会期:2025/08/29〜2025/09/07
会場:三鷹市芸術文化センター 星のホール[東京都]
作・演出:中島梓織
公式サイト:https://wareroma.studio.site/
友情とは、恋愛とは、パートナーシップとは何か。ひと口に友情と言ってもその内実はさまざまである。この事実に異を唱える人は少ないだろう。だがこれが恋愛やパートナーシップの話となると、途端に「普通」という名のステレオタイプが幅を利かせるはじめるのはなぜなのか。普通の恋愛? 普通に結婚? だがその「普通」はしばしば、二人の恋愛観や結婚観、家族観などの違いに目を瞑ることでかろうじて成り立っている。いや、「普通」という枠組みがあるからこそ、そこにある違いに気づかないふりをすることができているのかもしれない。違いと向き合うことはしんどいのだ。しかし見て見ぬふりをすることもまたしんどくて、その見て見ぬふりはときに自分も相手も傷つけてしまう。だから、話をする。いいへんじ『われわれなりのロマンティック』はそのタイトルの通り、自分たちなりの「ロマンティック」のあり方を見つけるために、向き合うことを、互いに話をすることを選ぶ人々の物語だ。
さて、『われわれなりのロマンティック』は10月末までの期間限定で配信映像が販売されている(視聴は11月14日[金]まで)。以下では内容の一部に触れることになるのでご注意を(と言いつつ、この作品の魅力が以下では省略されている細部にあることも間違いないので、未見の方はぜひ配信映像をご覧ください)。
[撮影:月館森]
物語は2016年からはじまる。大学のフェミニズム研究会の新歓で出会った茉莉(小澤南穂子)と蒼(小見朋生)。蒼の人見知りもあって最初こそ微妙な関係だった二人はしかし、サークル活動や帰りの電車での会話を通じて少しずつ距離を縮め、気づけば空きコマには二人で散歩をするような関係になっていた。サークル同期の理子(百瀬葉)はその様子を見て「それが恋です」と囃し立てたりもするが、茉莉は釈然としない。二人の関係について思い悩む茉莉だったが、やがて風邪で寝込んだ蒼を見舞ったことをきっかけに、お互いを「恋人」ではないが「デカい存在」「ありがたい、存在」として認め合うことになる。そして時は過ぎ──。
他者への好意が友情であるか恋愛感情であるかを区別できない、あるいはしない恋愛的指向(romantic orientation)をクワロマンティックという。茉莉と蒼が築く関係は、その当初こそ名づけを伴っているわけではないものの、二人のクワロマンティックな指向に基づくものだ。『われわれなりのロマンティック』の登場人物一覧には、例えば茉莉であれば「シス女性。クワロマンティック。デミセクシャル。」というように、すべての登場人物にそのジェンダーやセクシュアリティを示す言葉が付されている。シス男性、アセクシャル、ヘテロセクシャル、レズビアン、バイセクシャル、ノンバイナリー、アロマンティック、パンセクシャル。これらのジェンダー・セクシュアリティとは異なるカテゴリーの言葉ではあるものの、例えばフェミ研の先輩である明里(川村瑞樹)のプロフィールにはパートナーとの関係のあり方として「ポリアモリーを実践している」という記述もある。これらの言葉はそのすべてが劇中で説明されるわけでも明示されるわけでもなく、また、当然のことながらこれらの言葉がその登場人物のすべてを説明するわけでもまったくないのだが、それにしても、これだけ多様なジェンダーやセクシュアリティ、そしてパートナーシップのあり方がひとつの作品のなかで描かれていることの意義は2025年の日本においては(あるいは日本の演劇界においては)きわめて大きい。
加えて重要なのは、それぞれのジェンダーやセクシュアリティ、そしてパートナーシップのあり方が、必ずしも自明のものとして描かれているわけではない点だ。登場人物たちはそれぞれにもがきながら自分なりの「ロマンティック」のあり方を探していく。
[撮影:月館森]
[撮影:月館森]
やがて大学を卒業した茉莉と蒼は隣同士の部屋に住むことになる。だが、社会人としての日々を過ごしていくうちに、二人の関係性も少しずつ変わっていく。そして2025年、茉莉に千尋(飯尾朋花)という「もう一人」の存在ができたことをきっかけに、関係の変化は見て見ぬふりをするにはあまりに大きなものとなり──。
ジェンダーやセクシュアリティもパートナーシップのあり方も不変のものではなく、また自分の思い通りにコントロールできるものでもない。だから自分なりの、自分たちなりの「ロマンティック」の落としどころを見つけるためには、変わっていくなかで話をしていくしかない。登場人物のそれぞれが自分たちに訪れた変化と向き合い、それについて話し、そして新しい関係を築いていくラストシーンは、それが現実においてしばしば非常に困難であるからこそ、グッとくるのだった。
[撮影:月館森]
蒼がクワロマンティックという言葉について「自分は、それに名前があるって知って救われたので」と言っているように、この演劇によって救われた思いがする観客は確実にいるだろう。だがそれだけに気になったのは、多様なセクシュアリティやパートナーシップが描かれている一方で、それゆえにパートナーシップを築くことが前提になりすぎてはいないだろうかという点だ。端的に言ってしまえば、この作品に独り身の居場所はないように感じてしまったのだ。もちろん、あらゆるセクシュアリティをひとつの作品で描くことは非現実的ではあるのだが、選択肢として独り身でいることをも肯定するような作品であってほしかった、というのは過ぎた要求だろうか。
[撮影:月館森]
いいへんじは早くも10月末に新作の予定している。吉祥寺ファミリーシアター×いいへんじとして上演される『しらないチャイム』は小学校高学年から中学生を推奨年齢とした作品になるとのこと。
読了日:2025/09/03(水)
関連記事
いいへんじ『器』|山﨑健太:artscapeレビュー(2022年07月01日号)
いいへんじ『薬をもらいにいく薬(序章)』(芸劇eyes番外編vol.3.『もしもしこちら弱いい派 ─かそけき声を聴くために─』)|山﨑健太:artscapeレビュー(2021年08月01日号)