会期:2025/11/23
会場:松戸市民会館 303音楽室[千葉県]
公式サイト:https://www.paradiseair.info/news/2025/11/16/27870/

台湾のパフォーマンスアーティスト・文皓ウェンハオによるパフォーマンスプレゼンテーション『愛人』が上演された。今回のプレゼンテーションは千葉県松戸市にあるアーティスト・イン・レジデンス施設PARADISE AIRでのレジデンスの成果発表として行なわれたもの。タイトルはテレサ・テンの代表曲に由来する。彼女の日本語曲に妻子ある男性との不倫を歌ったものが多かったという点においてもこの「愛人」という言葉はテレサ・テンのイメージと強く結びついているのだが、実は台湾華語では「愛人」は配偶者を意味する言葉である。台湾と日本における「愛人」という言葉の意味の違いに対応するかのように、台湾におけるテレサ・テンの歌は「柔らかく甘くロマンティック」であり「台湾の人たちはみんな楽しさに溢れた彼女の歌が大好き」だったのだと李は語る。李は台湾出身の歌手テレサ・テンの楽曲とともに彼女の足跡を辿り、同時代の台湾の政治的社会的状況とその変遷、そしてその時代を生きた人々の生を浮かび上がらせていく。

冒頭の自己紹介で李は、90年代に生まれた自分は日本の漫画やアイドル、テレビ番組に触れて育ち、アニメ『ちびまる子ちゃん』が大好きだったのだと語り出す。「だからもし台湾の人と話す機会があればきっと皆あなたと同じようなアニメやテレビやアイドルといった思い出を共有しているはずです」と。そしてあるとき李は、テレサ・テンの日本語曲を歌うことで日本語を学ぶことを思い立つ。「私・あなた・男・女・恋・酒・涙・寂しい・黄昏・別れ・ひとり・さよなら・西陽・タバコ・他人同志・悲しい・疲れた心」。意味はわからないながらも音を真似て歌うことでそんな言葉を覚えていったのだと語る李の語り口はユーモラスだが、台湾におけるテレサ・テンのイメージと日本におけるそれとのギャップは明らかだ。テレサ・テンの「柔らかく甘くロマンティック」な曲の一例として李が歌ってみせる『甜蜜蜜』(この曲の発表自体は日本デビュー後の1979年)の歌詞がその対比を際立たせる。「あなたの笑顔はとても甘い 咲く花のように 春風の中で」。

李はさらに、テレサ・テンの歌からは日本への旅行者としての自分にとって大事な言葉も学んだのだと、いずれも愛する人との別れを歌った『空港』『夜の乗客』『夜のフェリーボート』の一節を日本語で歌う。日本語曲でテレサ・テンが歌う「完璧な女性」としての愛人たち=「ただ待ち侘び誰の手も煩わせることなくひっそりと離れていくような女性」たちの旅立ちの歌は、人気歌手として世界中を旅したテレサ・テンの物語への導入の役割をも果たすだろう。

このプレゼンテーションではテレサ・テンの日本語曲から10曲が李によって歌われ、ジュークボックスミュージカルのように彼女の物語に寄り添う役割を果たす。彼女を政治利用した故郷・台湾への複雑な思い(『ふるさとはどこですか』)。偽造パスポート疑惑による日本からの国外退去処分と渡米(『スキャンダル』)。台湾への復帰と引き換えにはじまった政府の広告塔としての活動(『つぐない』)。代表曲『時の流れに身をまかせ』もまた、その中国語版『我只在乎你』は軍のプロパガンダとしてよく歌われていたのだという。やがて彼女は愛する香港へ(『悲しい自由』)、そしてパリへと拠点を移し(『Pourqoi?』)、1995年にその生涯を閉じる(『別れの予感』)。

ところで、このプレゼンテーションは英語によるレクチャー、日本語による歌唱、そして台湾華語による朗読の三つのパートを行き来するようなかたちで構成されている。台湾華語で読み上げられるのは、李がたまたま発見したという、ファンの台湾人女性がテレサ・テンに宛てて書いたとされる手紙、あるいは日記のような文章だ。軍事政権による戒厳令下の台湾に生きた彼女の言葉は世界中を旅したテレサ・テンとは異なる角度からの世界へのまなざしを担うものであり、そこには台湾と日本の関係の変化はもちろん、双方に深く関わるアメリカという国の存在も影を落としている。大きな転機となるのは台湾とアメリカが国交を断絶した1979年。それは台湾の民主化に大きな影響を与えることになった「美麗島事件」が起きた年でもある。女性の兄は反体制派の運動に関わり、やがて台湾に復帰したテレサ・テンと入れ替わるようにして渡米するだろう。

日本では近年、音楽に政治を持ち込むなという主張がしばしば聞かれるが、ポピュラーミュージックもまた、どうしようもなく政治の場であることからは逃れられないのだということを『愛人』は示している。合わせてテレサ・テンの、そしてファンの女性の人生に関する語りは、ここでいう政治が抽象的な問題などでは決してなく、生きた人間に関わる具体的な生の問題でもあるのだという手触りを与えている。史実に基づいたレクチャーと歌唱、手紙の朗読を組み合わせ、ときに自ら踊ってさえみせる李の手つきはユニークかつチャーミングだ。今回はレジデンスの成果発表ということで、ワークインプログレス的なパフォーマンスの1回きりの上演となったが、いつか完成されたフルサイズのパフォーマンスの上演を日本で観られる日を楽しみに待ちたい。

★──ABBAの楽曲を使った『マンマ・ミーア!』のように、既存の楽曲のパッチワークで構成されたミュージカル。一組のアーティストの楽曲で構成されることが多い。

鑑賞日:2025/11/23(日)


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李文皓:https://sites.google.com/view/liwenhao/