会期:2025/10/07〜2025/10/19
会場:上田市立上田図書館 2階小会議室[長野県]
主催:上田市立上田図書館、古文書学習会「山なみ」
公式サイト:https://www.city.ueda.nagano.jp/site/ueda-tosho/52191.html

2年おきにこうして展示をしています、と古文書学習会「山なみ」の方に説明していただいた。「山なみ」は講師の尾崎行也の指導を受けながら、古文書・古書の読解・分析を行なう市民活動である。上田市立上田図書館には「花月文庫」「藤廬文庫」「花春文庫」など、特殊文庫と称される江戸時代~明治時代を中心とした貴重資料が多数所蔵されており、このなかから、何をテーマに選び、どの本を読み進めるかを考えていくそうだ。毎月の活動に加え、予習のための講習会もあるらしい。少しずつ、当時のテキストが読めるようになる。読めるようになり、その意味を取れるようになっていく。2年をかけて、会員の一人ひとりが、担当した文献を読み進める。読むのに時間がかかりますからね、とも言われてそのとおりだと思った。そして、取り組みの最中に季節が巡ることは、快いことではないかとなんとなく想像する。過去に潜っていくには、ふだん生きているのとは少し異なる速さと方向が必要だ。その速さのなかで、「山なみ」はもう40年近く活動しているのだという。

令和7年度の展示テーマは「絵図と地図」だった。時代ごと、状況に応じ、描き手により、読み手に応じて、図の描き方は変化していく。緯度経度、座標による「正確」な位置算出が可能になってなお、世界を世界そのままに描くことは難しい。正確さは、そのままに描くこと、生身の経験では捉えられない広さや大きさへの欲望であり、またそれは、遠さに否応なく付随する時間の長さを超えようとする欲望でもある。図にはさまざまな描き手がいるが、個々人が持つそれぞれの実感を乗り越える挑戦としても、これらの図は描かれてきた。

展示室の様子。手前に並ぶ4冊の冊子は、過去の展示図録。上田市立図書館が主催してきた本展は、1999年からは解読を担う「山なみ」との共催に切り替わった[筆者撮影]

展示室中央のテーブルに置かれた上田の中心市街地地図を囲むように、壁面と机上に展示が隙間なく設置されている。壁面の図は、上田を含む信州の一帯を描いた「信濃国略図」(1875、上野尚志『信濃國村名盡』の付属図版)の原本および拡大コピーに始まり、山を越えた先の越後(現在の新潟県)や松尾芭蕉の俳諧旅行の長野県内における軌跡、街道筋の図を連続して見せる。やがて、天保丸によるアジア各地の航海を皮切りに図の範囲は世界中へと広がる。明治初期の世界地図は、正確な地図に添えられた各地の挿絵が、正確さではたどり着けないディテールへの欲望を明らかにする。

世界地図の後、上田城の城下町や城郭の地図へと展示は切り替わる。この構成は唐突に思えるが、世界地図の描き手にもこのような自身の起点となる位置があったことを想像する。ひとっ飛びに世界の広さだけを描くことは叶わない。自分の見える範囲から、始まることがある。そういえば、はじめの「信濃国略図」が、県内を網羅的に描いた平面地図でありながら、「山脈」と「高山」の表記の区別により、ある地点に居ながら見える風景との対応が明快に示されていたことを思い出す。長野県の連続した盆地と、盆地同士を細くつなぐ谷地。河川でつながっているから盆地は決して分断されてはいないし、「山脈」の表記色の明るさや細かさは、越えることの可能な峠としてそれらを感じさせる。

展示では割愛された各資料の読解が図録に細かに記されている。図録によると、『信濃國村名盡』は、旧上田藩士で、教師であった上野が、「地勢・地史・産物などを子どもたちの学びとして覚え易く、唱えやすい文章にし」たものである。江戸時代の手習い本のフォーマットを踏まえたものだと言われるが、長野県のちょうど中央を東西に通り抜ける北緯36度線が明記されている。日本列島の内での相対的な位置関係ではなく、緯度のような地球規模での一部として郷土を捉えることは、教育者であった上野にとってどのような実感を伴っていたのだろうか。リズミカルに郷土について読ませる/詠ませるテキストと緯度表記の共存に、世界への実感と正確さの把握が分かちがたくなっていく時代が表われている。

また、城郭に込められたのは、真田氏の実感だろうか。眺めることの権力性は物質化し、城郭や堀になり、制度をあらわし、街を形成していく。今日、そのような統治には抗いたいが、それが個人の実感を伴う眼差しと想像力の延伸であることを確かめ、検証はしたい。思えば、眺めることは私たちにも可能な行為であった。公権力から市井の人まで、自身の手による描画から誰かの経験の図化まで、さまざまな描き手の(想像力をも含んだ)実感がそれぞれの図には表われている。

最後に、図を描くこと、その分析について、本展とは異なる文脈からも考えておきたい。

私が本書で目指しているのは、社会生活を無時間化してしまう分析と手を切ることである。(p.88)

たとえば紙面に描き出された系統図や一覧表を考えてみよう。こうしたダイアグラムを描くことによって、初めて可能になる考察はもちろんある。だが、レヴィ=ストロースに対してブルデューが批判したように(ブルデュ 1988:176)、この「同一平面」にまとめあげる方法は「行為のテンポ」を覆い隠す。そしてこの「行為のテンポ」を覆い隠すことは、交換がいかなるタイミングでおこなわれたのかという「間隔」を無視することであるが、「間隔をなくすことは、戦略をもなくす」ことである。なお、ブルデューはダイアグラムを描くこと自体をすべて否定しているのではない。彼が批判するのは、ダイアグラムを実際の行為に遅れて構成された見取図として利用するのではなく、あたかもダイアグラムが人びとの行為の産出原理であるかのように捉える立場に向けられている。「こうした構築物はそれ自体では当事者たちの実践の原理ではない」(ブルデュ 1988:20)のである。(p.89)
(石岡丈昇『タイミングの社会学』[青土社、2023]第2章 共同生活 ボクシングキャンプについて)

上述される「ダイアグラム」とは異なる性質のものだが、本展で扱われる絵図・地図もまた、世界そのものであると解するのではなく、世界に遅れてやってきたものだと考えられる。すると、かつての誰かと同じように、描かれたこの土地に暮らし、一つひとつの資料と対峙する「山なみ」がしている読みとは、このようなものであるのかもしれない。月々の解読と講習、展示と図録の準備。生活と連なったその過程において、図の内外の時間は織り交ざる。「同一平面」にまとめ上げられた世界は、描き手の、あるいは描かれた世界のテンポを、読み手を通じて取り戻す。

「信濃国略図」の拡大コピー。紙面中央やや左に「上田」の記述がある。なお、北は紙面左、東が紙面上の方向となっている[筆者撮影]

★──上野尚志の『信濃国諳射図記』(1874)は群、宿場、路の名前が順に示される。郷土の地理を暗唱するための教科書と見られる。この冒頭もまた「緯度 北緯三十六度前後ニ當レリ」である(NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブの『信濃国諳射図記』解説より。ページ内に原著のデジタルアーカイブもリンクあり)。


鑑賞日:2025/10/14(火)