アクセシビリティを調査するうえで、これまで日本が参考にしてきたのは主に欧米諸国だ。実際、アジアの国々のなかでは未だ障害のある人への差別が根深い国や、アクセスを社会に実装するよりも、互助的コミュニティをつくることで共生が図られている例が多い。しかしこの数年で、韓国から障害に関する新たな取り組みが行なわれる情報を耳にする機会が少しずつ増えてきた。実は近い距離にいながらあまり情報がなかった、韓国の芸術分野における障害やアクセシビリティの現状について知りたいと、今年になってからわたしは何度か足を運んだ。まだまだ言語の壁はあるが、これまでの調査で感じたことを率直に書けたらと思う。
取材中、後述のMMCAの展覧会の関連イベントとして行なわれたキム・ウォニョンとチョン・ジヘによるパフォーマンスのリハーサル。障害のあるアーティストとないアーティストが互いに妥協なく対等な関係性を築くことによって生まれた、非常に芸術性の高いパフォーマンスだった。[筆者撮影]
バリア・フリーからバリア・コンシャスへ
韓国社会全体としては、一見するとまだまだアクセシブルとはいえない。一般的な暮らしやすさでいえば、日本の方が整備されているといえるだろう。アクセシビリティに携わってきた経験のない人が専門職に就いているなど、枠組みは先行しているが中身がまだ追いついていないのを見ると、調査を始めた当初は、韓国も日本とそれほど変わらないのだなと感じた。しかし、実際に色々な実践者に会ったり、取り組みを見たり、書かれた文章を読んでいくにつれ、決定的に違うものがあることに気づいた。
まず、人権意識が根付いていること。それは、当たり前の権利として、障害のある人が受け手ではなく、主体として芸術活動を行なうということが考慮された施設や助成金の制度に反映されている。その根底にあるのは、当事者が中心となった芸術活動や、アクティビズムとアートをまたぐ活動がアートや演劇において長年行なわれてきたことの影響であろう。そこでは生活と芸術は切り離されたものではなく、社会に変革をもたらそうとする精神と地続きのものとして芸術が存在している。さらに、国として明確な目標と実行力を持った政策が、障害アート★1を包括的に推進している。これらはいずれも単独では大きな社会の変化にはつながりづらい。そういった意味で、国の政策が活性化されたのは最近であるといえるが、日本よりも先を行く部分も大いにあると感じる。
例えば、日本の影響で使われるようになった言葉のひとつに、「バリアフリー(Barrier-free)」がある。欧米では現在あまり使われないが、日本と韓国では多くの文化芸術の現場でも頻繁に使われている。しかし韓国では最近、これに代えて「バリア・コンシャス(Barrier-conscious)」 という概念が提案されている。バリアフリーが、障害を取り除くべき「壁」としてとらえ、それを排除しようとするアプローチであるのに対し、バリア・コンシャスは、壁が存在することを認め、それを意識しながら共に生きる方法に注目する(近い言葉に「障害感受性」があり、障害者の経験の理解に比重が置かれている)。
バリア・コンシャスは、障害を欠如や克服の対象とみなさず、社会構造のなかで形成された固有の存在条件として理解する姿勢であり、本当の共存と感覚の転換を目指す実践でもあるといわれる★2。こうした言葉への意識にも、韓国の実践者たちがどういった社会をつくっていきたいかが表われている。
数値化された目標に裏打ちされた政策
韓国では、前大統領のユン・ソンニョルが就任以来、「文化の公正なアクセス機会」を強調し、「障害者、新進芸術家、若手芸術家のための展示空間を拡大し、展示機会を増やすべきだ」と強い政策的コミットメントを打ち出していた★3。具体的には、2020年に障害者のアーティスト(障害芸術人)が文化芸術活動に従事する機会・環境を制度的に保障する法律「障害のある芸術人の文化芸術活動の支援に関する法律」が制定・施行され、国家や自治体の支援責任が明記された。また、それに基づいた「第1次 障害芸術人文化芸術活動支援 基本計画(2022~2026)」には、障害のあるアーティストの収入水準の改善のため、支援事業の規模を2026年までに年間200億ウォン(約20億)に拡充し、創作準備金の対象も2021年の667人から2,000人に拡大するとされている★4。
新しい大統領のもとでどのようにこの計画が変わっていくのかはまだ未知数だが、韓国にはそれ以前の2015年から、障害のあるアーティストの創作・発表・教育・交流を包括的に支援する公的機関である韓国障害者文化芸術院(KDAC: Korea Disability Arts & Culture Center)があるのも特徴である。KDACは2022年から障害芸術人支援事業を始め、2024年度は障害のあるアーティストの創作・発表・研究・教育・流通・雇用など13種類の枠組みに対し、約68億ウォン(約6.8億円)が助成された。それ以外にも、個人のアーティストに対して最大約2000万ウォン(約200万円)の支援を行なうほか、障害人文化芸術センター「イウム」や障害アートの創作・発表の場である「モドゥ芸術劇場」や「モドゥ・アートスペース」(モドゥは韓国語で「みんなの」という意味)、障害のあるアーティストのレジデンスプログラムを行なう「ソウル障害芸術センター」を運営する。
モドゥ芸術劇場[筆者撮影]
表だけでなくバックステージにも、障害のあるアーティストが使うためのさまざまな工夫が施されている。左の写真に映る手すりを辿れば、視覚障害者もトイレや着替えなどにひとりで行くことができる。柔軟性とゆとりがあり、使いやすい劇場は、一般のカンパニーのレンタルにも人気だそう。
さらに、1972年に制定された基本法である文化芸術振興法が2023年に改訂、2024年に施行され、障害のあるアーティストによる公演や展示を推進する重要な項目が加わった★5。具体的には、公演法に登録された劇場および博物館及び美術館振興法に登録された美術館において、年1回以上の公演や展示を実施することが義務化され(施設を2つ以上備える場合は年2回以上)、実施状況が行政によって評価・監督される仕組みとなっている。その公演や展示は、障害のあるアーティストが50%以上貢献し、制作・企画に関わること、監督・演出または指揮者として参加すること、あるいは参加アーティストのうち障害のあるアーティストが30%以上を占めることとされている。
日本にも2018年に施行された障害者文化芸術推進法★6があるが、あくまで理念法(基本的な理念や方針を示す法律)であり、強制力は弱く、努力義務が中心となっている。障害者の芸術への参加については、障害者差別解消法★7による間接的な拘束や、行政による助成金や推進事業による誘導が実質支えているような状況である。つまり、具体的な数値目標やそれにもとづいた実施義務はない。また、障害アートに特化した事業として厚生労働省による「障害者芸術文化活動普及支援事業」があるが、障害のあるアーティストへの直接支援ではなく地域団体への中間支援であり、予算規模も令和5年で約4億円程度である。同規模の文化庁による「障害者等による文化芸術活動推進事業」も、公募の条件に障害者の参加率などの規定はない。
それらの状況により、日本においては、マジョリティのルールで運営されている文化施設において障害のあるアーティストの存在がなかなか可視化されず、“共生事業”など特別な枠組みのなかで扱われ一般化されないため、施設側の経験値も上がっていかない。さらに、障害のあるアーティストを健常者による支援の対象に留め、主体と捉えない意識が根深いため、障害のあるアーティストが育つ土壌や機会もまだまだ少ない。それによって、すでにマジョリティとのつながりや経験のあるアーティストやカンパニーが繰り返し機会を与えられ、格差が縮まらない状況が続いている。
障害のあるアーティストのレジデンスプログラムを行なうのは、ソウルだけではない。釜山にも、釜山文化財団が運営する、障害のあるアーティストに特化しジャンルを問わずスタジオを貸し出す「オングル」がある。2年間と期間限定ではあるものの、地下鉄の駅に隣接したアクセスの良い場所で、自分専用の創作場所を持てる。わたしが訪れた時は、レジデンスアーティストのひとり、チョ・テソンがスタジオを訪れ、創作に没頭していた。韓国では大学入学前に芸術の経験がないと芸大や美大に入るのは難しいため、入学を諦めた経験があり、テソンのようなアーティストにとって集中できる環境があるのはとても有り難い、と彼の創作をサポートする叔母が話してくれた。
同時に起こった3つの展覧会
この数カ月、ソウル・光州・釜山の三都市にわたって、障害やアクセシビリティをテーマとした展覧会が同時に行なわれていた。ソウルの国立現代美術館(MMCA: National Museum of Modern and Contemporary Art, Korea)の「Looking After Each Other」展(2025/05/16-07/20)、光州の国立アジア文化殿堂(ACC: Asia Culture Center)の「Crossing the Line: Our Bodies, Embedded with Others」展(2025/04/17-06/29、その後Modu Art Spaceにて2025/07/23-08/22に開催)、釜山現代美術館の「Seeing with Ten Fingers」(2025/05/03-09/07)である。時期は館同士で協議されたものではなく、あくまで偶然だそうだ。上記のような政府による政策や、ICOM(国際博物館会議)によって改訂された博物館の定義、ESG経営★8への関心の高まりや地域の高齢化の影響など、それぞれの館が持つ異なる動機とキュレーターの関心が重なったことで実現された。
3つの展覧会はいずれもテーマを共有しながら、キュレーターがそのテーマにおいて重視するものの違いが見えた点が興味深かった。MMCAの展覧会は2名のキュレーターによって企画され、副題に「互いの脆弱性が出会うとき」とあるように、障害者に限らず高齢者や女性などが対象に含まれ、異なる体が出会うことやケアに重きが置かれた前半と、コミュニティや環境との相互作用を伝える後編で構成された。ACCの展覧会は、キュレーターのバックグラウンドがデザインということが反映され、感覚間の翻訳やコミュニケーションに焦点が当てられた展覧会だった。釜山現代美術館では、異なる身体的特性が作家性に昇華された強い作品が並び、通常の展覧会よりも触覚に比重があった点が特徴だった。
各館ともアクセシビリティの点でも独自の実験的な取り組みが行なわれていた。MMCAの展覧会では、入口に手話での解説動画があるほか、展示室内に独自の点字ブロックが敷かれていたり、各作品に「会話型音声ガイド」が添えられていたり、視覚障害者に向けた工夫が多く見られた。ACCでは、入口にアクセシビリティのコーナーが設けられ、アクセシビリティ・マネージャーが常駐。また、それぞれの作品の横に、どのような感覚で楽しめるかを触覚的に伝えるパネルが添えられていた。釜山には「Sensory Station(感覚ステーション)」と呼ばれる、アクセシビリティに特化した部屋が設けられていたのが特徴だ。また、キャラクターやイラストを用いるなど、展示全体の言葉が美術を専門としない人にもわかりやすく書かれていたのも印象的だった。
左:MMCAの展示室内には独自の点字ブロックが設置。また、デフスペース★9の研究者による提案で、展示室間の区切りが視覚的に明確に色分けされていた。
右:ACCの会話型音声ガイド(残念ながら韓国語のみのため詳細は不明)[筆者撮影]
左:ACCの展覧会で各作品横に設置された、作品がどの感覚で楽しめるかを触覚で表わしたパネル。
右:アクセシビリティ・マネージャーが常駐する入口のカウンター。子どもも触って作品のメッセージを体験できるツールも本展のために特別にデザインされていた。[筆者撮影]
左:釜山現代美術館の展覧会で設けられた、「感覚ステーション」。触ることのできるミニチュアが多く設置されている。
右:各作品には音声による解説(作家による自分の容姿の描写付き!)とその内容が書き起こされた拡大印刷が添えられていた。[筆者撮影]
いずれのキュレーターにとっても館にとっても、こういったテーマやアクセシビリティを扱うのは初めての経験ということだった。この数年の動きのなかで、こうした展覧会が各地で実現してしまう韓国の機動力にまずは感心する。障害の見方の固定化という長年続いてきた問題に対し、さまざまなアプローチが意欲的に模索されていることに風通しの良さも感じた。一方、出品作家の重なりなどから、国内における障害のある人が主体あるいはコラボレーターとなる表現活動はまだまだ限られているという課題が感じられた。また、アクセシビリティに関する独自の取り組みが試行錯誤されているのは興味深いが、企画展ごとに新たな表現として提示されるのには戸惑う当事者もいるだろう。アクセシビリティはひとつの展覧会の展示デザインの延長にとどまるものでなく、館全体に一貫してあるべきものだとも思う。今後取り組みを続けていくなかで、それぞれの館全体にその意識がどのように行き渡っていくのか期待したい。
劇場は開かれているか?
ACCの展覧会でも導入された「アクセシビリティ・マネージャー」は、「障害のある人が公演を楽しんだり創作する際に直面する多様な感覚のギャップを互いに認識し、その違いをともに調整していく役割」と韓国では定義されている。近年はさまざまな領域でその重要性が認識され始めているが、韓国においてその役割が広まったのは、2019年に障害のある俳優とない俳優が対等に協働するインクルーシブ演劇を実践するカンパニー「Theatre, Definitely」が南山芸術センターでアクセシビリティを美的に洗練されたものとして組み込んだ公演『国道7号線』を上演したことがきっかけと言われている。
障害者が中心となり活動するカンパニーでは、約20年ほどアクセシビリティの取り組みが行なわれてきたものの、それまではメジャーな演劇業界と障害者のカンパニーの間にほとんどつながりはなかったという。しかし上記の公演以降、同様の取り組みに関心を持つカンパニーが増え、多様な障害のある観客に届くことの重要性が認識されていったという。アクセシビリティ・マネージャーの役割が制作チームに位置づけられ、企画段階から予算にこのポジションが組み込まれる契機をつくったともいわれている。
また、アクティビズムとアートをまたいだ活動を語るうえで外せないのは、0set Projectだ。彼らは2017年から活動を始め、脱施設化や障害者の日常を取り上げ、社会や文化の前提を問い直すドキュメンタリー映画や演劇の創作や展示活動を行なっている。それだけでなく、2018年には「劇場は開かれているか?」という問いを起点に、ソウルの演劇街である大学路の主要劇場120カ所の車椅子アクセス状況を調べ、観客としてアクセス可能な会場は14カ所で舞台裏までアクセス可能な会場は3カ所のみという深刻な状況が明らかになった。彼らはその調査結果を『私は人間』という公演の形で発表し、アクセシビリティについて観客に問いかけた。
代表のシン・イは、冒頭で紹介した「バリア・コンシャス」を提唱しており、劇場で目に見える障壁を一つひとつ取り除いたとしても、障害者に対する差別や烙印が存在する社会では、障壁があることを認識し、その障壁にどう対処していくかを考えることが必要だと主張する★10。その考え方は、若い世代の作り手たちにも少なからず影響を与えているようだ。演出家であり、アクセシビリティ・マネージャーとしても活動するカン・ボルムもそのひとり。ほかの人の公演のアクセシビリティ・マネージャーをやりながら、やりきれなかったアクセスの課題を演出家として自分の作品のなかで実験してみたり、演出家としてできなかった部分を、予算の多いプロダクションのアクセシビリティ・マネージャーをやるときに試してみたり、そういった相互作用があると話してくれた。このように、芸術的な問題としてアクセシビリティに取り組む作家も生まれている。
終わりに
アクセシビリティは人権の問題でありながら、最低限の権利を保障するという考えでは、質の向上が乏しく、最低限のチェックリストを潰していくような思考や実践になりかねない。また、サービスとして考えると、提供者は完成したものを提供すれば終わりと考えるのかもしれないが、本来アクセシビリティは終わりなきプロセスであり、障害のある人とともにつくっていくもののはずだ。
KDACは、障害アーティストが議論や批評を共有するオンラインプラットフォーム「ウェブジン イウム」を運営している。障害のあるアーティストの作品やアクセシビリティが担保されたバリアフリー作品を紹介し、批評し、国内外の障害アートに関する議論を紹介する情報プラットフォームである。障害のあるアーティストの作品に対する批評は、専門の批評家だけでなく、障害のある観客の視点からも紹介されている。 そのなかのある座談会で語られた、障害のある女性の人権擁護・社会的自立・文化活動を支援するNGO「障害女性共感」の代表であるイ・ジンヒさんの言葉は示唆的だ★11。
「“みんなのために”という言葉は、すべてを完璧に備えることを意味するのではない。むしろ、すべての権力と不便さに対して緊張し、注意を払い、問い続ける関係と文化をつくろう、ということだ」
日本にはこのような媒体はなく、障害アートを批評する言語も育っているとは言い難い。アーティストにとっては重視される、言語を構築したり蓄積する場も障害のあるアーティストにはなく、経験を共有する方法も個人に委ねられてしまっている。障害のあるアーティストの支援体制や助成金のあり方などを踏まえると、日本が行き詰まっているのは、“みんな”というものを健常者への同化と捉え、あくまで障害のない人が作った枠組みに障害のあるアーティストが参加することが平等であり良いことであるような誤解があるからではないかと思う。 また、アクセスの問題は、一人ひとりのニーズや欲望が多様であるがゆえに、そもそも衝突や矛盾を孕むものである。だからこそ、これまでマジョリティが構築してきた美学や規範に支障のない範囲で行なうことには限界があり、それに収まらない未知の領域を切り拓いていく必要があるのだ。韓国で怒涛のように進む障害アートやアクセシビリティの領域で何より印象的だったのは、そのような領域に覚悟と気概をもって飛び込んでいる人たちに出会えたことだった。
最後に、どうしても書きたい出来事がある。0set Projectが拠点とし、また上記の調査を行なった大学路は、芸術の拠点でもあり、障害者運動の拠点でもある。わたしが訪れた日には、偶然障害のある人たちによるデモがアルコ美術館の前の広場で行なわれていた。障害のある人の表現活動を労働として認めていた制度を、ソウル市長が廃止したことに抗議する趣旨のデモだった。それを見た後に訪れた運動の拠点となる5階建ての建物では、狭いエレベーターの中で車椅子がひしめき合い、あちこちに車椅子をぶつけながら、そんなことは気にも止めず広場に向かって勢いよく出ていく人たちと遭遇した。芸術と権利運動の近さという日本が失っているものを目の当たりにし、思わず目眩がしそうだった。
大学路でのデモの様子[筆者撮影]
★1──Disability artの日本語訳として「障害者アート」と訳されることもあるが、日本ではアール・ブリュットと同義で用いられる傾向があるため、本記事ではこのように書く。Disability artは、障害の経験を探究するあらゆる創作活動を指し、アール・ブリュットでもアウトサイダー・アートとも異なる。欧米と同様に韓国の関係者もこの言葉を用いている。
★2──ノ・ジェミン「用語に込められた行間を読む:そのまま受け止めること」(雑誌『月刊美術』、2025年5月号)
★3──韓国政府文化体育観光部ウェブサイト https://gonggam.korea.kr/newsContentView.es?b_list=9&code_cd=0101000000&content=NC002&mid=a10201000000&nPage=467&news_id=EBC6D4010FC14203E0540021F662AC5F§ion_id=&utm_source=chatgpt.com
★4──オ·セヒョン 「障害芸術家文化芸術活動支援基本計画の方向性と意義」(『イェスルイン』 第60号、2023年5月)https://news.kawf.kr/?idx=773&page=4&searchCate=05&searchVol=60&subPage=02&utm_source
★5──文化芸術振興法施行令 第23条·大統領令第34449号 https://kdac.or.kr/template/cms/user/file/문화예술진흥법_시행령_제23조%28대통령령%29%28제34449호%29.pdf
★6──障害者による文化芸術活動の推進に関する法律 https://laws.e-gov.go.jp/law/430AC0100000047/
★7──障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律 https://laws.e-gov.go.jp/law/425AC0000000065
★8──Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス)を考慮した経営
★9──ろう者の感覚や手話など視覚言語でのコミュニケーション、ろう文化などを取り入れ、ろう者が快適に過ごせるようデザインされた空間
★10──ムン・ヨンミン「障害芸術 ― 生態系を広げ、基盤を守る」(『ARTS EQUATOR』、2022年4月7日) https://artsequator.com/ground-up-korean/
★11──カン·ボルム、コ·ジュヨン、パク·ジソン、イ·ジヘ「[座談会] 創作を媒介する活動 共に市民として共存するためのつながり」(『ウェブジン イウム』、2021年7月28日)https://ieum.or.kr/user/webzine/view.do?idx=155
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