全国各地の美術館・博物館を渡り歩き、そこで出会うミュージアムグッズたちの素晴らしさを日夜世の中に伝えている、ミュージアムグッズ愛好家の大澤夏美さん。博物館経営論の視点からもミュージアムグッズを分析する彼女が、日々新たな商品や話題が生まれる現場の近くでどのような思考や問いを携えて活動しているのかを定期的に綴る「遊歩録」。今回は大阪で開催された対照的な二つの展示から考える、「体験を外に手渡す」ことについて。(artscape編集部)

展示を「終わらせない」ための仕組み

ミュージアムから出た瞬間、手元に残るものは何だろう。チケットの半券、パンフレット、スマホの写真。でも、私がいつも気にしてしまうのは、もっとつかみどころのないものだ。展示室で立ち止まった理由、説明文を読んだときの小さな引っかかり、なぜか胸がざわついた瞬間。そういう「言葉にしそびれた感覚」はするりと消えてしまいがちなのに、帰り道をゆく私の手のひらには、確かにその気配が残っている。ミュージアムグッズは、そうした受容の延長線上にある存在だ。

前回の記事では、民具そのものではなく、民具を捉えるための「目」や態度をグッズとして手渡す可能性について論じた。ミュージアムグッズは対象を縮小し再現するもの、という理解は根強い。けれど、私はむしろ、ミュージアムグッズは「見るための視点」を来館者に委ねるための装置にもなり得るのではないか、と考えている。その視点から展示を見直すと、グッズが生まれるより前に、まず展示から何かを「受け取る」というプロセスが必要になる。

展示を見終えた瞬間に完結するのではなく、来館後の生活のなかで反芻され、別の意味を帯びて戻ってくるようなもの。ミュージアムグッズは、その時間的な広がりを支えるための小さな媒介物であり、「何を見たか」よりも「何を受け取ったか」を手元で確かめ直すための仕掛けなのだと思う。

もちろん近年、ミュージアムグッズは来館者サービスや収益事業の文脈で語られることが多い。現場の切実さもよくわかる(一方で財布の紐がゆるむ瞬間があるのも、よくわかる)。ただ、グッズが果たしている役割はそれだけでは捉えきれない。展示室で生じた体験は、会期が終われば消えるのではなく、むしろ来館後の時間のなかで育っていく。グッズは展示を「終わらせない」ための仕組みになり得る。

本稿では、性格の異なる二つの展示を取り上げる。ひとつは、大阪大学中之島芸術センターが主催する社会人講座「総合大学におけるコンバージェンス・アート新進芸術家等育成プログラム」の成果発表展(会期:2026年1月20日〜2月8日)として、歴史文化遺産・適塾(てきじゅく)を素材にミュージアムグッズを提案するという試み。もうひとつは、大阪市立自然史博物館の第56回特別展「学芸員のおしごと ─集める・調べる・伝える─」(会期:2025年11月1日〜2026年2月1日)である。

前者は受講生個人の受容が外化される場であり、後者は制度として蓄積された知が社会に手渡される場だ。一見すると対照的なこの二つを、ミュージアムグッズという視点から眺めることで、「場で受け取ったものを、どのように他者と共有可能なかたちへ翻訳するのか」という共通の問いが浮かび上がってくる。

アートと学問、個人と制度、体験と知識。そのあいだを行き来しながら、グッズが果たす役割を考えてみたい。

「適塾」を素材とした成果発表展

大阪の北浜にある適塾は、歴史文化遺産であると同時に、「学問の場」であった痕跡がいまも濃く残る場所だ。江戸時代後期に蘭方医であり教育者でもあった緒方洪庵(おがた・こうあん/1810-63)が1838年に開いた私塾である。西洋医学やオランダ語(蘭学)を軸に、種痘やコレラ治療の研究など当時としては先端的な学びが行なわれ、福沢諭吉や大村益次郎、橋本左内、佐野常民といった、幕末から明治維新を支えた英才たちを多数輩出した場でもある。

適塾の正式名称は「適々斎塾」といい(洪庵の号「適々斎」に由来)、現在の建物は国の重要文化財にも指定され、「大阪大学適塾記念センター」として一般公開されている。かつての学びの現場として内部も保存され、単なる史跡を超えて「知の現場そのもの」として息づいている場所だ。建物として保存され、その空間は展示・解説され、観光地としても機能している。けれど、そこに足を踏み入れると、単なる史跡とは少し違う緊張感がある。ここで人が集まり、学び、考え、議論していたという時間の層が、空間そのものに染み込んでいるからだ。

今回の成果発表展では、そうした適塾を素材に、展示関連アイテム(今回はその一環でミュージアムグッズが製作されていた)や動画作品を通じて、歴史文化遺産の魅力を発信する試みが並んでいた。展示室に置かれていたのは、うちわや手ぬぐい、ペーパークラフト、キャラクター的な造形など、一見するとミュージアムグッズを思わせるものも多い。ただし、それらはミュージアムショップに並ぶ完成品というよりも、適塾という場に身を置いた経験が、制作者のなかでどう咀嚼されたかを示す「痕跡」のように見えた。

適塾という歴史文化遺産に身を置き、制作者それぞれが「この場から何を受け取ったのか」をかたちにした成果の一部[筆者撮影]

ゲストとして展示を見たとき、私は「場と自分とのつながりや、自分が展示やその場から何を受け取ったかがよくわかる成果ばかりだ」と感じた。それは、前回論じた「民具を捉える目」をグッズとして手渡すという発想が、制作の現場で自然に立ち上がっている状態でもあった。重要なのは、何を再現したか、どれだけ史実に忠実かという点ではない。適塾という場所に立って、自分は何に引っかかり、何を面白いと感じ、何を持ち帰ろうとしたのか。その受容の輪郭が、成果のかたちの大小にかかわらず、はっきりと伝わってきた。

そのとき私は、「ミュージアムグッズ開発は、自分が何を受け取ったかをどう表現するかということだ」と受講生に対してコメントした。ミュージアムグッズというと、展示内容をわかりやすく要約した商品や、記念品としてのモノを思い浮かべがちだ。しかし本来それは、展示や場を通じて生じた個人的な受容を、他者と共有可能なかたちへと翻訳する行為ではないだろうか。

そう考えると、今回の成果はすでにその「最初のステージ」に立っている。商品として完成しているのか、洗練されているのかはあまり問題ではない。適塾という歴史文化遺産と正面から向き合い、自分が何を受け取ったのかを自覚し、それを外に差し出そうとしている点にこそ価値がある。場と自分との関係性を引き受けたうえで表現するという姿勢は、ミュージアムグッズ的思考の核心に触れている。

適塾を素材にしたこれらの成果は、完成形を示すものではない。だが、歴史文化遺産を「知る」ことと、「自分のなかで受け取る」ことのあいだにある距離を、アートとグッズのあわいで探ろうとする試みとして、非常に示唆的だった。


「学芸員のおしごと展」を読む

大阪市立自然史博物館の第56回特別展「学芸員のおしごと ─集める・調べる・伝える─」は、博物館の活動を支える専門職の仕事を、工程ごとに分解し、丁寧に可視化する展示である。標本を集め、分類し、調査し、知見を蓄積し、それを社会に向けて伝える。その一連のプロセスが、研究資料や図版、解説を通して順序立てて示されていく構成は、きわめて教育的でわかりやすい。

印象的だったのは、その展示の最終章にミュージアムショップが位置づけられていた点だ。ショップは博物館の付随的な施設ではなく、「伝える」という仕事の延長線上に、明確に組み込まれている。解説パネルには、ミュージアムショップが来館者にとって、家に帰ってからも自然とのつながりをつくるための大切な窓口であることが示されている。ここでは、展示を見終えた後に何が残り、どのように日常へと接続されるのかが問われている。

展示されていたグッズは、図鑑や書籍、Tシャツ、湯呑み、缶バッジなど、博物館ショップとしては決して奇抜なものではない。しかし、それらは展示内容を単純に縮約した記念品ではなかった。自然史分野の知識は、一度見て理解し終えるものではない。名称や分類を知った後に、日常の風景が違って見えることではじめて、その知は生きたものになる。展示室で得た視点を、来館後の散歩や観察へと引き継ぐこと。そのための媒介として、ミュージアムグッズは位置づけられている。

その設計が、とりわけ明確に表われていたのが、同館のオリジナルグッズ「『貝千種(かいちぐさ)』風呂敷」だった。平瀬與一郎が刊行した多色木版の貝類図鑑『貝千種』に掲載された全400種の貝を、一枚の布の上に敷き詰め、種名・学名・産地を記した解説パンフレットまで付属する大判の風呂敷である。これは、いわゆる「かわいい貝柄」の雑貨というよりも、分類と観察の入口を、生活の手触りに変換した道具に近い。広げれば一面の図鑑になり、包めば持ち運べる標本箱のようにもなる。

この風呂敷はSNSでも話題となり、反響の大きさから館内ショップでの販売を優先し、オンライン販売を一時見合わせる対応が取られた。この需要の高さは、展示室の外へと視点が持ち出されていく回路を、グッズが実際に担っていたことを物語っているように思える。私自身も結局、オンラインショップで購入した。展示を見終えた後に「もう一度、あの見方に戻りたい」と思ったとき、展示室へ引き返す代わりに、布を広げる。ミュージアムグッズが体験を記念するのではなく、体験を再開させるものだとしたら、こうした形式はかなり強い。

自然史の知識を、展示室の外へと開くためのミュージアムグッズ(右は「貝千種」風呂敷と付属のパンフレット)。分類や名称といった専門的知識や学芸員の日ごろの取り組みが、手元で反芻される形式に落とし込まれている[筆者撮影]

ここで重要なのは、学芸員などの開発者が「何を伝えたいか」だけでなく、「来館者がどこに引っかかり、何を面白いと感じたのか」を先取りしすぎていない点だ。答えを与えるものではなく、展示体験の余韻を各自が延ばしていくための余白としてグッズは設計されている。自然史博物館という制度的に整理された知の場においても、最終的に手渡されるのは、来館者自身の関心や好奇心が動き続けるための小さなきっかけなのである。

この構成は、適塾を舞台とした成果発表展と対照的でありながら、同じ問いに向き合っているように思える。適塾では、個人が場から受け取ったものを、ある種未整理なまま外に差し出そうとしていた。一方、自然史博物館では、制度として蓄積された知識が、整理されたうえで来館者に委ねられている。その両者をつなぐのが、ミュージアムグッズという存在だ。

学芸員の仕事を紹介するこの展示は、ミュージアムショップを「出口」として据えることで、知識や視点が展示室の外へと開かれていく構造そのものを示していたように感じた。


「木へんTシャツ・湯のみ」の図版の校正に用いられたメモの展示も。「はくぶつかん おしごと すごろく」というイベントも実施されていた[筆者撮影]



受容を手渡すという営み

適塾を舞台とした成果発表展と、大阪市立自然史博物館の特別展「学芸員のおしごと」は、一見すると性格の異なる展示である。前者は、歴史文化遺産という場に立った個人の受容が表出されている場であり、後者は、学芸員という専門職が担ってきた知の蓄積と整理のプロセスを、制度として可視化する場である。しかし両者は、「場で受け取ったものを、どのように他者へ手渡すのか」という一点において、静かに重なっている。

ミュージアムグッズは、その重なり合う地点に立つ存在だ。展示内容を要約した商品でも、記念品としてのモノでもない。それは、場で生じた思考や感情、引っかかりを来館者自身が日常へと持ち帰り、もう一度考え直すための媒介である。適塾の成果に見られたのは、まさにその起点となる受容のかたちであり、自然史博物館のミュージアムショップに示されていたのは、それを社会に向けて持続可能な形にするための構造だった。

ミュージアムグッズをめぐる議論は、しばしば「売れるかどうか」や「教育的かどうか」といった評価軸に回収されがちである。しかし両展示を通して浮かび上がるのは、グッズが担っているのは評価や結論ではなく、むしろ思考を終わらせないための役割だということである。場で生じた問いを閉じず、個人の内側に留めず、次の時間、次の場所へと送り出す。そのための小さな装置として、ミュージアムグッズは機能している。

例えば、自然史博物館の「貝千種」風呂敷は、そのことをとても静かに示していた。展示室で獲得した視点を、家に帰ってからもう一度ひらくための布。壁に広げても、手元に畳んでも、観察の目だけが持ち越される。あれは知識の要約ではなく、「もう一度見てみよう」という姿勢そのものを手渡すグッズだったのだと思う。

民具であれ、歴史文化遺産であれ、自然史の標本であれ、ミュージアムグッズが手渡し得るのは対象そのものではなく、それをどう捉えるかという視点である。ミュージアムグッズとは「モノ」を売る仕組みではなく、「目」や「態度」を社会に差し出すための形式。アートと学問、個人と制度、体験と知識。そのあいだを往復しながら、受け取ったものをどう表現し、どう手渡すのかを問い続けること。そう考えると、その営みの先にはミュージアムグッズという存在が、静かに、しかし確かに立ち現われているように感じる。


参考資料

・「アート×学問」の未来デザイン 総合大学におけるコンバージェンス・アート新進芸術家等育成プログラム(主催:大阪大学中之島芸術センター):https://www.art.osaka-u.ac.jp/social_collaboration_program/adult_program
・大阪大学適塾記念センター:https://www.tekijuku.osaka-u.ac.jp/ja/



アート×学問の未来デザイン 成果発表展@適塾
(総合大学におけるコンバージェンス・アート新進芸術家等育成プログラム フィールド・フォーカス「歴史文化遺産」)

会期:2026年1月20日(火)〜2月8日(日)
会場:大阪大学適塾記念センター(大阪府大阪市北区中之島4-3-53)
公式サイト:https://x.com/Tekijuku_OsakaU/status/2010868685003767973


特別展「学芸員のおしごと ─集める・調べる・伝える─」
会期:2025年11月1日(土)〜2026年2月1日(日)
会場:大阪市立自然史博物館(大阪府大阪市東住吉区長居公園1-23)
公式サイト:https://omnh.jp/tokuten/2025oshigoto/