全国各地の美術館・博物館を渡り歩き、そこで出会うミュージアムグッズたちの素晴らしさを日夜世の中に伝えている、ミュージアムグッズ愛好家の大澤夏美さん。博物館経営論の視点からもミュージアムグッズを分析する彼女が、日々新たな商品や話題が生まれる現場の近くでどのような思考や問いを携えて活動しているのかを定期的に綴る「遊歩録」。今回はミュージアムショップの商品として欠かせない「展覧会図録(カタログ)」について、ミュージアムグッズとの比較とともに改めて考えます。(artscape編集部)
グッズなのか、図録なのか
ミュージアムを訪れた際、多くの人が最後に立ち寄るのはミュージアムショップである。展示室を出てすぐのその空間には、展覧会図録、ポストカード、文具、菓子など多様な商品が並ぶ。来館者は展示の余韻のなかでそれらを手に取り、「何かを持ち帰る」ことでミュージアムでの体験を締めくくる。だが、その「何か」とは一体何なのだろうか。おみやげなのか、それとも展示で得た学びや感情を自分の生活のなかで捉え直すための媒体なのか。
筆者はこれまで、ミュージアムショップを美術館・博物館の付帯施設に位置づけるのではなく、展示や教育普及と並ぶ重要な伝達メディアとして捉える視点を探ってきた。展示室の体験が時間や空間の制約を受けるのに対し、グッズはその外側に広がる「日常」という領域で、博物館のメッセージを継続し拡張させることができるからである。今回はそのなかでもグッズと図録の違いについて考察したい。
両者の役割は似ているようで大きく異なる。どちらも展示を可視化し手元に残すものであるが、その伝達の方法と関わり方はまったく異なる。図録は展示の内容を再構成し、知を記録する装置である。一方、グッズはそのデザイン性をもって、知を個人的な体験へと変換する装置といえる。
本稿では、9月に訪れた京都での経験をもとに、両者の「知の持ち帰り方」の差異を改めて考えてみたい。図録とグッズのあいだに横たわるハードルとは何か。そしてそれらを媒介として、博物館の知はどのように拡張していくのか。その手がかりをいくつかの現場から探ることとする。
企業ミュージアムとしてのニンテンドーミュージアム
最初に訪れたのは、京都府宇治市に2024年10月に新設されたニンテンドーミュージアムである。筆者が入館した時間帯は海外からの来館者が多く、熱心なファンは私物のグッズを身に着けていた。任天堂の宇治工場の跡地にできたこのミュージアムは、彼らにとってはまさに聖地なのだろう。展示空間には独特の熱気と興奮が漂っていた。
館内には任天堂の歴代ハードウェアごとに章立てされた展示が並ぶが、順路はあえて設定されていない。来館者が自身の思い入れのあるハードウェアから自由に見て回ることができる構成となっている。
筆者の前を歩いていた筆者と同世代のカップルは、真っ先にNINTENDO 64の展示へ向かい、「このソフト持ってた」「スケルトンのデザインがいま見てもかっこいい」と声を上げていた。通史的な展示として見ると順路はややわかりにくいが、この設計は「来館者それぞれに思い入れのあるハードがある」という前提に立つ構成であると理解できる。
注目すべきは、各章が単なる懐古的展示ではなく、任天堂にとっての技術的・思想的チャレンジを提示している点である。ニンテンドーDSでは「遊びを学びにつなげる」発想が、Wiiでは身体を用いたゲームによる健康との接点が示されていた。任天堂は「ゲームがある生活」をハードウェアのデザインを通じて実践してきたといえる。すなわち、ゲームという形式を借りて社会に対するデザイン的アプローチを行なっているのである。
1階の体験コーナーでは、入場時に配布されたコインを用いて花札やシューティングゲームを体験できるブースがあった。体験ブースの横には、花札からスタートした任天堂のゲーム開発の歴史、光線銃をモチーフにしたゲームの系譜も併せて展示されている。つまり、来館者は遊びを通して任天堂の歴史的系譜を追体験する構成になっているのだ。
また、展示室では世界各地域ごとの販売台数の割合も示され、国際的な受容の差を可視化している。さらにアートギャラリーには、人気ソフトの絵コンテや仕様書、キャラクターデザインのラフなどが並び、制作過程を記録するアーカイブとしての価値も高い。ゲーム開発を志す者やファンにとっても垂涎であろう。
しかしながら、このように充実した展示にもかかわらず、ミュージアムショップに図録が存在しなかった点は印象的であった。企業ミュージアムとしての理念や展示設計の意図をアーカイブし、研究や教育の資源として残すには、書籍媒体としての記録が重要である。
ミュージアムショップで販売されていたグッズは、各ハードのデザインやパッケージをモチーフとした商品が豊富であった。展示体験が個人化される設計だからこそ、グッズも「個人的な記憶の装置」としての位置づけを感じた。そのうえで、来館者の満足度は高いものの、ミュージアムの思想的な側面を伝達する「記録メディア」としての役割は補いきれないと感じたのだ。書籍はライブラリーコーナーでの閲覧のみに限られており、今後のショップでの展開を期待している(なお、執筆後に館内限定で図録が販売されるとの情報を得た。今後の展開に注目したい)。

スーパーファミコンをモチーフにしたクッションを購入。旅の初日に買ってしまったが後悔はしていない[筆者撮影]
グッズを買うハードル、図録を買うハードル
京都出張の主目的は、9月14日にkokoka京都市国際交流会館で開催された「歴史フェス2025」への物販ブース出展であった。本イベントでは、歴史研究や地域文化に関するトークやワークショップが行なわれ、歴史愛好家や研究者が多数参加していた。筆者も自費出版誌を中心に出展したが、来場者の多くが積極的に書籍を購入しており、「本を買う」ことへの心理的ハードルの低さを強く感じた。「大澤さんの自費出版誌!? 最新号までバックナンバー全部買います!」という方が何人もおり、昨年出版した『ミュージアムと生きていく』(文学通信、2024)は持参分が完売した。学生を含めた若い方にもお買い上げいただき、紙の本離れが叫ばれて久しいが、当たり前のように紙の本にお金を払う人たちが多く集まっているのを感じたのだ。
一方で、他イベントでの経験からは「図録は重いのでグッズを買う」「グッズは使わないので図録を買う」といった二極化した購買傾向が見られる。両方を購入する層は意外に少なく、図録とグッズそれぞれに固有のハードルが存在していると考えられる。これは、展示の伝達手段としての両者の性質の違いにも起因するだろう。図録は展示内容を体系的に記録し、再学習を可能にするが、価格や重量の面でやや実用性に欠ける。一方グッズは手軽に購入でき、感情や記憶を思い起こさせるが、そこに託される情報は限定的である。

「歴史フェス2025」での設営の様子[筆者撮影]
河井寛次郎記念館で販売されていたポストカードブックは、この両者を橋渡しする好例である。左側のページには館内写真を切り取って送れるポストカードが、右側には展示解説や関連資料が掲載されており、小型ながら簡易図録としての機能を持つ。また、文学館や水族館で販売される豆本なども、グッズと図録の中間的存在として注目できる。こうした形態は、購買ハードルを下げつつも博物館のメッセージを伝達する手段として有効である。
河井寛次郎記念館のポストカードブック[筆者撮影]
研究成果としての、展示の延長としてのミュージアムグッズ
漢字ミュージアム(漢検 漢字図書館・博物館)で開催された企画展「妖怪漢字 魑魅魍魎 百鬼夜行」(会期:2025年5月29日〜10月13日)のグッズは、展示と学びを接続する点で興味深い事例である。
筆者が購入したトートバッグと缶バッジのセットは、展示室で示された「京都妖怪マップ」をモチーフにしており、トートバッグに印刷された京都市内の地図に、妖怪の缶バッジを来館者自身が配置することでマップを完成させる仕組みになっている。例えば「子育て幽霊」の缶バッジは、京都東山に現存する、幽霊に飴を売ったとする飴屋「みなとや」の位置に付けるのだ。
同一の図版を用いながらも、「自ら缶バッジを付ける」という行為が加わることで、単なる鑑賞を越えた身体的なかかわりが生まれる。展示室で見る情報を、来館者が自ら操作し記憶に留めるプロセスを誘発している点で、これは展示内容の伝達を拡張するメディア的機能を持つといえるのではないだろうか。研究成果や資料を展示で示すだけでなく、グッズという形で再構成することにより、より深い学びや記憶への定着が生まれる可能性がある。

組み合わせると「京都妖怪マップ」が完成するトートバッグと缶バッジ[筆者撮影]
従来、「ミュージアムショップは展示室の延長である」とする議論は、主に博物館経営論の分野で共有されてきた。しかしこのような事例は、展示に従属する存在としてではなく、展示と並行して知の伝達を担うメディアとして、ミュージアムグッズを再評価できる。展示・図録・グッズはいずれも異なるやり方で、ミュージアムのメッセージや研究成果を伝達するメディアであると捉え直すことができる。
展示を越えるメディアとしての博物館活動
近年、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、展示のオンライン化が急速に進んだ。しかし、多くの試みは展示室の再現に留まり、オンラインというメディアの特性を活かした新たな表現には十分至っていないと考える。展示室という空間的な制約を越え、ミュージアムの資料や研究成果をどのように多様なメディアで伝達できるかが、今後の課題である。
展示は研究成果を空間的に展開し、体験として提示するメディアであり、図録はそれを持ち帰る記録メディアである。そしてグッズは、来館者の生活のなかで展示の記憶を自分のなかに位置づけていくメディアである。これらを横断的に捉えることによって、ミュージアムにおける発信機能は展示空間に限定されず、「拡張されたメディア」として再定義できるのではないだろうか。
今後は、展示・図録・グッズ・オンラインなど、異なるメディア間のつながりを意識した発信こそが、博物館活動の新たな可能性を切り開くと考えている。