)