artscapeレビュー
笹岡啓子「SHORELINE」
2020年10月15日号
会期:2020/09/05~2020/09/25
笹岡啓子が2015年から継続的に発表している「SHORELINE」シリーズは、津波被災地の東北地方沿岸部をはじめ、日本各地の現在の/かつての海岸線を丹念に記録し、海岸線、河川、火山、土地の隆起などの地殻変動を通して「地続きの海」を浮かび上がらせようとする試みである。原発のある海浜や、除染土のフレコンバッグが放置された光景も含まれ、「この国の輪郭線」を、外部から物理的に規定する「海岸線」とその流動性や(人為的)変容、時制の重なり合いの視点から、地政学的なスケールで探究する試みといえる。
本展では、徳島県の吉野川や宮城県の阿武隈川での「釣り人」と、福島県の吾妻小富士や長野県の木曽駒ケ岳の残雪の山肌を歩く「登山人」、長野県篭川の人工滝などが端正に写し取られている。地理的に離れた場所を、「雪山→落水→河川敷→河口」の水の移動として繋ぎつつ、その雄大な風景のなかを逆行するかのような人間の運動が、豆粒のようなスケールの対比として捉えられている。
併せて本展では、被災沿岸各地で堤防建設、かさ上げ工事、区画整理後の更地に次々と整備されつつある「復興祈念公園」を捉えた「Park」が新たなシリーズとして発表された。展示冒頭に置かれた「高田松原津波復興祈念公園」は、水平に伸びるピロティ構造の追悼施設、その正面へと真っ直ぐに伸びる太い導線の道路、厳格な幾何学的配置が丹下健三設計の広島平和記念公園を強く想起させる(画面には写っていないが、人工的に保存された「奇跡の一本松」が園内にあり、「原爆ドーム」的なアイコン化との並置は、より「ヒロシマ」性を強く示唆する)。
笹岡はライフワークの「PARK CITY」で近年、長時間露光撮影によって、観光客と明るい光で溢れる「現在」の平和記念公園を、「亡霊」の幻視もしくは「原爆の炸裂の瞬間」が出現するイメージに変換し、不可視の「過去」を「現在」の内に召喚し、重ね合わせようとする恐るべきアナクロニックな写真的実践を試みている。この多重的な時制の撹乱という主題は、本展会場をめぐるうち、第二、第三の「PARK CITY」がまさに現在進行形で続々と形成されつつあるという感覚として立ち上がり、慄然とする。
だがこれらの「Park」は、広島のそれを起源として想起させつつ、唯一の単数形ではない。過去は現在のうちに反復され、同時に無数の差異・バリエーションを生み出す。巨大な堤防に囲まれた更地にクレーン車が屹立し、未だ建設途中のもの。犠牲者の氏名とともに、津波の高さを明示する碑。防災用の避難丘や遊具を備え、住民の生活目線に沿った緑地公園。SANAAを思わせる円形ガラス張りの建築が更地に突如そびえる異形の風景は、一際目を引く。痕跡を上書きすることで、忘却装置となる慰霊施設や祈念公園。一方、同じ公園内に遺構として残された、津波と火災の傷痕が痛々しい小学校も笹岡は捉えている。
何を「継承すべき記憶」として保存し、固定化し、上書きし、抹消し、その過程において「私たち」の(ナショナルな)共同体を視覚的・身体的に形成/排除するのか。そうした記憶空間の政治学への問いが、「PARK CITY」から「SHORELINE」を経由して「Park」へと至る笹岡の根源的な探究の軸線として浮かび上がってくる充実した個展だった。
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2020/09/06(日)(高嶋慈)