テオドロス・ヴリザキス《メソロンギからの脱出》
1853年、キャンバス・油彩、169×127cm、国立アレクサンドロス・スツォス美術館蔵
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美術発祥の地の絵画

ギリシャにはどのような絵画があるのだろう。西洋美術の発祥地と言われているギリシャには、アテネにあるパルテノン神殿や《ミロのヴィーナス》(ルーヴル美術館蔵)があるが、絵画についてはイメージが浮かんでこない。ギリシャは、紀元前4世紀にマケドニアに併合され、次にローマ帝国の支配下に置かれ、15世紀にはトルコに征服され、歴史に翻弄されたが、1830年に独立を果たし王国となった。

エーゲ海に浮かぶ島々とバルカン半島のギリシャを想像しながら「ギリシャ 絵画 研究」と、インターネットで検索した。「国際シンポジウム ヨーロッパ絵画との出会い──近代ギリシャと日本の場合」という画像が現われ、勇敢な人々の姿が目に留まった。ギリシャの画家テオドロス・ヴリザキスの《メソロンギからの脱出》(国立アレクサンドロス・スツォス美術館蔵)だった。

弓なりの剣を持ち、旗を振り挙げて兵士たちが戦っている。戦いの場面でありながら、白い装束、白い旗、淡い色、白とレンガ色のコントラストが美しい。キリストが両手を広げる天界では、8人の天使が右上がりに配置され、それに倣うように全体が右上がりの構図にまとまっている。銃の直線、剣の曲線、人体は丸みのある形に揃っている。また、全体的に淡い色調で、写実的な表現でキスをする男女や瀕死の母子を描き、悲惨な戦場を演劇のワンシーンのように描いている。宗教画なのか戦争画なのか。ギリシャ研究者で西洋美術史・ビザンティン美術史を専門とする共立女子大学名誉教授の木戸雅子氏(以下、木戸氏)に《メソロンギからの脱出》の見方を伺いたいと思った。

木戸氏は、50年近くギリシャに携わり、ギリシャ人の視点に立って現地で調査研究を重ねてこられた。2007年より近代ギリシャ絵画の研究を始め、ヴリザキスについても詳しい。東京・池袋の喫茶店でお会いすることができた。


木戸雅子氏

ギリシャ人とビザンティン美術との出会い

「芸術とは何か」の答えを求めて木戸氏は、東京藝術大学の美術学部芸術学科に入学したという。入学して2年経った頃、偶然校内の掲示板でギリシャ政府留学生を募集する案内書を見つけた。学部生に対する留学生募集は珍しく、将来大学院で留学するための練習のつもりで応募したら合格した。しかし学問的に未熟な状態で、藝大の先生には反対されてしまった。そして西欧工芸美術史を専門としていた尊敬する友部直(なおし)先生に尋ねると、「僕が代わりに行きたいね」という。その言葉に木戸氏はギリシャ行きを決め、テサロニキ大学へ留学した。テサロニキは中世のビザンティン帝国の都市として栄えた街だった。その当時1ドル300円で、持ち出しの金額が1,000ドルまでに制限されていた。ギリシャはパパドプロス将軍による軍事独裁国家だったという。大学ではギリシャ語研修を1年間受け、その後アテネ工科大学(ポリテクニオン)芸術学部に移籍し、ビザンティン美術史とモザイク制作を学んだ。

木戸氏は、「私のギリシャ像は、圧倒的に古代ギリシャだった。西洋美術の美の基準は古代ギリシャやイタリアルネサンスの古典美であると教えられ、その眼差しに慣れていた」という。ところが留学時代、現地の人に連れられて遺跡を巡っていると、ギリシャ人は、古代の神殿や彫刻に対して自慢げに胸をそらすが、ビザンティン教会の円天井に大きく描かれたキリスト像を見上げたとき心底美しいと感動していた。また、ひとり世界遺産の中空に立つ修道院メテオラに赴き、その美しさに遭遇した。ギリシャ人に、古代は生きていないと感じた。そして4~15世紀に東ローマ(ビザンティン)帝国で発達したビザンティン美術を研究することに決めた。ギリシャ人の美意識はどのように形成されたのか。ビザンティン美術を見るギリシャ人たちが何を感じ、何を見ているかに関心を持った。

そして、現代ギリシャ人の精神性や美意識を探究するために木戸氏が始めたのが、日本とギリシャのビザンティン美術共同研究「サラミナ・プロジェクト」だった。サラミナ島にあるパナギア・ファネロメニ修道院主聖堂の壁画研究で、18世紀の壁画を7年かけて修復し蘇らせた。研究はビザンティン美術と、15世紀から1821年のギリシャ独立戦争までのポスト・ビザンティン美術をパラレルに行ない、木戸氏はギリシャ近現代絵画研究も始めた。1930年世代が近現代ギリシャ美術の黄金期で、そのなかで中心的な影響力のあったイコン画家フォティス・コントグルー(1895-1965)に興味を持ちながら、テオドロス・ヴリザキスの《メソロンギからの脱出》と出会った。

ギリシャ・ミュンヘン派

テオドロス・ヴリザキスは、1814年または1819年にギリシャの首都アテネの北西約90キロのティーヴァ(テーベ)に生まれた。生涯の記録が少ないことから詳細は不明だが、子供のときギリシャ独立戦争(1821-29)が起き、父がトルコ軍に絞首刑に処された。そして弟エフティミオスと共にエギナ島のカポディストリアス孤児院に送られる。1844年ドイツのバイエルンにあるミュンヘン美術アカデミーで、ドイツの歴史画家ペーター・フォン・ヘス(1792-1871)に学ぶ。

当時のミュンヘンは、ヨーロッパにおける美術の中心のひとつで、19世紀のギリシャの画家たちはミュンヘンを留学先に選んだ。ヴリザキスがミュンヘン美術アカデミーに入学するまでの経歴は諸説ある。一例を挙げると、ギリシャの孤児院で育ったヴリザキスは、ミュンヘンの画家ルートヴィヒ・ティールシュ(1825-1909)の助けを借りてミュンヘンへ行き、バイエルン国王ルートヴィヒ1世がギリシャ独立戦争の退役軍人の孤児のために設立したギリシャの学校パンヘレニオンに入り、ギリシャ人居住者からの奨学金を得て、ミュンヘン美術アカデミーへ入学した。

ヴリザキスはヨーロッパ各地を旅し、1848年から1851年までは歴史画と肖像画を研究するためにギリシャに滞在した。ギリシャ・ミュンヘン派の一員であったヴリザキスは、人気のあったギリシャ独立戦争の情景や、退役軍人の肖像画を描くことに積極的に取り組み、画家としてのキャリアを積み重ねた。ドイツロマン主義精神を基盤とした作風の確立と、近代ギリシャ史の出来事を主題とした絵画を考察し、工房を開いて若い弟子たちを育てた。

1853年ウィーン万国博覧会、1855年パリ万国博覧会、1862年ロンドン万国博覧会、1870年オリンピア万国博覧会など、数多くの展覧会に参加し、ウィーン万国博覧会では《メソロンギからの脱出》が一等賞、オリンピア万国博覧会では石版画《カライスカキスの軍隊駐屯地》が二等銀メダルを受賞した。

1861年から1863年にかけては、英国マンチェスターにあるギリシャ教会のために絵画を制作。晩年の10年間は眼病を患い芸術活動から遠ざかり、作品を制作した記録は残っていない。1878年12月6日ドイツ・ミュンヘンにて没。享年59か64歳。死後、アテネ大学に遺贈された絵画は、大学の寄贈によってナショナル・ギャラリーに収蔵され、1884年にパルナッソス・ホールで開催された「ギリシャ独立戦争の記念碑」展に絵画作品6点が展示された。

★──19世紀後半にドイツのミュンヘン美術アカデミーで学んだギリシャ人画家たちのグループ。

ギリシャ人の証

ギリシャ共和国は、日本の約3分の1(131,957平方キロメートル)の大きさで、人口は約1,046万人(2023)。観光業が盛んで古代ギリシャの生んだ哲学・科学・文学・美術は、ヨーロッパ文化の重要な源泉のひとつとして、人類の歴史に影響を与えている。

木戸氏は「近代ギリシャの独立から200年、ギリシャは常に欧米の都合で政治的に翻弄されてきた貧しい国です。それと同時にヨーロッパ文化の基礎を作ったとされる古代ギリシャの末裔でもあります。ギリシャについて学ぶということは西欧文明全体を学ぶことに等しいと感じます。しかしその中でわかってきたことは、私たちが読むギリシャ史は西欧人が組み立てたものだということでした。西欧人が関心を向けなかった時代の歴史はすっぽりその中から欠落していています。それがポスト・ビザンティン美術です。トルコに支配されてはいてもキリスト教徒としてギリシャ人は自分たちの文化を継承し今に伝え、それが彼らの文化の基礎になっています」(木戸雅子『PROSPECTUS』p.5)と述べている。

約400年間、オスマン帝国に支配されてきたギリシャ人。古代から4,000年間使い続けてきたギリシャ語と、ギリシャ正教徒であることがギリシャ独立戦争のときのギリシャ人の証だった。

近代ギリシャ絵画の幕開け

ギリシャ独立の機運が高まってきたとき、ロマン主義の英国詩人バイロン(1788-1824)はメソロンギへ行き、古代ギリシャを称揚する詩を作り、若い芸術家たちの気持ちを盛り上げた。ヨーロッパの文化の原点であるギリシャの人たちは、異民族で異教徒であるトルコ人に支配されて耐えてきた。助けなければいけないとバイロンは参戦。しかし、熱病によりメソロンギの地で没した。ギリシャは弱い国だったが、支援を得て奮起する力が湧き、1830年にトルコから独立を達成することができた。後にメソロンギの町は「ヒエラ・ポリス(聖なる町)」という称号を授与された。

木戸氏は、「《メソロンギからの脱出》というのは、独立戦争の一番の悲劇で、ギリシャ人が心に留めている出来事だった。依頼主は不明だが、同じ絵を3枚描いている。ひとつは画家ルートヴィヒ・ティールシュが買っており、2枚は画家ペーター・フォン・ヘスが死ぬまで持っていた。だがペーターがアテネ大学に寄付した際に、貸し出した先のイベント会場の火事で2枚とも消失。現在の絵画はルートヴィヒのものがアテネ大学に寄付され、絵画館(美術館)に寄贈されていまに残された。ギリシャでは有名な画家だが、資料がほとんどない」という。

そして「ヴリザキスは、実は近代ギリシャ絵画の始まりの前という扱いになる。つまりこの人はキフォロス・リトラス(1832–1904)やニコラオス・ギジス(1842–1901)らと同じミュンヘン派の画家で、元を正すと師であるペーター・フォン・ヘスの焼き直しのような絵がある。ミュンヘン派初期の画家たちのデッサンが美術学校に残されており、それを素材に絵画を組み立てている。自分で独自に描いた絵ではない。1837年にアテネに美術学校ができた。近代ギリシャ絵画の始まりはそこからだった。画家として意欲を持ったニコラオス・リトラス(1883-1927)を輩出し、ミュンヘンへ留学するがアテネに戻ってその美術学校の先生になる。もちろん19世紀ギリシャ絵画といえばヴリザキスから始まるのだが、ヴリザキスは近代ギリシャ絵画以前のミュンヘン派の系譜で捉えられる」と木戸氏は言う。


メソロンギからの脱出の見方

①タイトル
メソロンギからの脱出(めそろんぎからのだっしゅつ)。英題:The Exodus from Missolonghi


②モチーフ
メソロンギの住民、キリスト、天使、ギリシャ兵、トルコ兵、ギリシャ独立旗、木製の橋、はしご、城門、城塞、赤ん坊、死体、銃、剣。


③制作年
1853年。ヴリザキス34または39歳。


④画材
キャンバス・油彩。


⑤サイズ
縦169×横127cm。


⑥構図
縦長の画面で、上部、中部、下部の三部構成。全体的に右上がりの構図で、上部は正面を向き、中部は右から左へ流れ、下部は左から右への動線が見られる。


⑦色彩
白、黄、金、茶、緑、青、赤、青、紫、灰、黒など多色。


⑧技法
油彩。画面全体に奥行き感はなく、上から下にかけて明度がグラデーションになっている。上部が明るく軽く、下部が暗く重い。さまざまな方向を向く人物が綿密に描写され、十字架の旗を掲げる中央の兵士に焦点をあてて、天に霞むキリストとの関連をほのめかす。


⑨サイン
なし。


⑩鑑賞のポイント
ギリシャの独立戦争におけるもっとも悲劇的で有名なエピソードのひとつ。1826年4月10日の夜に西ギリシャのメソロンギの住民たちが、取り囲むトルコ軍から勇敢に脱出しようとした出来事を描いている。トルコ兵によって1年近く完全に包囲された住民たちは、食料がなくなり鼠や猫、あらゆるものを食べつくし、最後は人間の死体の内臓を母親が料理して子供たちに食べさせ切羽詰まった極限状態だったという。三度の脱出を試みるも失敗に終わる。住民の悲劇的な結末が英雄的に描かれている。画面中央の城門に架けられた木製の橋の上の戦士は、独立戦争の兵士が着る衣装として有名な白いフスタニを身に着けて光が当てられクローズアップされている。その戦士が剣を振りかざし、独立旗を掲げて勇敢に戦っており、武器の音と負傷者の叫び声が聞こえてきそうだ。画面右にははしごを架けて城内に侵入しようとするトルコ兵、その足元には負傷者や瀕死の者、女性や子供らの死体が横たわる。画面上部の空には天使たちと両手を広げたパントクラトール(全能者)のキリストが現われ、この独立戦争がキリストに守られていることを示す。画面の上下で天国と地獄が表現されている。メソロンギの住民は男も女もなく勇ましく戦えども脱出は失敗に終わったが、イスラム国家オスマン帝国(オスマン-トルコ)に立ち向かったギリシャ人たちの勇敢な行為は讃えられた。《メソロンギからの脱出》は、自由を求めた革命への決意と情熱を象徴する絵画として、ギリシャではつねに取り上げられる。ヴリザキスの代表作である。


天上界へ昇る架け橋

木戸氏は《メソロンギからの脱出》について、「ギリシャ人たちの独立戦争を象徴する絵画であり、2021年に開かれた『ギリシャ独立200年祭』のオープニングでは、ギリシャの大統領と首相と要人たちの前にこの絵が展示された。作品タイトルの英訳『The Exodus from Missolonghi』にある『エクソダス』という言葉は、ギリシャ語で『エクソドス(脱出)』といい、旧約聖書のモーセの『出エジプト記』を想起させる。エジプト軍に虐げられていたイスラエル人をモーセが率いて紅海を渡って連れ出す。海が分かれ、イスラエル人たちが海の真ん中の道を通って浜辺に着くと、海は再び元に戻り追手のエジプト人たちは海に溺れてみんな死んだ。自由への脱出という意味で、本図は旧約聖書と共通したものがある。この絵の凄さは、単にミュンヘン派のロマン主義の絵に留まらない。ビザンティン美術における伝統的なイコンとして発展した独特の形式を示す。上・中・下と三つの構図で、上部にパントクラトールのキリストが、すべてを支配する神キリストとして描かれている。その下には天使たちがいて、シュロの葉っぱを持っている。シュロの葉はギリシャでは勝利を象徴する。キリストが磔刑で殺されても、キリスト教徒たちの永遠の生命が保証されるキリストの死と復活のシンボルとして、ここでは自由と救済への脱出を意味する。肉体は滅びても魂が救われ、永遠の生命を得るキリスト教的な自由への賛歌と読み取れる。シュロの葉を振ることは、自由、救いの象徴で勝利を表わす。シュロはもともと古代ローマ皇帝が凱旋するときに、民衆が勝利を祝ってシュロの葉を振って出迎えたという伝説が、キリスト教では『キリストのエルサレム入城』の場面の絵画でのモチーフとなっている。また、ペーター・フォン・ヘスやほかの画家が残したデッサンを用いて人物の顔などを描いており、ドラクロワ(1798-1863)の《キオス島の虐殺》(ルーヴル美術館蔵)に描かれている殺された人物像をモデルにしたような場面が見られる。状況は惨憺たるものだけれども、天上界から救いの神が現われて、この人たちはキリスト教的な真の自由を得ることができるというところがこの作品の重要な主題となっている。画面中央の城門に架けられた木製の橋は天上界へ昇る道、その架け橋というように、画面の随所にシンボリックな意味が込められている。歴史的な出来事を記念する絵画として重んじられるけれども、絵としても画期的であり優れた作品といえる」と語った。


木戸雅子(きど・まさこ)

美術史家、共立女子大学名誉教授。1950年東京生まれ。1970年東京藝術大学美術学部芸術学科入学、1972年ギリシャのテサロニキ大学へ国費留学、翌年アテネ工科大学(ポリテクニオン)芸術学部に在籍し、ビザンティン美術史とモザイク制作を学ぶ。1975年帰国し、1977年東京藝術大学卒業、1981年同大学大学院美術研究科修士課程(西洋美術史専攻)修了。東京藝術大学兼任講師、武蔵野美術大学、日本女子大学、大東文化大学、外務省研修所、朝日カルチャーセンターほか、非常勤講師、1988年共立女大学専任講師、2021年同大学定年退職。専門分野:西洋美術史・ビザンティン美術史、現代ギリシャ語。所属学会:美術史学会、国際服飾学会、地中海学会、英国美術史学会、ビザンティン考古学・キリスト教学会。主な賞歴:サラミナ市名誉市民の称号授与される(サラミナ市、2013)、コマンダー・オブ・ジ・オーダー・オブ・ザ・ベネフィセンス勲章受勲(ギリシャ政府、2021)。主な論文・著書・訳書:「キプロス島の10-13世紀諸聖堂の現地調査」(『鹿島美術財団年報 別冊』、鹿島美術財団、1993、pp.193-197)、『東方正教会の絵画指南書 ディオニシオスのエルミニア』(共訳、金沢美術工芸大学美術工芸研究所、1999)、「パナイオティス・ドクサラスとエプタニシア派の絵画」(『共立国際文化 第18号』、共立女子大学国際文化学部、2001、pp.5-31)、『西洋美術:作家・表象・研究──ジェンダー論の視座から』(共著、ブリュッケ、2019)『ニューエクスプレス 現代ギリシア語』(白水社、2020)、「パナギア・ファネロメニ修道院主聖堂の壁画(サラミナ島)──日本とギリシャの共同研究「サラミナ・プロジェクト」」(『共立国際研究 第38号』、共立女子大学国際学部、2021、pp.33-103)。


テオドロス・ヴリザキス(Theodoros Vryzakis)

ギリシャの画家。1814または1819年生まれ、1878年没。中央ギリシャ地方ヴィオティア県の都市ティーヴァ(テーベ)に生まれる。幼少期にギリシャ独立戦争(1821-29)が起き、トルコ軍に父が処刑され、弟とともにエギナ島のカポディストリアス孤児院に送られる。1844年ドイツのバイエルンにあるミュンヘン美術アカデミーで、ドイツの歴史画家ペーター・フォン・ヘスに学ぶ。ギリシャ・ミュンヘン派の一員。ミュンヘン美術アカデミーに入学するまでの経歴は諸説ある。ヨーロッパ各地を旅し、1848年から1851年までは歴史画や肖像画を研究するためにギリシャに滞在した。人気のあったギリシャ独立戦争の情景や、退役軍人の肖像画を描くことに組織的に取り組み、工房を開いて弟子たちを育てた。1853年ウィーン万国博覧会に《メソロンギからの脱出》を出品し、一等賞を受賞。1861年から1863年英国マンチェスターの教会に絵画を制作。1878年ミュンヘンにて没。享年59~64歳。代表作:《メソロンギからの脱出》《栄光のギリシャ》《Portrait of Anagnostopoulos》《Epanastasi》など。


デジタル画像のメタデータ

タイトル:メソロンギからの脱出。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:テオドロス・ヴリザキス《メソロンギからの脱出》1853年、キャンバス・油彩、縦169×横127cm、国立アレクサンドロス・スツォス美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:国立アレクサンドロス・スツォス美術館、Europeana、Creative Commons、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式2.5MB、96dpi、8bit、RGB。資源識別子:digital-item:452700(Jpeg形式2.5MB、96dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:Europeana。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:国立アレクサンドロス・スツォス美術館、Europeana、(株)DNPアートコミュニケーションズ。


画像製作レポート

《メソロンギからの脱出》の画像は、作品を所蔵するギリシャの国立アレクサンドロス・スツォス美術館に幾度もメールで問い合わせをしたが、残念ながら返信はなく、画像を販売する会社の取り扱いリストでも探すことができなかった。ヨーロッパの文化遺産を公開しているEUのプラットフォーム「Europeana(ヨーロピアナ)」より、所蔵美術館が提供している画像をダウンロードして用いることにした(Jpeg、2.5MB、96dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、モニターを調整する。国立アレクサンドロス・スツォス美術館のWebサイトにある作品画像で画像を確認し、Europeanaから入手した画像のまま使用(Jpeg形式2.5MB、96dpi、8bit、RGB)。Creative Commonsの「表示-非営利-改変禁止 4.0」に従って掲載したが、画像解像度が低く、拡大表示しても細部まで見られないのが残念である。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。


参考文献

・水田徹「ギリシア美術の世界」(『世界美術大全集 第4巻 ギリシア・クラシックとヘレニズム』、小学館、1995、pp.9-16)
・中村るい「テラ島の壁画」(『世界美術大全集 第3巻 エーゲ海とギリシア・アルカイック』、小学館、1997、pp.118-124)
・木戸雅子「40周年記念講演『ファネロメニ修道院への道』」(『日本ギリシャ協会会報』第135号40周年記念特大号、日本ギリシャ協会、2014.12、pp.46-61)
・木戸雅子「特別寄稿 ギリシャ留学から40年」(『PROSPECTUS』国際学部広報誌記念号、共立女子大学、2016、pp.3-5)
・木戸雅子「パナギア・ファネロメニ修道院主聖堂の壁画(サラミナ島)──日本とギリシャの共同研究『サラミナ・プロジェクト』」(『共立国際研究 第38号』、共立女子大学国際学部、2021、pp.33-103)
・木戸雅子「ギリシャ独立200周年の一年」(『日本ギリシャ協会会報』第149号、日本ギリシャ協会事務局、2022.3、pp.8-13)
・Webサイト:木戸雅子「近代ギリシャ絵画研究──新古典主義の受容とビザンティンの伝統」(『科学研究費補助金研究成果報告書(平成22年6月5日)』)2025.7.5閲覧(https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-19520108/19520108seika.pdf
・Webサイト:「Vryzakis Theodoros」(『National Gallery-Alexandros Soutsos Museum』)2025.7.5閲覧(https://www.nationalgallery.gr/en/artist/vryzakis-theodoros/
・Webサイト:「Vryzakis Theodoros (1814 or 1819-1878) / The Exodus from Missolonghi, 1853」(『National Gallery-Alexandros Soutsos Museum』)2025.7.5閲覧(https://www.nationalgallery.gr/en/artwork/the-exodus-from-missolonghi/


掲載画家出身地マップ

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2025年7月