会期:2025/08/19~2025/08/30、2025/09/08~2025/09/09
会場:立命館大学国際平和ミュージアム[京都府]
公式サイト:https://rwp-museum.jp/special/20250819_01/

当事者と非当事者、時間と時間のあいだの断絶を、「身体的な型の反復」というある種の即物性や愚直さに賭けることで、どう架橋することができるか。大和楓はこれまで、阿波踊りの「男踊り」「女踊り」、沖縄の踊りの「カチャーシー」、辺野古への米軍基地移設に座り込み抗議を続ける人々が機動隊に強制排除される際の体勢など、集合的に繰り返されてきた身振りを「型」として抽出し、踊りの文化や基地反対運動に所属しない人でもそれを身体的に反復することができる装置を作品化してきた。例えば、《Flip the paper near the chin》(2023-2024)は、あごの高さに置かれた2枚の新聞を両手でめくって読むことで、カチャーシーの手振りをトレースできる装置である★1 。新聞記事は沖縄戦や基地に関するものであり、身振りをトレースする行為は同時に、沖縄についての学びを触発する。あるいは、「あごの高さに紙面がある」という読みづらさや、読む行為に没入しようとすると「踊りの型の反復」が阻害されるというジレンマは、安易な「理解」への疑義を突きつけるものでもある。

初個展である本展では、沖縄戦で米軍の捕虜となり、牧港捕虜収容所に収容された祖父について調査するなかで、沖縄県公文書館の写真資料に写っていた「うずくまる捕虜の姿勢」に大和は注目した。顔も名前も、出身地(本土、沖縄、朝鮮半島)もわからず、絶望や疲労困憊が取らせた姿勢なのか、あるいは撮影されることを拒むかのように、片手で頭を抱えて前屈みになった捕虜の姿勢。大和は、牧港や他の捕虜収容所があった場所に赴き、その姿勢を自らの身体で再演した。本展の中核をなす映像作品《シッティング・イン・ザ・タイム》(2025)は、幹線道路沿い、海辺、公園や神社、巨大スタジアムの前などさまざまな場所で「再演」を行なった記録映像を編集したものである。ただし、地面に座り込んで固定の姿勢を取るのではなく、トランポリンの上で飛び跳ね、跳躍の高さが最高点に達したとき、空中で「捕虜の姿勢」を取る。その姿勢は一瞬で瓦解する。この宙に浮いた不安定さと脆さが、本作の賭け金である。


大和楓《シッティング・イン・ザ・タイム》(2025)[撮影:筆者]

それは、トランポリン競技のアスリートが練習を繰り返す光景のようでもある。もっと高さを、もっと完璧なフォームを。だが、バランスを崩した大和は何度も着地に「失敗」し、地面に身体を打ち付け、倒れ込む。何のための「練習」なのか? それは、時間的にも大きく隔たった他者へ容易には近づけないことを、自らの身体をもって知る・・ための反復練習だ。

一方、淡々と切り替わる映像のなかで、「捕虜のポーズを空中で再演する」瞬間が一時停止され、静止画像としてフリーズするシーンがある。それは、キャンプ・キンザーのフェンスの前での再演行為である。一瞬の跳躍が、辺野古への米軍基地移設に対して続けられている座り込みの抗議(シット・イン)と接続し、隔たった時間どうしを「今、この瞬間」においてつなげる。いや、実際には時間は断絶していない・・・・・・・のだ。《シッティング・マップ》(2025)と題された別の作品では、大和が再演を行なった地点と、捕虜収容所の跡地、米軍基地や旧日本軍関連施設などが記されている。このマップを見ると、牧港捕虜収容所はキャンプ・キンザー(牧港補給地区)に、奥武山捕虜収容所は旧海軍司令部壕に、小禄捕虜収容所は那覇空港と航空自衛隊那覇基地にそれぞれ隣接している(キャンプ・キンザーの前身は日本陸軍の南飛行場であり、航空自衛隊那覇基地が併設された那覇空港は、日本海軍の小禄飛行場が米軍に接収後、本土復帰の際に返還された)。捕虜収容所があった場所は、戦前の日本軍関連施設と、米軍による接収を経て、現在の米軍基地や自衛隊基地に連なっている。大和の《シッティング・イン・ザ・タイム》は、「映像の一時停止」という時間の流れを断ち切る操作によって、逆説的に、戦前・占領期・現在という時間の隔たりを、文字通り「跳躍」しようとすることに賭けられている。


大和楓《シッティング・イン・ザ・タイム》(2025)[作家提供]


大和楓《シッティング・マップ》(2025) [作家提供]

また、本展では、上述のマップに加え、沖縄戦で銃撃された祖父の体内に入っていた弾丸がケース内に展示され、リサーチ資料や、リサーチを元に大和が手書きで発行した「ぽよぽよ新聞」が読めるコーナーも設けられている。だが、《シッティング・イン・ザ・タイム》の出発点となった「捕虜の写真」は、どこにもない。「ぽよぽよ新聞」で大和は、頭を深く垂れ、顔を隠すように片手で頭を覆った被写体の人物について、精神的・肉体的疲労だけではなく、「捕虜として生き残ることは恥」とする感情や、一方的にカメラを向ける行為の暴力性に対する抵抗も読み取れるのではないかと綴っている。そして、この「捕虜の写真」を自分が見せること自体、そうした暴力性に加担するのではないかと自問する。したがって、大和の「跳躍」は、米兵の位置に同一化して「敗者のイメージとして固定化する」という視線の暴力を繰り返すのではない仕方で、自らの身体を媒介として、不在の写真へ鑑賞者の想像力をどう向けることができるのかという、もうひとつの困難かつ倫理的な「跳躍」でもある★2


[作家提供]

「写真資料を見せる」のではなく、「身体的に再演する」という迂回路を通して、「その身振りを取った、あるいは取らざるをえなかった人がいた痕跡」を伝えること。写真は凍結された過去に触れるための手段だが、「一方的に撮られることを拒めない」という撮影行為のもつ暴力性をどう回避して、過去に触れ、かつそれを身体的に現在へつなげることができるか。沖縄という土地で、記憶と再演、忘却への抵抗、見る(見せる)ことの倫理について重層的に問う秀逸な展示だった。

最後に、本展がインディペンデント・キュレーターの長谷川新のキュレーションにより、立命館大学国際平和ミュージアムで開催されたことの意義について触れたい。今年3月、戦後80年の節目に展示のリニューアルを計画していた長崎原爆資料館で、日本軍の侵略や加害行為の展示を疑問視する声が上がり、リニューアルが延期になった★3 。侵略や加害行為の展示をめぐって、近年、各地で撤去や縮小が相次いでいる。2015年には、大阪国際平和センター(ピースおおさか)がリニューアルに伴い、加害展示を撤去し、展示内容が大阪大空襲に絞られた。また、昨年、群馬県の県立公園では、戦時中に軍需工場などに労務動員されて亡くなった朝鮮人の追悼碑が撤去された。だが、立命館大学国際平和ミュージアムの常設展示では、台湾・朝鮮半島・樺太・満州・南洋諸島などの植民地・占領地支配を扱うコーナーも設けられ、「慰安婦」についても写真や資料を用いて解説されている(地図を見ると、中国大陸から東南アジア各地まで、日本軍の勢力範囲のほぼ全域に慰安所が設置されていたことがわかる)。本展は、単に「平和資料館で展示する」点にとどまらず、「資料を見せること」の責任と倫理をめぐって重層的な問いをはらむ点で、この場所で開催する意義をもつものだった。

★1──大和楓のウェブサイトより。https://conbu13den.myportfolio.com/frip-the-paper-near-the-chin
★2──なお、会場に置かれたスタンプのQRコードから、沖縄県公文書館のデジタルアーカイブ内にある写真データにアクセスできるようになっている。
★3──「長崎原爆資料館、展示更新の議論続く 南京事件『でっちあげ』主張も」(朝日新聞、2025年8月14日)https://www.asahi.com/articles/AST8G2D4BT8GTIPE00VM.html

関連レビュー

大阪国際平和センター(ピースおおさか)リニューアル「大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアム」|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2015年07月15日号)

鑑賞日:2025/08/23(土)