
会期:2025/07/18, 08/24, 09/12
会場:東京都写真美術館[東京都]
公式サイト:https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-5073.html
東京都写真美術館で開催中のルイジ・ギッリの展覧会「総合開館30周年記念 ルイジ・ギッリ 終わらない風景」(2025年7月3日〜9月28日)の関連イベントとして、ギッリのドキュメンタリー映画『Infinito』(2022)が上映された。
本作は宇宙から地球を捉えた1枚の写真──画家の孫として生まれ、10代からアマチュア写真家としてカメラに親しみながらも測量技師となったギッリに、写真家としての道を歩ませる契機となった写真──から始まり、1974年にギッリが取り組んだ空を撮るプロジェクト「Infinito」で終わる。空が持つ、無限に広がり、変わり続けるというイメージが、ギッリのまなざしや人間性を表わすものとして映画全体を貫いている。
映画の本編はカメラを持って散策するギッリの映像、彼の著作からの言葉、そしてギッリと関わりのあった人々──ギッリの娘、画家のフランコ・ゲルゾーニ、写真史家のパオロ・バルバロ、ギッリの故郷にある廃墟をスタジオにしていたバンド・CCCPのマッシモ・ザンボーニなど──による証言をつむいで進行する。とくに「写真家である前に人である」と標榜していたギッリの姿勢を伝えるように、彼の思索家としての側面に焦点を当てている。たとえばギッリが自身の展覧会に家族を招きたがり、家族の存在が自分の足を地につけさせてくれるとしたこと、ギッリと親しかった写真家のジャンニ・レオーネによる「ルイジ・ギッリは本当に写真家だったのか? 彼はもっとずっと多くのことを成し遂げていた」といった発言を取り上げ、写真家という枠にとどまらない人物像としてギッリを描写している。
『Infinito』の監督を務めたマッテオ・パリシーニは自身が生まれ育った、70年代に始まった40人程度のコミューン「リゾラ」や★1、イタリアに暮らす第二世代の移民女性を対象としたドキュメンタリーを制作し、イタリアという土地に暮らす人々やその変化に注目してきた。『Infinito』においてもギッリが写真家となって出版社を立ち上げる70年代、そして彼が撮影した郊外や廃墟といった変わりゆくイタリアの土壌に触れている。ギッリの写真はイタリアの風景を、アリナーリ様式と呼ばれる観光写真から日常的な景観へ引き戻したと言われるが、CCCPのアルバムジャケットの撮影場所となった廃墟へのギッリの関心など★2、観光都市ではないイタリアの様子が映画の端々に含められている。
ところで映画を観て気になったのは、ギッリ以前のイタリア写真史についてである。映画ではギッリがウォーカー・エヴァンスなどのアメリカ写真家から影響を受けたことが示される★3。また、プリンターのアリーゴ・ギはフランコ・フォンタナの名を挙げて70年代のイタリア写真がいかに絵画的で、ギッリの写真がそれらと異なったかを語る。
しかしギッリの写真、とくに初期のものはそれら両方の特徴を併せ持ち、エヴァンスのように台所や街中にある日常的なモチーフを、フォンタナのように幾何学的な構図を用いて捉えているように見える。フォンタナからの影響というイタリア写真史としては自明ゆえに触れられないことが、却って新鮮な類似に見えるのかもしれない。
全3回におよぶ上映会の最終回では、森岡書店代表の森岡督行氏によるアフタートークが実施された。『Infinito』の内容をふまえながら、ギッリの最初の写真集『Kodachrome』(1978)の解説と、日本でギッリが紹介された初期の事例として1977年にイタリア文化会館で開催された展覧会「11人のイタリア写真家と11人の日本写真家:目・カメラ・現実」(1977年5月14日〜6月5日)の紹介が行なわれた★4。
また展覧会の学芸員・山田裕理氏からも、ギッリが妻や仲間と立ち上げた出版社「Punto e Virgola」(プント・エ・ヴィルゴラ)は「セミコロン」を意味すること、コンマとピリオドの中間にあたるこの記号の途切れることのないイメージが、映画やギッリの写真集のタイトル「Infinito」との共通点として語られた。
展覧会ではギッリの妻であるパオラ・ボルゴンゾーニの仕事にも注目し、ギッリの写真との関わりも紹介している。プント・エ・ヴィルゴラを含む、ギッリを囲む人々との協働をたどることのできる展覧会と上映会だった。
鑑賞日:2025/09/12(金)
★1──https://www.redattoresociale.it/article/notiziario/la_vita_nella_comune_di_sasso_marconi_raccontata_in_un_film-documentario
★2──イタリアの音楽グループCCCPは、ギッリの故郷であるレッジョ・エミリア地方にある18世紀の農家の廃墟に滞在し、その場所をスタジオ兼居住空間として使用していた。ギッリが撮影した廃墟をジャケットに使用したアルバム『エピカ・エティカ・エトニカ・パトス』は、この場所の自然な音の反響を利用している。https://it.wikipedia.org/wiki/Epica_Etica_Etnica_Pathos#cite_note-remark-4
★3──ギッリが影響を受けた作家について、トーク登壇者の森岡督行氏がギッリの息女に尋ねたところノートに書いてくれたという。そのノートによると、画家はジョルジョ・モランディ、ルネ・マグリット、マックス・エルンスト、ピエロ・デラ・フランチェスカ。写真家はウォーカー・エヴァンス、リー・フリードランダー、アンセル・アダムス、ウジェーヌ・アジェ、アンドレ・ケルテス、ウィリアム・エグルストンを挙げていた。
★4──本展の日本人写真家の選定は大辻清司が行ない、牛腸茂雄や北井一夫が参加している。