前編より)

神戸六甲ミーツ・アート

山の上でアートにミート

瀬戸芸、あいちと同じく2010年から始まった神戸六甲ミーツ・アートは、神戸市の背後に迫る六甲山上を舞台に繰り広げられる芸術祭。ほかと違って毎年開催しているが、今年は特に阪神・淡路大震災30年、大阪・関西万博の開催年でもあり、ぼくも初めて訪れてみた。それまで興味はあっても行かなかったのは、山の上の作品を見て歩くには丸1日かかりそうで、関西に行くついでに気軽に立ち寄れる場所ではないからだ。

ぼくが訪れたのはまだ暑さの残る10月初めの朝だが、ケーブルカーで登ったら体感温度で5度くらい低かった。千メートル近い標高のせいだけでなく、緑豊かで木陰が多いからでもあるだろう。作品は山の上に旧作も含め60件ほど散らばっているが、この涼しさなら歩いて回るのもきつくない、というより気持ちいい。

主催は六甲山観光と阪神電鉄の2社で、総合ディレクターはインディペンデントキュレーターの高見澤清隆氏。同氏によれば、「本芸術祭は企業の観光事業(収益活動)として生まれ、その後、文化事業としての役割も担うことになった少し特殊な芸術祭」★1という。 今年のテーマは「環境への視座と思考」。あいちとも通じる「環境」をテーマに掲げたのは、ひとつには地球規模の問題であるため政治のテーマになりにくいので、芸術メディアで発信していくしかないこと、もうひとつは、まさに六甲山が地域開発と自然保護の狭間にあるからではないかと思う。

見応えのあった作品をいくつか挙げよう。たとえば小谷元彦の野外彫刻。キリスト教由来のレリーフが点々と置かれた小道を行くと、山荘の前にバロック彫刻を思わせる巨大な女性像が横たわっている。顔の上半分は抉り取られて内部に光が灯り、山荘の窓からも光が明滅している。作品の解釈はともかく、この一画だけ別世界を築き上げてしまう剛腕のインスタレーションである。

安藤忠雄設計の「風の教会」の内部空間に壊れかけた白い建築模型を宙吊りにしたのは岩崎貴宏。すぐに思い出すのは阪神・淡路大震災だが、最近は悲しいかな、ウクライナでもガザでも似たような光景を報道で目にするようになった。岡田裕子は、ホテルだった建物の暗いラウンジをうまく活かしている。女性の名前の書かれたグラスと灯りの置かれたテーブルにつくと、関西弁の女性たちの話し声が聞こえてくる。島成園、山崎つる子、岸本清子ら関西で活躍した女性アーティストたちの井戸端会議という設定だ。場所といいモチーフといい、頽廃的で艶やか。

岩崎貴宏《Floating Lanterns》展示風景 神戸六甲ミーツ・アート2025 beyond[筆者撮影]

髙橋瑠璃は、林のなかの更地にストーンサークルのように石を配置した。古代遺跡の真似事かと思ったら2つの大きな石には顔が彫ってあり、向かい合わせに見つめ合っている。その下にも石をモザイク状に組んだ大きな顔がある。作品の配置が絶妙だが、このとき初めて作品の置かれている場所がかつての別荘の敷地だったことに気づいた。そういえば林のなかに都合よく作品の置けそうな場所がたくさんあって、わざわざ展示のために土地を整備したとすれば大変な労力だろうと思っていたが、そうではなく、分譲された別荘の跡地や廃屋となったホテルや保養施設を展示場として再利用しているのだ。


髙橋瑠璃《2人の秘密の時間を過ごす》神戸六甲ミーツ・アート2025 beyond[筆者撮影]

もともと六甲山は「西の軽井沢」と称されたように阪神間の避暑地・保養地として賑わっていたが、バブル崩壊と阪神・淡路大震災により壊滅的打撃を受け、観光客も別荘の数も最盛期の4分の1まで落ち込んだという。そんな荒廃の進んでいた六甲山に再び人を呼び寄せ、活性化させる施策のひとつとして考えたのが「神戸六甲ミーツ・アート」なのだ。なるほど、先の高見澤氏の言葉と合わせて納得である。

岡山芸術交流

鑑賞無料の国際現代美術展

再び西へ進んで、岡山市の中心街で開催されている岡山芸術交流へ。2016年から3年にいちど開かれ、今年で4回目を迎えた。

総合プロデューサーを務めるのは、地元アパレルメーカーの創業者で現代美術のコレクターでもある石川文化振興財団理事長の石川康晴氏。総合ディレクターはギャラリストの那須太郎氏で、この2人は初回から変わらない。毎回変わるのはアーティスティック・ディレクターで、これまで海外のアーティストが選ばれており、今年はフランスのフィリップ・パレーノが就いた。

パレーノの設定したテーマは「青豆の公園」。村上春樹の小説「IQ84」に登場するキャラクター「青豆」に触発されたもので、街なかに現実とスピリチュアルな世界のパラレルワールドを展開し、市民に自由に行き来してもらいたいとのことだ。

岡山芸術交流は実は「芸術祭」ではなく「国際現代美術展」との位置づけだが、芸術祭の性格も備えている。特に今回は市立オリエント美術館や林原美術館などの美術館を会場に使わず、ほかの芸術祭と同じく市街地の空き店舗や公共施設、廃校などを活用したこと、そして今回に限り、パレーノの意向により何度でも訪れることができるよう鑑賞無料にしたことも大きい。世界の先端をいく現代美術を提供するとともに、市民に親しんでもらうことも目指しているのだ。

商店街の空き店舗をのぞくと、駐車場にあるような白と黒の大きな2台のターンテーブルが回っていた。フランスのアレクサンドル・コンジの作品で、巨大な碁石かオセロの石を連想する。百貨店のショウウィンドウにはコインの絵が描かれているが、これはイギリスのライアン・ガンダーが街なかにオリジナルコインを散在させたことを示すもの。全部で約2万枚あるらしく、見つけた人はそのままもらえる。岡山市立オリエント美術館の脇にはイギリス出身のリアム・ギリックによる顔ハメ看板が立っている。身体部分に描かれているのは古代オリエントの守護精霊で、暗くなると後光のように光を放つ。これは美術館の宣伝にも役立ちそうだ。

旧内山下小学校の校庭では、柱と屋根だけのプラットフォームの下で男女が自転車乗りのアクロバットを披露していた。イギリス出身のティノ・セーガルの指示に基づく作品で、プラットフォームは藤本壮介の設計という。なんと贅沢な。校庭の奥にはパレーノによるタワーがそびえ立ち、光や音声を発しながら装置がゆっくり上下する。センサーによって感知した市内の温度や風速などのデータに基づいて変化するという。音声はなぜか石田ゆり子の声。なんとも不可思議な塔だ。

屋外プールをのぞくと、ウミガメとコイが仲よく泳いでいる。あれ? なんか変。この水は岡山理科大学の研究チームが開発した海水魚と淡水魚が共生できる「好適環境水」で、これを《魔法の水》として作品化したのは島袋道浩。これは確かにパラレルワールドの交流である。島袋は今回、アートに関心のない市民も芸術祭に巻き込んでいく「アーティスティック・トランスレーター」も務めている。まさに「芸術交流」の要といえる。


島袋道浩《魔法の水》岡山芸術交流2025[筆者撮影]

参加アーティスト(今回は哲学者や科学者も出品しているので「ゲスト」と呼ぶ)は30組なので、芸術祭としては比較的コンパクトにまとまっている。半日で回れる範囲内だし、鑑賞無料なので気軽に見て回れるのが嬉しい。

千葉国際芸術祭

ひらけ、千葉市民の創造力

最後に、今年からスタートした千葉国際芸術祭(以下、ちばげい)の開かれている千葉市へ。千葉開府900年(知らなかった)を記念し、同市や商工会議所などが芸術祭実行委員会を結成し、トリエンナーレ方式で行なっていくという。

総合ディレクターはアーティストの中村政人で、コンセプトは「ちから、ひらく。」というもの。「ちから」には「力」のほか「地から」「知から」「千葉から」などの意味があり、千葉市民の創造力を開花させようという願いを込めているそうだ。

ここもほかの芸術祭と同様、千葉駅周辺の市街地に点在する空き店舗や公共空間、更地などを会場とする。ぼくがいつも千葉駅から千葉市美術館に行くときに感じるのは、人口100万近い大都市にもかかわらずシャッター街が目立ち、大通りにも人や車が少なく活気に欠けるということだ。地元の人たちには残念なことだが、芸術祭を開くにはうってつけの条件といえなくもない。

また、岡山芸術交流と同じく鑑賞無料(一部を除く)というのも嬉しい。採算性より、祭りのように街に賑わいを与え、市民の意識を変えて日常を豊かにしていくことを重視しているのだ。そのための仕掛けとして、4~9月を「まちなかリサーチ・制作期間」とし、リサーチやワークショップ、協働制作にあて、市民参加を促した。つまり作品展示はその成果発表という位置づけであり、芸術祭全体の後半にあたるということだ(展示終了後の12月には「振り返り期間」というのもある)。

それでは見ていこう。まず千葉都市モノレール千葉駅のインフォメーション横に、日豪アーティストによるスロー・アート・コレクティブが、竹の骨組みにカラフルな紐を絡ませたインスタレーションを築いた。いや、彼らが築いたというより、会期前に約3千人が参加して行なわれたスロー・アート・コレクティブの市民参加型プロジェクトの成果を公開しているというべきか。さっそく「ちばげい」らしさが表われている。

隣の百貨店に向かうと、エントランスの前にバリケートのように金網のフェンスが設けられ、ロシアのアレクセイ・クルプニクが撮影した千葉市で働く人々の写真を飾っている。写真はともかく、百貨店の前によくフェンスを立てさせてくれたなと感心する。

繁華街のビルの1階フロアでは、上野悠河が廃棄予定の蛍光灯を集めてラジオやスピーカーなどと組み合わせ、音と光を発するインスタレーションを見せている。作品自体のインパクトも強いが、2年後には生産も輸入も禁止となる蛍光灯をモチーフにして再利用するなど、問題提起的な作品である。同じビルの屋上で、パッチワークの旗をはためかせたのは前島悠太だ。旗には文字や絵が記されており、千葉の人たちと雑談しながらメモした会話の痕跡だという。


上野悠河《Tele-Interference Counterpoints(in Chiba)》千葉国際芸術祭2025[筆者撮影]

別のビルの空きフロアに入ると、部屋ごとに異なる家電や電子機器が置かれている。これらは地域住人から不要になった品々を集めたもので、近づくとセンサーによって扇風機が回ったり音が鳴ったりテレビが映ったりする。イギリスのサイモン・ウェッテムのインスタレーションだ。

空き店舗も活用されている。水口理琉は果物屋だった店先に籠やトレイを積み上げ、段ボールを溶かした泥で固めていた。本人によれば「巣づくり」をしているとのこと。その先のうなぎ屋だった店舗内には、店で使っていた食器をはじめ街で集めたさまざまな什器や道具が並んでいる。地元市出身の岩沢兄弟が「キメラ遊物店」と称して、これらの材料を使ってものづくりをしているのだ。

空き店舗で「巣づくり」をする水口理琉 展示風景 千葉国際芸術祭2025[筆者撮影]

参加アーティストは計33組。作品はすべてJR、京成線、都市モノレールで行ける場所にあるので回りやすい。千葉県下では2014年から「房総里山芸術祭いちはらアート×ミックス」が始まり、昨年は「百年後芸術祭」が行なわれるなど、首都圏でも芸術祭が盛んな地。それだけに伸びしろは大きい。

最初は国際展だった

以上、5つの芸術祭について述べた。海あり、山あり、都会ありと舞台はさまざまだが、共通する点も少なくない。繰り返しになるが、いくつか挙げてみよう。

① 主唱者が個人であれ企業であれ、地元の自治体がバックアップして地域の活性化を目指す。
② アーティストは開催場所に赴き、地域資源を生かしたサイトスペシフィックな作品を制作する。
③ 地元住民はアーティストの調査、制作、展示などさまざまな面で協力する。
④ 展示空間は美術館を使うより、空き家、廃校、更地など使われていない場所を活用する。
⑤ 主催者は作品の位置を示すマップを作成し、観客はその地を回遊しながら作品を見て歩く。

などである。つまりこれらが芸術祭を成り立たせる条件といえる。

こうした芸術祭のプロトタイプをつくったのが、2000年に新潟県で総合ディレクター北川フラム氏の下に始まった越後妻有アートトリエンナーレ「大地の芸術祭」であることに異論はないだろう。新潟県南部の広大な里山に作品を点在させ、観客はマップを手に探し歩くという方式だ。作品を求めて山道を行くのは大変だが、美術鑑賞とともに里山の自然に触れる楽しさは都会の美術展では味わえない格別の体験だった。


大地の芸術祭  越後妻有アートトリエンナーレ2012 クリスチャン・ボルタンスキー《No Man’s Land》[筆者撮影]

だが、最初から芸術祭が受け入れられたわけではない。大地の芸術祭の前年には福岡アジア美術トリエンナーレ(以下、アジトリ)、翌年には横浜トリエンナーレ(以下、横トリ)が始まり★2、当時は「国際展ブーム」または「トリエンナーレブーム」と呼ばれた。もてはやされたのは国際展=トリエンナーレであり、芸術祭ではなかったのだ(大地の芸術祭はトリエンナーレでもあったので、いわば二股かけていた)。

では国際展と芸術祭はなにがどう違うのか? これについては別の場所で書いたことがあるので★3簡単に記せば、国際展がアートワールドへの参入を目指すグローバル志向なのに対し、芸術祭は地域社会に貢献するローカルな祭りのようなもの。単なる呼び名の違いではなく、内実が異なるのだ。

だから作品も国際展ではどこでも流通する絵画や彫刻が中心となり、芸術祭ではその場でしか成立しないサイトスペシフィックな作品が多くなる。そのため国際展はおおむね大都市の美術館や専用施設で開かれ、芸術祭は地方の過疎地や衰退しつつある街で行なわれることが多いのだ。要は芸術性の追求か、地域社会への貢献かという目的が違うのである。もちろん国際的芸術祭もあれば、芸術祭のような国際展もあり、二択というわけではない。たとえば岡山芸術交流は「国際現代美術展」を標榜しつつ、芸術祭の要素も多分に含んでいるといったように。

では、なぜ国際展が最初にブームになったのかといえば、当時は日本で国際展が待ち望まれていたからにほかならない。20世紀にはヴェネツィア・ビエンナーレドクメンタのようなグローバル志向の国際展がアートワールドをリードしていたが、バブルのころから日本でも「欧米並み」に国際展を開催しようという気運が高まり、世紀の変わり目にようやく実現できたからだ。その後も神戸や北九州といった大都市でビエンナーレが立ち上がり、国際展の花盛りとなっていく。

「どこでも芸術祭」の危うさ

潮目が変わるのは2010年前後のこと。来場者を見ると、初回のアジトリが23万人、横トリが35万人だったのに対し、大地の芸術祭は16万人にとどまった。しかしその後、アジトリと横トリの来場者が横ばいか下降線をたどっているのに、大地の芸術祭は21万人、35万人と増え続け、第4回(2012)以降は50万人超をキープしている。一人勝ちといっていい。

この間の特筆すべきことは、大地の芸術祭の第2回の翌2004年に震度7を記録する新潟県中越地震が起きたことである。越後妻有でも相当の建物が被災し、過疎化が進んで空き家が増えたが、芸術祭はこの逆境を逆手にとった。急増した廃屋を丸ごと作品化したり、展示場所に再利用したりする「空家プロジェクト」を始めたのだ。

それまでの大地の芸術祭は、正直いってミュンスター彫刻プロジェクトの影響の色濃い大規模な野外美術展という趣だったが、このころから物理的にも心情的にも地域に溶け込み、芸術祭らしくなっていった感がある。そしてこの空き家や廃校を活用するという苦肉の策がその後、各地で行なわれるようになる芸術祭の定番になっていくのである(ちなみに直島ではそれ以前から空き家を作品化する「家プロジェクト」を進めていたため、瀬戸芸の下地ができていた)。

こうした大地の芸術祭の成功を受けて、2009年には新潟県で水と土の芸術祭、2010年には瀬戸芸、2014年には千葉県で中房総国際芸術祭いちはらアートミックス、大分県で国東半島芸術祭、北海道で札幌国際芸術祭がいっせいに始まる。一方、アジトリや神戸、北九州のビエンナーレは休止を余儀なくされ、トリエンナーレの名称で始まったあいちもさいたまも近年、こぞって国際芸術祭に改称した(あいちの場合、芸術文化センター内の展示に関してはまだ「国際展的」といえる)。

このように国際展が廃れ、芸術祭がもてはやされるようになった要因はいくつかある。ひとつには「グローバルなアートワールド」のメッキが剥がれ、実は欧米中心主義に過ぎないことが明らかになったこと。また、3.11をはじめ甚大な被害を及ぼす自然災害が増え、アートの社会的役割が問われたこと。アートが自己目的化することなく、社会に介入していくソーシャリー・エンゲージド・アートなどの動きが盛んになったこと。そして芸術鑑賞を目的に旅行するアートツーリズムが流行したことも大きい。

しかし全国各地に芸術祭が林立したからといって喜んではいられない。アーティストは数々いるが、こうした芸術祭に向いているアーティストは限られているし、それを統括できるディレクターはさらに数少ない。北川氏はいくつかの芸術祭のディレクターを掛け持ちしているし、何人かのアーティストは引っぱりだこである。それがさらに進めば、どこに行っても似たような作品を目にすることになりかねず、地域特性を活かすという芸術祭の意味が希薄化してしまうかもしれないのだ。

また、芸術祭の目的は地域社会に貢献することだと述べたが、それには地元住民を満足させると同時に、外から旅行者を呼ばなければ経済的貢献にはならない。ところが住民(内からの視線)と外来者(外からの視線)の見たいものにはたいていズレがある。作品は果たしてだれのためにつくられるのか。

たとえば直島にある草間彌生《赤かぼちゃ》(2006)や、今年六甲山に設置された奈良美智《Peace Head》(2021)は、著名アーティストによる親しみやすい作品として住民にも外来者にも喜ばれるだろう。これらは芸術祭の目玉、あるいはシンボル的存在にはなりうるが、地域とのつながりは希薄であり、仮に両者を交換しても違和感はないのではないか。それでは芸術祭の存在基盤が覆されかねない。


奈良美智《Peace Head》神戸六甲ミーツ・アート2025 beyond[筆者撮影]

かつてバブルの時期に公立美術館が乱立したあげく、バブル崩壊とともにお荷物となり、閉館に追い込まれた館もあったことを思い出す。芸術祭は美術館に比べれば建設費や維持管理費が少ないうえ、終わればあとに残らないが(それゆえポスト美術館の文化事業として増えた面もある)、どこもかしこも似たり寄ったりになればすぐに飽きられ、美術館の二の舞を演じかねない。だれのための、なんのための芸術祭なのか、そのあり方が問われているのだ。ってオールドメディアの結びと同じじゃねーか!

★1── 高見澤清隆「これまでとこれから」、水野真緒+松田雅代編『神戸六甲ミーツ・アート2025 beyond』神戸六甲ミーツ・アート事務局、2025
★2── 「国際展と芸術祭」年表
1999|福岡アジア美術トリエンナーレ(-2014)
2000|越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭
2001|横浜トリエンナーレ、BIWAKOビエンナーレ
2004|福島現代美術ビエンナーレ(福島ビエンナーレ)
2007|神戸ビエンナーレ(-2015)、中之条ビエンナーレ、北九州国際ビエンナーレ(-2013)
2008|黄金町バザール
2009|水と土の芸術祭、別府現代芸術フェスティバル 混浴温泉世界(-2015)、六本木アートナイト
2010|瀬戸内国際芸術祭、あいちトリエンナーレ(国際芸術祭あいち)、六甲ミーツ・アート芸術散歩(神戸六甲ミーツ・アートbeyond)
2014|中房総国際芸術祭いちはらアート×ミックス(房総里山芸術祭いちはらアート×ミックス)、国東半島芸術祭(国東半島芸術文化祭)、道後オンセナート(道後温泉DOGO ART)、札幌国際芸術祭
2016|さいたまトリエンナーレ(さいたま国際芸術祭)、岡山芸術交流、さどの島銀河芸術祭
2017|奥能登国際芸術祭、北アルプス国際芸術祭、Reborn-Art Festival、種子島宇宙芸術祭
2018|浅間国際フォトフェスティバル
2021|東京ビエンナーレ、MEET YOUR ART FESTIVAL
2024|百年後芸術祭
2025|ひろしま国際建築祭、千葉国際芸術祭
上記以前には、「人間と物質」をテーマにした「東京ビエンナーレ」(1970)をはじめ、岡山県の「JAPAN牛窓国際芸術祭」(1984-92)、山梨県の「白州・夏・フェスティバル(白州アートキャンプ)」(1988-2010)、福岡県の「ミュージアム・シティ・天神」(1990-?)などがあった。
★3── 村田真「『大地の芸術祭』の懐の深さ」、大地の芸術祭実行委員会編『越後妻有 大地の芸術祭2022』(現代企画室、2023)