会期:2025/07/18~2025/07/30
会場:photographers’ gallery[東京都]
公式サイト:https://pg-web.net/exhibition/keiko-sasaoka-park-city-6/

戦後80年という節目を迎える2025年の夏、各地の美術館では「戦争」「記憶」「ヒロシマ」をテーマとした企画展が相次ぐ。戦争画(作戦記録画)を含む美術が戦前から戦後にかけて果たした役割を多角的に検証する「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」展(東京国立近代美術館)、美術館が位置する比治山に戦前あった軍人の銅像を起点に、記憶を形成する制度や再構築をテーマとした「被爆80周年記念 記憶と物―モニュメント・ミュージアム・アーカイブ―」展(広島市現代美術館)、報道機関や写真家による広島の原爆写真を集めた「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」(東京都写真美術館)、衣類や日用品などの被爆資料を主観を排して撮影した土田ヒロミのライフワークを展示する「土田ヒロミ写真展『ヒロシマ・コレクション』―1945年、夏。」(中之島香雪美術館)、ゴヤの版画集「戦争の惨禍」を軸に美術作家による戦争表現を集めた「ゴヤからピカソ、そして長崎へ」展(長崎県美術館)などだ。

一方、1978年生まれの写真家、笹岡啓子は、生まれ育った広島を「公園都市」と捉える視座から、2001年より「PARK CITY」シリーズの撮影を粘り強く重ねてきた。ライフワークといえる「PARK CITY」には、複数のフェーズと転換点があるが、通底するのは「現在の光景しか写せない写真を通して、『過去の見えづらさ』そのものをどう凝視することができるか」という写真メディアの原理をめぐる、困難かつ真摯な問いである。笹岡の関心の出発点は、かつて街いちばんの繁華街だった爆心地付近が人工的に整備された「公園」を中心に抱えた広島という都市の特異な地勢にあった。写真集『PARK CITY』(2009、インスクリプト)にまとめられたモノクロの初期作品群では、夜間に平和記念公園や市街地を撮影したほぼ真っ黒の画面が、「過去の見えにくさ」という諦念や「わかりやすいイメージとして簒奪することに対する倫理的葛藤」を端的に提示する。

一方、東日本大震災の被災各地を継続的に撮影した「Remembrance」シリーズを契機に、2010年代半ば以降の笹岡は、デジタルカメラによるカラー撮影に「PARK CITY」を切り替える。そこでは、シャッタースピードを遅くした長時間露光撮影により、公園を行き交う観光客や通行人の姿は陽炎のように揺らめき、「現在の公園にカメラを向けると、亡霊が写ってしまう」という恐るべきアナクロニズムが出現する。

写真という装置を介して、現在の光景のただなかに「過去」を幻視すること。こうした多重的な時制の錯綜や混濁は、2022年以降、新たな展開を迎える。同じ橋や路面電車の駅など、ほぼ同じ場所で撮られた被爆以前の古い写真と、笹岡自身が撮影した現在の都市風景を、一枚の画面に重ねる操作が行なわれた。ただし、それぞれの写真データを、光の三原色であるR(レッド)、G(グリーン)、B(ブルー)の3つの色の版に分け、例えばRとGの版は現在の写真、Bの版は古い写真というように、分割した版を組み合わせている。そのため、一枚の画面上では、色のレイヤーの干渉とともに過去と現在の光景が錯綜し、輪郭を見極めることが困難になる。

[© Keiko Sasaoka]

カラーの長時間露光撮影による「過去」の幻視と「亡霊」の召喚。入り組んだレイヤーが折り重なる過去と現在。こうした転換の背景には、笹岡が設立時から運営に関わるphotographers’ galleryが刊行する雑誌『photographers’ gallery press』の12号(2014)で特集「爆心地の写真 1945-1952」を組んだ際、広島平和記念資料館で大量のアーカイブ写真を調査した経験がある。

本展では、こうした近年の試みと新作が展示された。すでに四半世紀にわたって広島での撮影を積み重ねてきた笹岡だが、本展の展示構成からは、「観光客として外から広島を訪れた者」の視線と軌跡を追体験するような感覚を受けた。会場に入ってまず相対するのは、白昼の平和記念公園の光景である。モニュメント、原爆ドーム、川沿い、イサム・ノグチが欄干をデザインした平和大橋、外国人観光客も目立つ行き交う人々……。公園を歩いて、平和記念資料館の中へ。「展示物を眺める人」の背後から、私もまた、写真、映像、絵といったすべて二次元のイメージを入れ子状に見ることになる。そして、次の壁ではRGBに分けた過去と現在の写真を重ね合わせた作品が展示され、時制が錯綜し、「過去のイメージ」のなかに入り込んでしまう。資料館を出たら、外は夕暮れだ。ライトアップされた橋や噴水。そして、一夜が明けた翌朝、街を歩くと、とりたてて特徴のない、普段の日常の広島の都市風景が続いている(ただし、街並みには、現存する被爆建物のひとつである旧日本銀行広島支店も紛れている)。

[© Keiko Sasaoka]

[© Keiko Sasaoka]

[© Keiko Sasaoka]

一方、本展の特異点は、「長時間露光撮影によって白飛びし、物質感が希薄なゴースト化した原爆ドーム」の一枚だ。笹岡は以前の試みでも、現在の公園周辺の光景をネガポジ反転させるというショッキングな操作を行なっていたが、そうした操作を経なくても、同等かそれ以上の視覚的ショックがもたらされた。この「白飛びしてゴースト化した原爆ドーム」は多義性をはらむ。「夜の闇に紛れて見えない」のではなく、ゴースト、つまり幽霊のように取り憑いていること。物質感を喪失し、半透明に透けるようなその姿は、「記憶の風化」を指し示すようでもあること。一方、光のなかへ融解させる笹岡の手つきは、「ヒロシマ」の象徴やアイコンとして数限りなく撮影されてきたことに対する抵抗でもある。あるいは、夜の暗闇とは対極の白昼のまばゆい光のなかにあっても、それはなお「見えにくい」ものであるのだ。

[© Keiko Sasaoka]

また、別の一枚では、外国人観光客と思しき人々の背後から、彼らの視線の先にある原爆ドームが画面中央に写される。資料館内と同様、「見る人」を入れ子状に写すことで、資料館の正面に立ち、原爆慰霊碑のアーチの先に原爆ドームを望むという、丹下健三が設計した公園の軸線が強調される。だが、周囲の花壇には折り鶴の巨大なオブジェが置かれ、原爆ドームと並んで、屋上展望台を備えた「おりづるタワー」も写っている。原爆ドームへ視線を誘導する軸線上で撮影すると、おりづるタワーも不可避的に写ってしまうこと。「ヒロシマ」の写らなさや見えにくさという諦念ではなく、広島という現実の都市が観光地として変わりゆく事態を記録すること。シリーズの継続の意義がここに感じられた。

[©Keiko Sasaoka]

★──下記のインタビューを参照。「“写らない”広島を撮り続けて:戦後80年、写真家・笹岡啓子に訊く」https://hillslife.jp/culture/2025/07/18/what-is-editing_26/

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鑑賞日:2025/07/29(火)