会期:2025/10/04~2025/10/09
会場:京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]
公式サイト:https://kyoto-ex.jp/program/tania-ziad-shows/

『電力と権力を探して』は、ともにレバノン出身であるライブ・アーティストのターニヤ・アル゠フーリーと、歴史学者の夫のズィヤード・アブー・リーシュによる、観客参加型のレクチャー・パフォーマンス。観客はまず、旧式のタイプライターが置かれた事務机のある薄暗い空間に案内され、列に並び、書類に署名するよう求められ、署名した書類にはハンコが押される。「入国手続き」のような行為を済ませた後、頭上に電線が絡み合い、不穏なノイズが漂う暗い空間を通り抜けると、一転してパーティー会場のような空間が広がる。華やかに盛り付けられたドライフルーツとワイングラスが並ぶ長いテーブル。観客は、先ほど自分が署名した書類が置いてある席を探して着席する。入国審査のような書類は、パーティーへの招待状だったのだ。ただし、料理の皿の代わりにテーブルに置いてあるのは、「歴史学者にとっての宝の箱」と語られるアーカイブボックスである。観客は、レバノンで数十年間に及ぶ慢性的な電力不足の「謎」を解き明かすレクチャー・パフォーマンスを聞きながら、実際に目の前にあるアーカイブボックスに収められたさまざまな資料を「開封」していくという仕掛けで進行する。

[撮影:吉本和樹 提供:京都市立芸術大学、KYOTO EXPERIMENT]

日本語の作品タイトルでは「電力と権力」と訳し分けられているが、元の英語タイトルは「Power」の単語であるように、本作が扱うのは、レバノン国営電力会社、旧宗主国のフランス、新たな帝国であるアメリカなど、電力インフラの覇権と搾取をめぐる植民地主義と帝国主義、資本主義が複雑に絡み合った歴史的係争である。

観客が着席すると、ドレスアップしたターニヤ・アル゠フーリーとズィヤード・アブー・リーシュが語り始める。停電が起きたある暑い夏の夜、慢性的な電力危機の謎を解き明かそうと決意したこと。レバノン内戦(1975-90)の終結後も停電は常態化し、2020年の経済破綻を経て悪化し、国営電力会社によって1日数時間しか配給されないという。2人はレバノン初の電力に関するアーカイブの作成に乗り出す。だが、歴史資料の探索はすぐに暗礁に乗り上げる。国営電力会社や省庁の資料は外部閲覧禁止であり、新聞社のアーカイブは利用料金が高額だったり、手動マイクロフィルムで閲覧が不便だったりする。レバノン国立公文書館は、「廃墟になった劇場の上にあるひどい場所」と語られ、専門のアーキビストもおらず、きちんと整理されていない資料を、停電のなか、懐中電灯で照らしながら探すはめになる。それは、歴史の闇にまさに手探りで光を当てる作業の謂いだ。

[撮影:吉本和樹 提供:京都市立芸術大学、KYOTO EXPERIMENT]

そして、内戦前から電力不足が続いていたことを報じる記事が見つかる。「レバノンの電力不足の原因は15年続いた内戦にある」という通説とは異なり、より根深い問題があることを察知したアブー・リーシュは、歴史学者として粘り強い調査を続け、最終的にアメリカ、フランス、イギリス、ベルギーの4カ国に渡って公文書館を調査する長い旅となった。ワシントンDCにある世界銀行のレポートには、レバノンの国家的な河川開発プロジェクトに対して海外セクターから資金提供があったと記されていたこと。アメリカの冷戦期の政策とも関わり、共産主義を抑制するため、特定の国へ開発資金を提供していたこと。第二次世界大戦後、アメリカという新たな帝国主義の台頭とともに、かつての宗主国のフランスも、レバノンの労働組合や左派政党の監視、民間セクターへの資本投入という形で支配を続けていたこと。フランスとイギリス間でも、自国企業の開発権益の獲得競争があった。

そして調査の旅は、さらに時間を遡り、フランス植民地支配下でも電力不足問題が起きていたことを明らかにする。度重なる抗議や電気料金の支払いボイコットを受けて、電力供給の国有化と配給制が始まったという。最終的に明らかになるのは、発展途上国のインフラに投資して搾取してきた巨大な白人男性のネットワークが存在し、私腹を肥やすレバノンの地元実業家たちと結託して電力供給が始まったことだ。1908年に彼らが交わした協定書によれば、レバノンの電力供給の始まりは、特定地域の地価上昇を狙って路面電車を敷設するためだった。

[撮影:吉本和樹 提供:京都市立芸術大学、KYOTO EXPERIMENT]

なぜ、アル゠フーリーとアブー・リーシュの2人は、歴史資料の探索にこれほどの執念を燃やすのか。その答えは、2人の正装の理由とともに、最後に明かされる。2018年、結婚式の最中に停電に襲われ、最も親密な時間に国家や権力が介入してくることに対する怒りが原動力であること。舞台のセッティングと同じような長いテーブルに着いた友人たちとともに、ロウソクの灯で飲食したこと。結婚式と同じドレスを着ているというアル゠フーリーは、「この作品は愛と復讐のプロジェクトである」と語り終えた後、観客を暗闇のダンスへと誘う。アラブ風のダンスビートが流れ、歴史と権力の暗闇が祝祭的な空間に変貌する。あるいは、暗闇のなかでこそ、権力に対するプライベートな抵抗と連帯が開始されるのかもしれない。

一方、極めて緻密に構成された本作は、歴史の物質的な地層としてのアーカイブとその不完全性、歴史とフィクション、そして「パーティーのゲスト」として歓待される観客に対するメタ的な批評性を重層的にはらんでいる。後編では、これらの点についてさらに考察を掘り下げる。

[撮影:吉本和樹 提供:京都市立芸術大学、KYOTO EXPERIMENT]

後編へ)

鑑賞日:2025/10/07(火)