この20年ほどの間に全国各地で林立した、大小さまざまな地域芸術祭やアートイベント。外のエリアから多くの人を招き、観光資源とアートの相乗効果を見据えたものがそれらの多くを占めるなか、千葉県松戸市で2018年から年に一度開催されている「科学と芸術の丘」は、あくまで地域の人々を主役に据えた市民参加型のフェスティバルとして、稀有な存在感を放っています。「未来を試す、新しいお祭りをつくろう」をコンセプトに掲げ、8年以上にわたり模索と実践を積み重ねてきたなかでいま、このフェスティバルはどのような変化と岐路のなかにいるのでしょうか。科学と芸術の丘の立ち上げメンバーのひとりであるomusubi不動産代表の殿塚建吾氏と、科学と芸術の丘を運営する一般社団法人ゼロファクトリアル代表理事で、2024年度まで総合ディレクターを務めた関口智子氏のお二人を通して、現在の地域芸術祭を取り巻くさまざまな課題と醍醐味に迫ります。
聞き手を務めるのは、地域芸術祭やまちづくりの領域で活動しながら著書『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社、2016)や『危機の時代を生き延びるアートプロジェクト』(千十一編集室、2021)など地域とアートに関わる出版物を手がける編集者の影山裕樹氏です。(artscape編集部)


※シリーズ「地域にアートは必要か?」過去記事一覧はこちら

企画・聞き手:影山裕樹(千十一編集室)
構成:artscape編集部


前編から)


アートと「ばったり」出会う

──その点では、教育的なところで価値を見出してもらうという方向性もひとつあると思うんです。メディアアート的なものって、ハイコンテクスト、ハイブロウな側面が強いものもある一方で、子どもが楽しく体験できたり、誰が見ても面白さがわかるものもちゃんとある。金銭面ではなく、コンテンツのキュレーション面で考えていることはありますか。

関口智子(以下、関口)──わからなさすぎて観た人が置いてきぼりになるようなものは避けたいけれど、私たちはせっかくアートを扱っているので、即座に正解を示すことはせず、「これは何だろう」と程よく問いが浮かぶようなものを見せたい。そのバランス感にはすごく気を遣っていますし、難しいけれど面白いところでもありますね。その思いが功を奏したのか、去年の展示では、アルスで大賞を獲ったようなゴリゴリのメディアアートも、子どもがキャッキャと触って遊んでいる──そんな景色を作ることができたのは、ひとつの成功だったなと思います。

サーシャ スタイルズ《CURSIVE BINARY》(「科学と芸術の丘2024」戸定邸での展示風景)[Photo: Yoshiaki Suzuki]

戸定邸という空間がまず素晴らしいので、そこに興味を持って来てくれる人も多いですし、その奥の公園でやっている「丘のマルシェ」もすごくいい空間で。メイン会場の戸定邸にはアートに興味がある人は躊躇なく来れるかもしれないですが、そうでない方にも美味しいものを公園で食べたり買い物したりして楽しんでいただいて、せっかく来たしとその流れで展示も観てもらったり。「アートとどうやってばったり会うか」といった人の動線の設計は、初年度から意識していました。

──去年伺ったときも、マルシェは人でかなり賑わっていましたね。あと、一番遅いミニ四駆を決める「ワイルド遅四駆をつくって自然の中を走らせよう!」でしたっけ……あのイベントも楽しかったな。

関口──あの熱狂ぶりはすごかったですね。主催の遅四グランプリ実行委員会の方たちの、遅いことを賞賛するという視点やテーマ性や、子どもたちが楽しめるところも素晴らしくて。ちなみにあのワークショップは、世界でも有名なマブチモーター株式会社さんにモーターを協賛してもらってるんですよ。

──遅いのに!(笑)

関口──遅四グランプリの持つメッセージはよく考えたらすごく深いけど、入り口は広く、みんな楽しめるイベントとして企業も応援してくれるような状況が作れるのはすごくいいですよね。当日はそれを見て熱い応援を贈るオーディエンスやお話しが上手な方が実況中継をしてくれたり、「負けちゃったけど私はこの遅四駆が1位」など独自の評価をする方などが現われ、とても優しく素敵なプログラムになりました。

「遅四グランプリ」のワークショップの様子[Photo: Hajime Kato]

松戸独自の風土と文脈のなかで

──ほかの地域の芸術祭に行くと、地元の人の無関心やアートに対する不信感のようなものを感じる瞬間もときにあったりしますが、科学と芸術の丘は、街の人がみんな楽しそうに歩いてるなと。本当に一瞬の印象でしかないんですけど、松戸が持っている風土との相性についてはどう考えていますか。古くからのお祭りとの関わり方とか。

殿塚建吾(以下、殿塚)──地元の駅前の神社のお祭りとかはまだ盛んではあるんですけど、科学と芸術の丘としては、あまり連携があるわけではないです。それよりも、この10年ほどで、小さなお店を始める人やアーティストといったクリエイティブな人たちが松戸に増えたのに、集まる機会がなかった。

清水さんたちとの科学と芸術の丘の立ち上げ準備中に僕も芸術祭をやりたいと思ったのは、その新しく松戸で活動している方を紹介したくて「こんな素敵な方たちがもいるよ」と広く知ってもらう機会を作りたいというのが最初のきっかけでした。

それこそハイコンテクストなメディアアートやそれを見に来た人たちのような存在には、芸術祭の場でないと出会えないかもしれない。芸術祭の会期が終わった後、カタリストをやっていた人が自分で新しいプロジェクトを始めたりするときの発想にも、そういう場で出会ったものや人が実は影響しているんじゃないかなと思っていて。

前提を変える力というか、一度前提を取り払って再構築するみたいな、発想の柔軟さを生むことが僕はすごくアートの力、価値だと思うんです。それが近年松戸に集まってきた人たちに、少しずつ種として落ちていっているような気がするんですよね。

戸定邸内、展示空間に隣接する表座敷で展開されるトークの様子[Photo: Mari Kuzuhara]

──そもそも松戸とアートの接点は、東京芸術大学の取手キャンパスが近いとか、そういった地理的な要因が大きかったんですかね。

殿塚──そうですね。立地柄、もともと芸大の学生も住んでいますし、さらに歴史を遡ると宿場町なので、いろんな人が来ては帰っていくみたいなことに寛容だという話は町内会の方からも聞いたことがあります。

松戸市の文化事業の一環として展開されているPARADISE AIRでは、海外からアーティストを毎年迎え入れているし、僕らが何か新しいことをやっても温かい目で見ていただけているのは、長らくそういう土壌があるからかな〜と思っています。「少なくともあの人たちは別に敵じゃないんだ」っていうのを、地元で長く活動されている方々にも思っていただけているかもしれません。

自分もかつては、松戸や柏のあたりって何があるの? って人から聞かれたときに「いや、あんまなんもないから、東京行っちゃうんだよね」って答えていたのに、いまは「松戸ってめちゃくちゃ面白いことやってるんだよね」と言えるようになった。これは個人的にすごく大きいことで(笑)、なんというか、感謝ですよ。

関口──偏った意見かもしれませんが、殿塚さんの世代は「松戸が嫌いで、外に出て行こう」って人が多い印象なんですけど、少し下の世代になると、松戸に対して好意的な人が増えている気がして。この10年間ほどのアート周辺の取り組みが、そこに少なからず寄与しているところはあるのかなと思います。

コミュニティマネージャー/プロジェクトマネージャーの価値

殿塚──少なくとも、カタリストスタッフになるだけで、行政の方や地元の方、アーティストといったいろんなカテゴリの人と接する機会が急に増えて、いわゆるコミュニティのなかに参加できる。そこにはいい意味でのカルチャーショックがあるみたいです。

──以前僕は、全国各地で発行されるさまざまなローカルメディアを追っていたんですけど、「取材を理由にいろんな人に会える」というローカルメディアの性質は、カタリストのその感じにすごく近いです。一方的に情報発信するだけじゃなくて、「取材して人と関係を作っていく」ことの価値が昨今ではより高まっている。僕はこれを「地域編集」と呼んでいるんですが、外から来て、目に見えない人と人との関係性──ある種“関係資本”のようなもの──を積み上げていく、コミュニティマネージャーやプロジェクトマネージャーのような人たちの役割が増していると感じます。

カタリストとして、彼・彼女らがその大きな部分を担っているところが、科学と芸術の丘のオリジナリティであり、持続可能性につながっていくのかなと思いました。

殿塚──不動産屋もコミュニティマネージャー的な立ち位置になりやすいのは、主に賃貸をやっていて、定期的に人と話す理由があるからだと思います。いまの関係資本の話をさらに分解すると、僕らは入居者さんとの顔が見える関係を大事にしたいと思っているので、その人の興味関心や、抱えている悩みを聞かせてもらえる立ち位置でもあるんです。例えばAさんの相談に対して、Bさんのスキルがマッチするし、おそらく二人は気が合いそうだ、みたいなことが、接点が生まれるとうまく実現したりする。そういうものを一気に可視化できるのが、芸術祭の場だという気が確かにするんです。

──不動産はある意味、日常/ケのマネジメントなわけですよね。

殿塚──はい。そしていま、企業との関係性を作るなかでもそれに近いことができる気がしています。企業の持つ経営課題と、それを解決できるクリエイティブの人たちとの接点をうまく作れれば、アートコミュニティをベースにしたビジネスのようなことができそうな気がしてます。もしかすると、有楽町のYAU(有楽町アートアーバニズム/2022-)なんかは、まさにその実践なのかもしれないですね。

──大分のBEPPU PROJECT(2006-)と並行してやっていたCREATIVE PLATFORM OITA(2016-21)というプロジェクトにおける、アーティストと企業をマッチングさせるプラットフォームの運営をはじめ、ほかのエリアでもそういった事例はあって、その存在感はすごく大きいですよね。

ハレとケの話にも関連しますが、科学と芸術の丘の、年に一度の開催って大変なペースだと思っていましたが、これが3年に1回とかになると、逆にリズムを作りにくかったりするのかなと。

関口──その議論はずっとありますね。年1回が大変すぎて、2〜3年に1回のビエンナーレやトリエンナーレにする案もあったんですが、やっぱり毎年やらないと、経験とかスキルのほか、関係値の継承ができない。そうしてこのスパルタな年1開催体制になりました。

殿塚──同時にこれはただの仮説で、効果を測ったりしたわけではないんですけど、毎年開催されることで、大規模に人が集まったり大きく目立つイベントにならないからこそ、芸術祭の後に自発的に立ち上がったモノやコトはかなり多いんじゃないかと思っていて。何か新しいシナプスを生み出す練習の場として芸術祭があって、それが各人の日常に落とし込まれている。そこまでちゃんとトータルで追跡して、この科学と芸術の丘というものが何をもたらしたのかということは、そのうち俯瞰して見てみたい気がしています。

芸術祭のベストな終わり方とは

──既存のコミュニティの人が中心となるのが旧来の地域のお祭りだとしたら、そのコミュニティと外から来る人= “関係人口”をブレンドするような存在として、芸術祭は捉え直せるんじゃないか。「地域芸術祭2.0」じゃないですが、あくまでアートファンの観光客が来るだけの芸術祭から、関係人口の獲得という役割に更新していけるといいのではないかと思います。

今後や今年度の科学と芸術の丘の展望がもしあれば、お願いします。

関口──私は総合ディレクターを今年度からは引退して、「フェスティバル・アドバイザー」として、企業や海外とのコネクションや、資金づくりのような部分を担っていこうと思っています。

著名なディレクターの方が長期間にわたって就任されている場合も多いと思うんですが、日本にひとつくらい、若手にどんどんチャンスが巡ってくる芸術祭があってもいいんじゃないかなと思って5年ディレクターをやって引き継ぎました。社会が日々激しく変化しているからこそ、芸術祭もどんどん循環していくことが必要じゃないかなと思っていて。

ディレクターが変わると運営は多少不安定になるけれど、強力なOB、OGが輩出されるほど、知識やアイデアが多く集まって、続けていける可能性が高まっていく気がします。それに「芸術祭」という呼び方も近年少し違和感が出始めていて、呼称自体も変えていく方向で検討し始めています。

殿塚──次の担い手たちが出てくるのはすごく嬉しいので、そういう流れが科学と芸術の丘をきっかけにどんどん増えていくといいなと思います。

もうひとつは、「街をDIYする」「DIYでお祭りを作る」といったアクション自体が、アートじゃない文脈でも、もっと街のなかで立ち上がるといい。科学と芸術の丘はとても恵まれていて、運良く短期間で企画から実現までこぎ着けましたけど、普通は地域のことを何かやりたいと思ったときに、そんなにスムーズに事が運ぶことはない。

でも、少なくとも松戸にはそれができる土壌が生まれてきているので、カタリストや、お店をやっている人たちが、街全体を自分たちの手で使っていく行動が、もう少し日常化していくような状況に持っていけると、それこそが本当のエリアマネジメントだなと思います。

──小さい「科学と芸術の丘」が、年中そこらへんで開催されている、みたいな状態ですね。

関口──継続することだけが一概に良いというわけではないですしね。「芸術祭のベストな終わり方ってなんだろう」と考えたときに、例えばカタリストイベントのひとつが「私たちの方が良い影響を生み出せる、こっちに予算ください!」と市に呼びかけて、科学と芸術の丘の本体が乗っ取られる、みたいなのがベストストーリーなんじゃないかとか(笑)、そういうことを私たちの間でも話していたり。

──あるいは、自治体トップが変わり1年目で芸術祭が終わっちゃって、その分の予算はすべて「関係人口創出事業」に流れていく、みたいなこともありえます。芸術祭が消える悲しさもありつつ、名前や運営主体が少し変わっただけで、実は消えていないという。そんな風に変わっていくことは、それはそれで良いのかなと思ったりもしましたね。

今日はありがとうございました。今後の「科学と芸術も丘」の展開も楽しみにしています。


(2025年5月取材)