会期:2025/12/09〜2025/12/11
Art Center NEW[神奈川県]
演出・制作:Very Theatre
演出・コンセプト:周東彥
公式サイト:
https://ypam.jp/2025/program/fr52/index.html(『霧中─イン・ザ・ミスト』)
https://ypam.jp/2025/program/fr53/index.html (『霧を抜けた先に』)

他者の欲望を体験することは可能か。自分とは異なるジェンダーやセクシュアリティのそれはどうか。YPAM2025フリンジ参加プログラムとして上映/上演された周東彥(Chou Tung-Yen)/狠劇場(Very Theatre)による二つの作品──『霧中─イン・ザ・ミスト』と『霧を抜けた先に』は、VRゴーグルという装置を通してゲイ・バイ男性の欲望の体験を鑑賞者にインストールする。その欲望は鑑賞者の身体とどのような関係を結ぶだろうか。

『霧中─イン・ザ・ミスト』は鑑賞者が座った状態で観る360度のVR映画作品。VRゴーグルを装着した鑑賞者が目撃するのはいわゆるハッテン場、ゲイサウナにおける複数の男性間での性行為だ。性器も露わに行なわれるそれらの行為に私は窃視者として立ち会うことになる。文字通り目の前で性行為が繰り広げられるのを見ていると、まるで自分が透明人間になったかのような気分になってくる。ある意味でそれは正しく、ある意味でそれは間違っている。私の身体は彼らと空間を共有しておらず、彼らにとって私が不可視の存在であることは間違いない。同時に、ハッテン場においては性行為が他者の視線に晒されるのはさほど珍しいことではない。つまり、私がひとりのゲイ・バイ男性として身体を持ってその場にいたならば、透明人間でなくとも同じ光景を目にすることは容易だったはずなのだ。男たちの何人かが寄越す視線が、私が欲望の対象としてそこに「いる」ことを強く意識させる。だが私はその欲望に応じる身体を持たない。欲望の交感とその挫折。いや、身体を持たないのはむしろ隣に座り私に欲望を向けているその男のはずではなかったか。私の隣には同じ回で作品を観るほかの鑑賞者が座っていて、そしてそれは女性だったのだから。


『霧中─イン・ザ・ミスト』トレイラー

一方、『霧を抜けた先に』は3人の鑑賞者が同時に体験できるXR(クロスリアリティ)作品だ。VRゴーグルとコントローラーを装着した鑑賞者は、アバターとしてアジア系と思しき若い男性の姿を借り、回遊型のハッテン場へと足を踏み入れる。『バイオハザード』のゲーム画面を思わせるテクスチャが不気味だが、さらに不気味なのはどのアバターも同じ顔をしていることだ。それどころか、このハッテン場ですれ違うことになる男たちは誰もがみな同じ顔をしているのだった。匿名で同質な男たち。しかし彼らは同時にどこまでも孤独でもあり、お互いがその内面にまで踏み込むことは滅多にない。ロッカーにしまい込まれたスマートフォンに届く「今どこ?」「いつ帰ってくるの?」というメッセージは家族(妻?)からのものだろうか。プライベートは置き去りにされている。

さて、こちらでは歩き回ることのできる「身体」を与えられた私だが、ここでも欲望はあらかじめその達成を禁じられている。コントローラーがVR空間への多少の干渉を可能にはしているものの、その範囲が同じ顔の男たちに及ぶことはない。そもそも、男たちはみな全裸であるにもかかわらず、鑑賞者である私たちのアバターだけが白いブリーフを履かされているのだ。脱ぐことのできないそれは初めから不能を印づけていた。その意味でも「私」はゾンビだったのかもしれない。ギクシャクと獲物を求め彷徨いながら、性=生の欲望を達することの叶わない生きる屍。同じようにハッテン場を徘徊する仲間たちに出くわせば、そこに己の姿を見るようで居心地が悪い。愛憎半ばする感情は自分自身に向けられたものでもあるのだ。あるいはその居心地の悪さには、私が彼らの本来の顔を知っていることによる気まずさも含まれていただろう。実際の行為に及ぶことはできないにしても、ハッテン場を徘徊する私たちは大なり小なり窃視者の欲望に取り憑かれている。剥き出しの欲望を、文字通りの「顔見知り」に目撃されることの気まずさ。身も蓋もなく言ってしまえばそれは、ハッテン場で知り合いに出くわす気まずさなのだ。

ロッカールームで服を脱ぎ、シャワールームを抜けてフロアへ。そうしていくつかの欲望のフロアを回遊した後、いつしか私たちはハッテン場から抜け出し、非日常的な空間へと足を踏み入れている。いつまでも欲望の空間に居続けることはできない。時間には限りがあるのだ。そのことを思い知らせるかのように、ここにこそそれぞれの人生があるのだと現実に引き戻すかのように、宙空から吊り下げられた無数のロッカーキーがチャリチャリと音を立てる。限られているのは人生の時間も同じだ。気づけば仲間たちの顔は皺だらけになり、それを見た私は自身もそうなっていることを悟り思わず我が手をたしかめる。そうするうちにも時間は過ぎ去り、やがて私の身体は朽ちていくだろう。VRゴーグルを外した私は再び我が手をたしかめるのだった。


『霧を抜けた先に』トレイラー

『霧中─イン・ザ・ミスト』と『霧を抜けた先に』は、単なるスキャンダラスな覗き趣味などではなく、ゲイ・バイ男性の生をある一面から鮮やかに切り取ってみせた作品だ。VRゴーグルのいくつかの特性は、ハッテン場での体験の特殊性と見事に響き合っている。刹那の快楽のための場はしかし、当然ながら人生の一部でもあり、そこに渦巻き生起するのは欲望だけではない。共犯意識、恥、孤独、開放感、後ろめたさ等々。それらの機微と陰影とが重なり合った先にこそ、彼らの「生きた」体験は立ち上がるだろう。

鑑賞日:2025/12/10(水)