今年10月4日からの約1カ月間、阿蘇郡小国町を舞台とした芸術祭「小さな国 十月」が開催される(2025年10月4日〜11月3日)。開館30周年を迎える同町の坂本善三美術館を起点として、きわめて小規模だが、その土地に息づく「名もなき価値」を解き明かすことを目的とする、本祭について報告したい。

目に見えないものを共有し、互いに持ち帰る

現在、筆者は10月5日から開催される、熊本出身の映画監督・遠山昇司の個展「収蔵庫の鳥たち」(2025年10月5日〜12月14日、熊本市現代美術館にて)の準備の最中だが、遠山はこの「小さな国」の総合ディレクターも兼ね、拠点とする東京から、熊本市と小国町を往復する日々を送っている。この「小さな国」は、実行委員長こそ小国町長が務め、行政と連携しながら運営されるものの、完全な民間ベースの芸術祭である。


「小さな国 十月」ポスター

まず、「小さな国」たる小国町とはどのような町か。九州のほぼ中央、熊本県の最北端に位置する人口6,000人の同町は、森林資源に恵まれ、温泉や小国杉、ジャージー牛乳などの特産品がある。それらの、現在につながる町の個性をかたちづくったのは、1980年代に当時の宮崎暢俊町長(1983-2007在任)が提唱した「悠木の里づくり」であり、建築家・葉祥栄設計による《ゆうステーション》(1987)や《小国ドーム》(1988)に代表されるように、公共建築に積極的に小国杉を使用するなど、現在の地域デザインの枠組みを先取りした画期的なものであった。

その後の北里耕亮町長時代(2007-19)には「木育」、現在の渡邊誠次町長(2019-)は「すべては次世代のために」と、近年までそれぞれの政策を継承・刷新しながら町づくりが進められている。そして、これら3代の町長全員が実行委員を務めていることが示すように、この芸術祭は、さまざまな場面で、住民たちが芸術祭に主体的に参加し、活動していく方針がとられているという。同祭では、この町の人たちが、芸術祭をきっかけに同町を訪れた人たちと、目に見える作品だけでなく目に見えないものを共有し、互いに持ち帰ることを目的とすると遠山は語った

★──芸術祭「小さな国 十月」記者発表での遠山の発言による(2025年7月24日、熊本県庁県政記者会見室)

一本の映画から

そもそも、芸術祭が立ち上がるきっかけには、偶然の出会いが作用したのだという。遠山は、豪雨災害後の球磨川を舞台に撮影した映画『あの子の夢を水に流して』(遠山昇司監督、2022)を、小国町にただ一軒残る映画館、小国シネホールで上映した。かつて林業で活況した同町には昭和初期に開業した映画館・雄国会館があり、その映写技師だった北村弘義氏が興した小国シネホールは、いったん閉館を経て、現在は息子の栄次朗氏が館主を務めている。


映画『あの子の夢を水に流して』(遠山昇司監督、2022)予告編

その北村氏の案内で小国の町を巡ると、遠山は、さまざまな「町にひとりしかいない職業の人たち」に出会ったという。そのひとりは、坂本善三美術館の企画を長年ひとりで担当してきた山下弘子学芸員(現在は2名体制)。そして、同町の杖立温泉の温泉配管をたったひとりで365日守り続ける配管工の芦塚勲氏。80代の芦塚氏は、実は配管工以外に、少しでも愛する町を盛り上げたいと、夜は「男芸者」としてお座敷に立ち、宿泊客を楽しませるというもうひとつの顔も持っている。そのことを知った遠山は、深く体の奥に染み入ってくるような感銘を受けたという。

遠山の本業が映画監督であることを考えると、そんな「小さな国」を支えるさまざまな人たちの映画を撮るという選択ももちろんあっただろう。だがこれまで、さまざまなアートプロジェクトや「さいたま国際芸術祭2020」のディレクターを務めた経験から、映画ではなく、アートプロジェクトや芸術祭、それも大規模な華々しいものではなく、町の人と訪れる人が出会い、「持ち寄って、持ち帰り」、等しくシェアするようなもの。アートとリサーチが一体となった往還型の芸術祭を目指すという構想が立ち上がるのに、それほど時間はかからなかった。

季節を経るごとに深まっていく芸術祭

さて、その芸術祭「小さな国 十月」では、具体的に何が行なわれるのか。まずひとつには、坂本善三美術館で開催される開館30周年記念展「日々。」(2025年10月4日〜11月30日)である。同美術館にゆかりの深い藤原雅哉、ワタリドリ計画、若木くるみ、岡山直之とケヤキノタミ、小国のたまり場 with 増野奈古らのアーティストたちが同館を中心に作品制作を行なう。

二つ目には、「国際小国学」の立ち上げという大きな目的があるという。そもそも、この「小国学」は、今回急に持ち上がったものではなく、実はそこに通じる大きなバックグラウンドがある。現在の千円札の顔であり、同町出身の北里柴三郎博士が提唱した「学習と交流」という理念は、長年、町政運営の骨格のひとつとなり、教育研修施設・木魂館や、同所を拠点とする九州ツーリズム大学などの運営などを通して、世界各地から多くの人を受け入れ、地域をつくる人材を輩出してきた。

今回の芸術祭でその「小国学」を各自の視点から深め、展開していくのが、家入健生(BEPPU PROJECTディレクター)、井上岳一(日本総研)、武田知也(舞台芸術プロデューサー)、原田真紀(キュレーター)、松村圭一郎(文化人類学者)、米津いつか(編集者)からなる、6人のリサーチャーである。すでにすべてのメンバーが小国に入り、それぞれのリサーチをスタートさせているそうだ。例えば、著書『うしろめたさの人類学』(ミシマ社、2017)で知られる文化人類学者の松村は、1990年代半ばより行なわれてきた「小国町女性会議」に代表されるような山村での女性たちの独自の活動に注目し、小国高校生とともにオーラルヒストリーの収集をはじめた。それらのリサーチ結果は、編集されZINEとして発行される。あるいは、舞台芸術プロデューサーの武田は、明治期より続けられてきた、旅館の旦那衆や駐在所の警察官までが宿泊客を楽しませるため、素人俳優として舞台に立つ「杖立伝承芝居」に着目し、リサーチを行なっている。

リサーチャーたちによるリサーチ風景

「小さな国 十月」というタイトルが示すように、実質の会期は1カ月だが、その後、続編のように「六月」「二月」「八月」と、季節に合わせて芸術祭が実施されるという形式に本祭の特徴はある。そのなかで、リサーチ結果が反映された新たな動きやパフォーマンス、作品発表のようなかたちで、成果が結実してくるという仕組みだ。そして遠山自身も、同祭では作品制作の予定はなかったが、同町の人々が、町にひとつしかない小国高校をまるで宝のように大切にしていることに強く心を動かされ、映像作品《しろい息》を同校の生徒と共同で撮影し、熊本市現代美術館で発表することとなった。

「善」を感じる瞬間

遠山昇司《しろい息》撮影風景[協力:熊本県立小国高等学校]

最後に記しておきたいのは、「この国には、まだ名前のない“善”がある」という本祭のテーマに、個人的には深く頷けるものがあるということだ。筆者は、同じ県内に住み同町をたびたび訪れるが、静かで落ち着いたこの山里にも、過疎化や人口減少の波が押し寄せていることを知るなかで、たびたび「善」を感じる瞬間があるのだ。例えば、指導者不在のため、学校の美術部を存続できなくなったときに、坂本善三美術館が「おぐに美術部」を立ち上げて活動をはじめたこと。また、筆者の小国町での個人的な一押しスポットは、静川脇の「けやき水源」だが、そこには樹齢1000年とも言われるケヤキの古木があり、その根元から驚くほど透明度の高い清冽な水が日々滾々と湧き出している。地元の人によって維持管理された、驚くほど清浄で美しい空気に包まれた場所が、民家の裏手に何気なく存在し、誰にでも等しく開かれていること。自分らしく生きながら、世界もよくしていこうという、人々の自然な営み。西田幾多郎の『善の研究』を引くまでもなく、これこそ「善」というものを端的に表わしているのではないか。

世界のなかで、日々失われつつある「善」が、この「小さな国」のなかではまだ脈々と生きている。その無名の善というものこそ、私たちが求める「美」にほかならないのだ。


小さな国 Small Land Project 十月
会期:2025年10月4日(土)〜11月3日(月)
会場:坂本善三美術館、小国シネホール、熊本県阿蘇郡小国町内各所
公式サイト:https://smalllandproject.com/


「小さな国 十月」参加企画「日々。」
会期:2025年10月4日(土)〜11月30日(日)
会場:坂本善三美術館
公式サイト:https://sakamotozenzo.com/schedule


遠山昇司展 収蔵庫の鳥たち
会期:2025年10月5日(日)〜12月14日(日)
会場:熊本市現代美術館
公式サイト:https://www.camk.jp/exhibition/toyamashoji/


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