12月4日に公開した清水チナツさんによる「キュレーターズノート」は粟津潔邸で開催されている吉國元個展「深い河」を紹介されています。
粟津潔邸は、川崎市にある粟津潔さんの自邸兼アトリエだった建物で、私は2019年に小杉武久さんについての原稿を依頼した椹木野衣さんといっしょに初めて訪れました。2022年から展覧会やコンサート、トークイベントや上映会などを行なう場所として開かれ、名称もアワヅハウスアートセンターに改められました。

(2019年4月1日撮影)
最初に行ったときは、まだ粟津さんの作品や蔵書、粟津さんご自身が各地で集められた遺品が残っていました。その後、作品の多くは金沢21世紀美術館に寄贈されたので、アワヅハウスアートセンターは、たとえば東京・青山にある岡本太郎記念館のように、アトリエの様子を見ることができたり、保存・収蔵されている作品を鑑賞できるような場所ではありません。1972年に建てられた建物は原広司さんによって設計されたもので、彼の「集落」の調査から生まれた建築や住居に対する考え方が表わされた初期の作品として有名です。行くと、現役の現代建築のマスターピースを訪れる建築関係の若い人の靴で、入口があふれかえっていることが幾度もありました。
アトリエだった部屋は吹き抜けで広々としたおり、外光が部屋のすみずみまで届いています。子ども部屋の窓がこの仕事部屋に向いてついているところがいい。ここで高橋鮎生さんのライブを聴いて、コンクリートうちっぱなしなのに音がいいことに驚いたことがあります。エントランスから入るとシンメトリーでソリッドな構造なのに、やわらかな印象のお茶室が隠されたように存在していたり。一柳慧さんが音響設計をしたオーディオルームもあったと聞きました。山下洋輔さんが炎上するピアノを防炎服を着て演奏する映像を見たことがある方もいるでしょう。粟津邸の庭がその現場でした。
(2023年10月1日撮影)
粟津邸は、当時、さまざまなアーティストが集う場所でした。ジャンルを超えた才能がお互いに触発しあっていました。粟津潔さんの作品には、社会問題をテーマにしたものが多くあります。この建物が、そしていまディレクターをされている粟津KENさんが継承しているのは、その熱であり、社会に対して芸術ができることがある、その信頼そのもののような気がします。吉國さんが描く人々は、原さんの「集落」のように、集まっては離散していくダイナミズムのなかを生きる人々です。そんなこともあって、この場所がぴったり合うのでしょう。
椹木さんと取材したときにいた陸亀のマランダはいまも元気で冬眠中のようです。(f)