能登半島地震が発生したとき、私はちょうど東京の実家に帰省していた。お正月の団欒の只中に流れた地震速報に目を疑い、一瞬立ち眩みがしたのを覚えている。金沢に私の仕事の都合で引っ越したのは、2023年2月。そこから、まだ一年にも満たない2024年1月1日、東京のテレビで石川県のことがずっと流れ続けるその様子は、現実のものだとは思えなかった。新幹線が正常に動き出したころ、まだ余震で不安の残る石川に、最初は一人で戻ることにした。金沢の状況もあまりわからないなか、金沢行きの新幹線に乗った。

能登と金沢の距離、日常が保たれている金沢の重要性

その車内で、山本周さん(Shu Yamamoto Architects)、岡佑亮さん(チドリスタジオ)の、金沢の建築家二人から連絡をもらった。能登半島地震に対して、建築家として何かしたい。でも何をすればいいかわからないから、一緒に考えてほしいと。金沢に移住してから親交はあったものの、私は二人に比べて、金沢歴が浅い。それに建築家でもない私に一緒に考えてほしいと声をかけてくれたのは、素直に嬉しかった。ちょうど金沢へと向かう途上。翌日会おうと即決した。震災から五日後と割と早い時期だった。

そうこうしているうちに、新幹線は金沢に到着する。金沢は驚くほどに日常の風景が広がっていた。道はひび割れていないか、建物は崩れていないかなど、いろいろと勝手な想像を膨らませてしまっていた私には、あっけにとられるほどの平穏さであった。これは私にとって意外であったが、同時に能登半島地震の救いにもなっているのではないかと感じた。復興の後背地として金沢は文化的にも経済的にも能登半島を支えていかなければならない。東日本大震災では原発の影響もあってか、被災地への支援は他県が担ったが、石川県では金沢という日常が、能登を支えることができる。これは、能登の復興にとっても希望ではないかと、金沢に戻って感じた。

翌日、三人で集まり、まずは情報収集と、過去の災害における建築家の動き方を資料を通して学んだ。実のところ、引っ越して来たばかりの私は金沢や能登については疎い。ただ、わからないながらにも、私も手伝いたいという気持ちはある。実は東日本大震災の際も、当時、東北学院大学にいた加藤幸治先生(現、武蔵野美術大学教授)を頼って、文化財レスキューに加わらせていただき、まだ学生の身であったが、長期休暇の度に東北に通っていた。建築家でなくても、歴史を生業にしている者として、関わり代はあることも知っている。例えば、阪神・淡路大震災以後は、文化財レスキューのネットワーク化が進み、文化財防災センターという組織も作られた。東日本大震災ではアーキエイドと呼ばれる建築家の活動がよく知られている。今回の能登半島地震でも、時間が経過すれば、こうしたボランティアや既存の組織が動きはじめていくだろうことも予想された。ただそうした大きな動きではなく、この小規模なグループでもできることはないか。二時間くらい話すうちに、まず動き出せそうないくつかの具体的なプランが膨らんでいく。いま思えば、そのとき考えたプランが、いまも三つの活動として展開し、継続している。それは、「震災の経験を聞く」「能登の勉強会」、そして「能登キャラバン」という活動である。


岡佑亮さん(チドリスタジオ)のアトリエに集まり、情報収集。何が起きているのか、何が起ころうとしているのか、本当にこの頃はわかっていなかった。

震災の経験を聞く

日本は、台風・地震・洪水など、さまざまな災害リスクを抱える「災害大国」として知られている。とくに阪神・淡路大震災以降、ボランティア組織の見直しや、文化財レスキューのネットワークが整備されてきた。こうした取り組みの積み重ねが活動を支えている。

もっとも、災害ごとに状況は異なり、制度や対応は常に小さな改訂=マイナーチェンジを求められる。つまり、災害対応の仕組みには、柔軟な運用と知識の蓄積が不可欠である。

そうした各地の災害経験を次につなげていくために始めたのが、「震災の経験を聞く」(日本建築学会『建築討論』内で開設)というウェブ企画である。

これまで蓄積された多くの知見は、文献をたどれば豊富にリファレンスを得ることができるが、それらを一つひとつ参照するのは容易ではない。そこで、ウェブ上に参照可能な事例として整理・公開することに意義を見出した。

また、日本建築学会には、2020〜2021年度の特別研究委員会「災害からの住まいの復興に関する共有知構築(第二次)[若手奨励]」の活動による貴重なインタビューの蓄積があり、未公開のものをこの機会に公開いただけることにもなった。新たな取材と既存の記録を組み合わせながら、連載として展開していったのである。


ボランティアに参加させていただきながら取材した風組関東さん。忙しいなか、みなさん丁寧に取材に対応してくださった。

この活動のなかで、山本さんと岡さんは熊本地震や佐賀豪雨を契機に発足した建築士によるボランティア団体「建築プロンティアネット」への取材を通じて、建築家として住宅相談にどう関わるかを模索するきっかけを得た。その後、同団体と連携して「建築プロンティアネット北陸」を設立し、すぐに能登での活動を開始。現在も住宅相談の最前線に立ち続けている姿には深い敬意を覚える。

このインタビュー企画では、建築に直接関わらない立場の人々——例えばプロボノや技術系ボランティア——にも焦点を当てながら、より広い視野で活動を伝え、共有していくことを目指した。


「震災の経験を聞く」のウェブサイト。建築討論のウェブサイトからみることができる。
https://medium.com/kenchikutouron

能登の勉強会

震災に対するさまざまなアクションを学ぶ「震災の経験を聞く」と並行して実施したのが、有事の震災時に対し、平時の能登を学ぶ「能登の勉強会」であった。

金沢と能登は実際のところかなり遠い。能登でも手前の都市である、羽咋に行こうとしても、おおよそ1時間ほどかかる。ましてや珠洲や輪島まで行こうとすれば、2時間で到着できればいいほうだ。地震が起きてから頻繁に能登に通う身にはなったが、震災前はサクッと行くような場所ではなかった。だから、正直に言えば、能登のことは歴史も文化もまるで知らなかった。

能登の建築に関わるならば、能登の風土についての知識をもたなければならない。そこで、まず「能登の勉強会」という活動を始めた。自然や歴史、民俗など幅広く、毎月一回能登に詳しい研究者や活動している方々を招いている。誰を呼ぶべきか皆目見当もつかないなかで、山本さん、岡さんと石川県立図書館の郷土資料コーナーの近くに陣取って、さまざまな文献を漁った。そこで興味をもった研究者にアポを取り、勉強会の講師を打診することから始めていった。徐々にわかってきたのが、能登の研究者は、金沢大学の能登学舎という研究機関で繋がっていること。研究者から研究者へと、芋づる式にネットワークができていった。


石川県立図書館で郷土資料を読むなかで、講師として呼びたい方々の顔も見えてきた。

この勉強会は、あくまでも学びたい人が、参加費2,000円を出し合って、講師への謝金と交通費を捻出するというスタイルで進めている。いまは先の山本さんと岡さんに金沢市役所の小坂謙介さんを加えて、四人で運営している。特に集客を目当てとしないサークル活動のようなもので、少人数だからこそ、とても熱心な質疑応答が繰り返される。またこの勉強会に集まるのは、なにも建築関係者だけではない。飲食店経営者やギャラリーのオーナーなども集まってくる。地震以後は、さまざまなかたちで能登の支援に回っている方々の活動の近況報告や、ネットワークづくりの場にもなっている。この活動は今後も続けていきたい。


勉強会の様子。講師に小林忠雄さん(前北陸大学教授)をお呼びして「能登の文化」について語っていただいた。(2024年3月4日[月]、金沢町家情報館)


勉強会の様子。講師に寺内元基さんをお呼びして、「宇宙から見守る能登の里海」をテーマにブルーカーボンとしても注目される海藻の話などを伺った。(2024年6月8日[土]、成学寺)

能登キャラバン

「能登の勉強会」での学びの活動から展開して、現在取り組んでいるのが、解体されつつある“家”の記録である。

2025年10月現在、公費解体は10月末の完了を目指して進められており、その様子が連日のように報じられている。家々がやむを得ず解体されていくなかで、建物とともにその土地に刻まれてきた時間や記憶までもが失われていく。そうした状況を前に、「せめて記録だけでも残したい」という思いが生まれた。能登は小さな集落が点在しながら成り立つ半島である。今回の地震で、集落そのものの存続すら危ぶまれる地域もある。とはいえ、すべてを悉皆的に調査することはできない。むしろ私たちのような小さなチームだからこそできる、小回りのきく動きがある。「能登の勉強会」を通じてつながった、建築に限らない多様な分野の研究者たちとともに、建築を入口に地域の文化を多角的に記録していこうという方向になった。 関心の中心にあるのは、家と住み手のあいだにあるドメスティックな関係である。研究のなかでは、個々の暮らしが匿名的な「民家」として処理されてしまうことが多い。しかし、そこには確かに顔の見える暮らしがあり、その具体的な関係性のなかに、地域をかたちづくる連関が潜んでいる。きわめてドメスティックなものから地域の歴史を読み取っていくこと──それがこの活動の出発点となった。

記録した内容は、簡単なレポートとしてまとめ、地域に還元することを目的に、小さな広報誌『家の知と地』として発行している。有志による活動のため、記録をかたちにするだけでも容易ではないが、少しずつ記事としてまとめ、共有している。


七尾市の岩穴集落を訪ねる。この集落では300年間、火を絶やさずに守ってきた歴史がある。[撮影:石川幸史]


家の歴史を語ってもらう。ヒアリングをしているのは金沢工業大学の学生、長谷川真穂さん。この活動への学生の協力にはとても助けれられている。[撮影:石川幸史]

現地調査は一泊二日を基本とし、過度な負担を避けながら、「能登の勉強会」で築いたネットワークを生かして進めている。能登の家のあり方は、その土地の自然や風土と切り離すことができない。だからこそ、建築の専門家だけではなく、民俗や生態、地場産業など、異なる分野の知見を交わしながら取り組んでいる。今夏には、『家の知と地』の第1号と第2号が完成した。今後もこのフォーマットを引き継ぎながら、新たな記録をまとめていきたいと考えている。そして、こうした記録を蓄積するなかで、郷土の歴史のアーカイブ──共同・郷土ライブラリー(KYODO-KYODO LIBRARY)──という構想も持っていたが、その成果はまだもう少し先になりそうだ。


『家の知と地』のできあがり



『家の知と地』は希望者には無償で差し上げている

能登半島は現在も人手不足の状況にある。震災から二年が経とうとしているが、復興はいまだ途上でありながら、世の関心は少しずつ薄れつつあるようにも感じる。だからこそ、長い時間をかけて、どのように寄り添い続けられるかが問われているのだと思う。

能登の後背地として、ここ金沢から支援の手を伸ばし続けること。そのためには、目立たなくとも、粘り強く関わり続けることが大切だ。思うように進まないことも多いけれど、それでも関心だけは絶やさず、末永く能登とともにありたい──そう願っている。

現在の活動メンバー=伊藤浩二(岐阜大学 地域協学センター)、惠谷浩子(奈良文化財研究所文化遺産部景観研究室)、岡佑亮(chidori studio)、嘉瀬井恵子(福井大学)、菊地暁(京都大学人文科学研究所)、小坂謙介(金沢市役所)、山本周(Shu Yamamoto Architect)、長谷川真穂、渡辺圭一郎、本橋仁(金沢21世紀美術館)。

*これらの活動は、公益財団法人 小笠原敏晶記念財団と、公益財団法人 澁谷学術文化スポーツ振興財団の支援を受けて進めています。ここに感謝の意を表します。