会期:2025/01/31~2025/02/16
会場:東京都写真美術館ほか[東京都]
公式サイト:https://www.yebizo.com/

東京都写真美術館と恵比寿周辺の施設を舞台に、2009年から継続して開催されている恵比寿映像祭は、映像とアートを横断的に捉えることを主眼とし、毎年異なるテーマのもと、展示や上映、ライブ・パフォーマンス、トークセッションなど多様なプログラムを展開する国際フェスティバルである。

今年度は「Docs―これはイメージです―」をテーマに、「ドキュメント」と「ドキュメンタリー」の境界に焦点を当て、事実に基づく記録物と映像・メディアの手法、さらに変容する言語とイメージの関係性を探求する試みがなされた。東京都のコレクション作品をはじめ、国内外のアーティストや映像作家による出展作品、コミッション・プロジェクトなど、多彩な表現が交錯する場となっている。

美術館での展示作品のなかでも、ドキュメントとドキュメンタリーの結びつきを紐解き、メディアを介して描き出される記憶に焦点を当てた作品に注目したい。

メディアアーティストの劉玗(リュウ・ユー)による『If Narratives Become the Great Flood』(2020)は、世界各地で語り継がれてきた「大洪水」の神話を題材にしたビデオインスタレーションである。本作はドキュメントの調査・研究を基にしたフィールド・スタディを元に、異なる文化圏における断片的な歴史や物語、ことわざを交差させながら、複数の神話にまたがる多層的なナラティブを構築している。インスタレーション空間では集合的な経験や記憶が溢れ出すように展開され、現代における神話の意味や人類の認識のあり方を再考する試みとしても捉えられる。三章構成の本作では、土偶に似た彫刻が配置された舞台上にビデオが投影され、サウンドとともに多様なメディアが交錯する。特筆すべきは、ナレーションの吟詠や、太鼓のリズムに同期した映像の展開によって、異なる神話の解釈を音節のリズムを介して浮かび上がらせ、アナロジーを通じて新たな神話のあり方を探求する点である。

劉玗『If Narratives Become the Great Flood』(2020)[筆者撮影]

アピチャッポン・ウィーラセタクンによる《時間の箱》(2024)は、映像ではなく52枚の写真によって、作家自身が近年訪れた場所の風景を提示する作品である。『ブンミおじさんの森』(2011)や『光りの墓』(2015)など民話や個人的な記憶を題材に不可視な存在や場所の記憶を交錯させ、感覚そのものに揺さぶりをかける作品で知られるアピチャッポンだが、本作では透明なアクリルの箱に収められた写真を鑑賞者がめくることで、記録メディアを介して作家が体験した時間を追体験し、個人の記憶が鑑賞者の時間と交差する感覚を生み出す。近作『MEMORIA』(2021)での風景カットも用いられるが、映画のフレームによる均質な時間の捉え方を連続した写真として解体し、複数の視点が交錯することで、時間の概念を探求するセンセーショナルな作品へと昇華されている。

アピチャッポン・ウィーラセタクン《時間の箱》(2024)[筆者撮影]

映像祭が主催するコンペティション「コミッション・プロジェクト」に選出されたファイナリストによる作品群は、今期のテーマと深く結びついており、個人の視点が社会的な視点へと変容する過程を浮かび上がらせている。

小田香による『母との記録「働く手」』(2025)は、作家が自身の母を長年にわたり撮影し続けるなかで見出した、ひとりの人間としての母の生活史を描いた作品である。身近な存在である母が、家族という関係性を超えて未知なる個として立ち現われる様子が、ドキュメンタリーという手法のなかで交錯する。母の日常の仕草や外部のコミュニティと触れる労働の手つきを捉えながら、撮影者自身の視点の変容も浮かび上がらせる。ごく個人的な記録から始まり、取材の集積を経ることで普遍的な風景に新たな意味をもたらす映像は、ドキュメンタリーならではの映像表現が追求されていると言える。

映像祭の取り組みとしては、表現の多彩さや鑑賞者への敷居の低さも魅力的である。入り口となる美術館での展示作品はどのフロアから見てもよく、それぞれの観客の意思に委ねられ、関心に応じて地域プログラムや有料上映との結びつきも深化していく仕掛けとしても納得できる。多様な観客が映像表現の魅力を再発見し、深く楽しむことができる場を提供する本企画においては、美術館ならではの教育普及的な側面も強く感じられた。

鑑賞日:2025/1/31(金)