左から、齋藤精一氏、上西祐理氏、野見山桜氏、永山祐子氏、安藤北斗氏[以下すべて、撮影:吉屋亮]

artscape30周年記念企画の一環として、現在のアートとデザインの世界における「アワード(賞)」と「審査」のあり方を問う座談会を開催しました。今回集まっていただいたのは、クリエイティブディレクターの齋藤精一氏、グラフィックデザイナーの上西祐理氏、建築家の永山祐子氏、デザイナーの安藤北斗氏、そして司会進行としてデザイン史家の野見山桜氏という5名。国内外で数多くの審査員を務め、また自らもプレイヤーとして賞に挑んできた各氏が語る、審査の現場で起きていること、そしてこれからのデザイン賞の役割とは。

 

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構成:太田知也

地図を描き、誰かの背中を押す──クリエイターとアワード

野見山桜氏(デザイン史家、artscape特別編集委員)

野見山桜(以下、野見山)──今日のテーマは「デザイン賞で審査するとは?」です。私自身、2023年度のグッドデザイン賞(日本デザイン振興会)にリサーチャーとして参加して、審査の現場を客観的に観察する機会がありました。そこで行なわれていたデザイン批評の質や熱量がすごくて、いままでのイメージが覆されたんです。ただ、その面白さや意義が、応募者や一般の方に十分に伝わっていないもどかしさも感じました。また、デザイン分野の普及により賞の在り方が変化していますが、そのあたりの話を公に聞く機会はあまりありません。
今日は、建築、グラフィック、プロダクト、メディアアートといった異なる領域で活躍され、審査する側・される側の両方を知る皆さんと一緒に、これからのアワードや審査のあり方について考えていければと思います。まずは、皆さんがどのようなモチベーションでアワードに関わっているのか、教えていただけますか?

齋藤精一(以下、齋藤)──僕は2015年にひょんなことからグッドデザイン賞の審査員になったのが始まりです。当時は「なんで自分が?」と思いましたね。デザインの人間ではないと思っていたし、賞の意義に対してはかなり斜めから見ていましたから。でも、副委員長や委員長を含めて8年間携わる中で、アワードの役割や運営そのものをアップデートしていく面白さを知りました。審査員の特権は、その年のトレンドや応募作を俯瞰して見られること。「今年はどうなっているんだろう?」という定点観測ができるのは大きな魅力です。

上西祐理(以下、上西)──私は2010年から電通にいて、現在は独立してグラフィックデザインの仕事をしています。キャリアの初期にヤングカンヌ(カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバル)やJAGDA新人賞(日本グラフィックデザイン協会)、東京ADC賞(東京アートディレクターズクラブ)などをいただいたことで、何者でもなかった自分を持ち上げてもらった恩義を感じています。審査員として呼ばれるときは、30代の若手としての視点や、ジェンダーバランスの観点から、なるべくお引き受けするようにしています。ただ、一年分の膨大な作品を一気に見るのは本当にカロリーが高い仕事ですよね(笑)。

上西祐理氏(アートディレクター/グラフィックデザイナー、北極主宰)

安藤北斗(以下、安藤)──僕はwe+というデザインスタジオを共同で主宰していますが、いわゆる「プロ」の審査員という意識はあまり持っていません。むしろ、常に新鮮な視点で新しい発見ができるように、あえて「アマ」のような気持ちで審査に臨むようにしています。iFデザインアワード(iF International Forum Design)などの審査に関わっていますが、同時に海外のアワードにはずっと応募者として出し続けています。
僕にとってアワードは、自分の立ち位置を確認する「鏡」というよりは、行き先を示してくれる「地図」のようなものだと捉えています。受賞するかどうかよりも、そこに至るプロセスや、世界のデザイナーたちとフラットに議論できる場としての機能に魅力を感じています。自分たちのコンテキストをフル活用してもまったく理解が及ばないところにある作品、そういうものに出会えたりするのも刺激的ですね。

永山祐子(以下、永山)──齋藤さんとともにグッドデザイン賞の審査副委員長を務めています。私は建築の設計をしていますが、実は昔はアワードにあまり興味がありませんでした。応募にかける労力ってたいへんなものなんですよね(笑)。でも、あるプロジェクトで発表の場を失いかけたものがあり、それをイギリスのアワードに出してみたら受賞できて、ようやく日の目を見ることができたんです。また、出産のタイミングで仕事を続けるか迷っていた時にJIA新人賞(日本建築家協会)をいただいて、キャリアを諦めない選択をすることができました。人生の岐路でアワードに助けられた経験があるからこそ、いま審査員として関わるときは、誰かの背中を押すつもりで臨んでいます

永山祐子(建築家、永山祐子建築設計主宰)

審査における「議論」と「投票」

野見山──日本と海外の賞、あるいは分野ごとの審査プロセスの違いについてはいかがですか?

齋藤──海外の賞はディスカッションもしますが、最後は投票で決まることが多い印象です。一方で、日本のグッドデザイン賞はめちゃくちゃディスカッションします。「これでいいのか?」「なぜこれなのか?」としつこいくらいに(笑)。

齋藤精一氏(クリエイティブディレクター、パノラマティクス主宰)

上西──グラフィックデザインの賞に関しては、ほぼ会話がないですよ(笑)。

一同──えぇっ!

上西──「この作品についてどう思う?」といった議論はほとんどありません。私たちの領域は視覚伝達が基礎にあるので、「見た目で伝わらないものはどうなの?」というスタンスなのかもしれません。それに、審査員ごとにデザインに対する価値観もさまざまです。クライアントワークを重視する人もいれば、表現としての実験性を評価する人もいる。クライテリア(評価基準)を設けず、そのバラバラな価値観が共存しているところが、ある意味で日本のグラフィックデザインの現状を表わしているのかもしれません。

安藤──iFデザインアワードの場合は、最初にチームでクライテリア(評価基準)を議論して決めます。機能性、オリジナリティ、サステナビリティなど5つの軸でポイントをつけて、一定の点数を超えたら賞を与えるという絶対評価に近い形式です。3人のチームで審査するので、意見が割れたら徹底的に議論しますし、最終的には他のチームの審査結果も全員で見て、「これはおかしいんじゃないか?」と異議申し立てがあれば、またそこで100人規模の議論が始まります。お祭りみたいですけど、そのプロセス自体がすごく民主的で面白いですね。

安藤北斗(デザイナー、we+共同主宰)

野見山──議論があることで、評価が変わっていく面白さはありますよね。「最初はスルーしていたけど、そういう視点で見ると確かにすごいかも」という気づきがある。

上西──そうですね。グラフィックの場合は投票者の票が見えてしまうシステムだったりするので、その影響から「いいのかも」と流される危険も。議論がない分、純粋に「強さ」だけで選ばれる良さもあるし、逆に言葉巧みな説明に巻き込まれない良さもあるのかもしれません。

永山──建築も現地審査に行ったりして、ものすごく時間をかけます。「写真だけじゃわからない」という前提があるから、審査員全員でバスに乗って現地を回って、設計者から話を聞いて。時には「説明は下手だけど、空間はすごい」という逆転現象も起きる(笑)。グッドデザイン賞の場合は対象が多すぎて現地審査はできませんが、その分、社会的な文脈や「このデザインが広まることで世の中がどう良くなるか」という視点が強いように思います。

「エモさ」と「個人的な動機」の復権

野見山──最近の傾向として、情緒的なものや個人的な動機に基づいたデザインが評価されるようになってきていると感じますか?

齋藤──感じますね。「これからはAIの時代だ」と言われる一方で、あるいはだからこそ、個人の感情や熱量が乗っかっているものが求められている気がします。マスプロダクションに向けた洗練されたデザインよりも、ニッチでもいいから「私がこれをやりたいんだ!」という強い思いが込められたものに、審査員の票が集まる瞬間がある。例えば、障害のある方に向けたニッチなマーケットであっても、世界規模で見れば巨大な市場ですし、そこに特化したデザインが普遍的な価値を持つこともあります。

安藤──教員を務めている武蔵野美術大学 空間演出デザイン学科の2025年度の卒業制作で、衝撃的な作品がありました。中古のコンバイン(稲刈り機)をピンク色にデコレーションして、作者自身もピンクの衣装を着て、ピンクの髪で、コンバインの上で踊るというパフォーマンス込みの作品なんですが、これが優秀賞を獲ったんです。作者は鵜飼ひなたさんです。
既存のデザインの文脈からすれば「邪道」かもしれないし、機能的な意味なんてない。意匠的にもクオリティ的にも、いわゆる「良いデザイン」とは言えないかもしれない。でも、その「個人的な愛着」や「どうしてもこれをやりたい」というエネルギーが圧倒的で、これを評価しないとデザインの未来が狭まってしまうと感じました。彼女はずっと「乗り物をピンクにデコりたい」と言い続けていて、自転車や他のものでもやっていたんです。そのほとばしる個人的なモチベーションが、社会的な文脈を超えて響いたところがあります。

上西──原研哉さんが「うすらグラフィックス」と呼称したような、パワーポイントで作ったような表現が流行ったりするのも、ある種の「エモ」への回帰かもしれません。人間味や、説明できない「良さ」に価値が置かれるようになっている。

永山──アート系のアワードでも、ポエムのようなコンセプト文とふにゃふにゃのスケッチだけで提案に臨む応募者が現われ始めています(笑)。でも、そこにある純粋な衝動みたいなものに審査員が可能性を見出して、最終的なアウトプットで化けるということもある。かつては「建築家は自分の話をするな、社会の話をしろ」と教育されましたが、今はもっと個人的なストーリーから始めてもいいという空気に変わってきていますね。

野見山──デザインは産業のために私情を挟まず、機能と合理性を追求するものだとされてきました。でも今は、その揺り戻しが来ているのかもしれませんね。例えば、縄文時代の住居をデザインの起源とするような、個人的な歴史観を持ち出しても許されるというか。

安藤──そうですね。大量生産を前提としない、ごく少数のための、あるいは自分一人のためのデザインが成立するようになってきた。we+の活動もそうですが、誰かの課題解決のためではなく、自分たちの興味や実験から生まれたものが、結果として誰かの心に響く。そういう「個的なモチベーション」で突っ切るデザイナーが、これからの時代を面白くしていくんじゃないかと思います。
例えば僕のゼミ生で、ものすごく個人的にモノを作っていて、でも批評性もあって、ちゃんとデザインとしても成立している子がいます。そういう、既存のコンテキストに依存せずに、個人の思いだけで突破するデザイナーは、フレッシュで強いなと感じます。

齋藤──グッドデザイン賞でも、以前なら「それはアートでしょ」「趣味でしょ」と切り捨てられていたようなものが、議論の末に受賞作として残ることが増えました。それは審査の基準が、時代に合わせて拡張し、変形している証拠だと思います。

★──「うすらグラフィックス」については、artscapeの次の記事を参照。「きりとりめでる×竹久直樹×萩原俊矢×畑ユリエ×水野勝仁|30年後のウェブメディアを構想する(前編)


(後編へ)※3月4日公開予定