3月6日(金)、DNP銀座ビルにてartscape 30周年記念のトークイベントを開催しました。題して「1995 ⇄ 2025 ⇄ 2055 ── アートシーンとアートメディアの60年を考える」。登壇していただいたのは、現在、アーツカウンシル東京 事業部で「東京アートポイント計画」のディレクターや「クリエイティブ・ウェルビーイング・トーキョー」を担当する森司さん、そして、東京大学大学院総合文化研究科の准教授で、本サイトの「レビュー」欄で書評を担当し、30周年記念企画の特別編集委員も務める星野太さんです(司会はartscape編集部の福田幹)。

artscapeの黎明期から現在まで30年の歴史を振り返りながら、日本のアートシーンの移り変わり、アートの言葉とその変容について、そして、それらがartscapeで記録され、アーカイブされてきたことについて、お話しいただきました。

本稿は、約80分にわたるトークの内容を編集してレポートするものです。ぜひ末尾のリンク先の動画本編でお二人の対話をお聞きください。(artscape編集部)

artscapeの開設当時、森司さんは水戸芸術館の学芸員でした。同じとき星野さんは高校生で、椹木野衣さんがキュレーションされた「日本ゼロ年」(1999-2000)を見て衝撃を受け、それが現代美術の入口となったそうです。そして、実際にその展覧会を制作していたのが、なんと森さん。30年前はアートの送り手と受け手であったのが、いまは星野さんは書き手に。そんなお二人の知られざる邂逅が明らかになったところから、トークはスタートしました。

artscapeの黎明期

まずは、artscapeが生まれた当時のことを、森さんに思い出していただきました。森さんは、DNP(大日本印刷株式会社)がアートの専門家を招集して行なっていた「美術館メディア研究会」に参加していました。その流れから、artscapeの立ち上げに加わることになったそうです。1995年当時は、「ネットスケープ」というブラウザが登場したころで、ほとんどの美術館は自前のホームページをもっていませんでした。それどころか、ひとつのメールアドレスを学芸員みんなで共有していたような時代でした。当時『ぴあ』でアートの記事を書いていた村田真さん、デザイナーのトム・ヴィンセントさんと近藤一弥さんらと、部活のように集まり、インターネットという新しいメディアでなにができるかワクワクしながら構想を練っていたそうです。そうして、各地域の美術館の情報と人のネットワークが育まれる器ができていったのです。

森司氏

artscapeの独自性

90年代、インターネットは「発信する」メディアとして注目を浴びていました。そんなころに、artscapeはすでに「残していく」という意思をもっていたのでしょうか。30周年記念企画の「30年間のアーカイブを読み解く」の座談会でも話題になりました。しかし、その実態は……。森さんは、「いま起きていること、いま見たことを書いておこう」とブログを書くようなつもりだった、時間の蓄積がそれを「アーカイブ」にしてくれたんだと当時を振り返りました。星野さんは、90年代の情報が残っていない、まだ歴史化されていないような展覧会についてもartscapeで記事が残っていることに触れ、30年続いてきた「アーカイブ」としての存在感が現在いっそう増してきていると、評価してくださいました。

星野さんがartscapeをよく読むようになったのは、1999年に始まった「現代美術用語事典ver.1.0」がきっかけでした。書籍には載っていないような用語を調べるとき、このコーナーにいきあたっていたそうです。この用語事典が、artscapeを単なる情報サイトではなく、学生が論文を書くときに参考にするサイトという特異な存在にしたのだと森さんは指摘しました。そして、星野さん自身も2010年のver.2のときに執筆者に加わります。

「現代美術用語事典」はver. 1.0、2.0そして、「Artwords」へと、たびたびアップデートしています。新旧の本文は入れ替えるのではなく、そのまま並行して公開しています。そこから、同じ用語の解釈や定義が時代とともに変わったことがわかるのです。ウェブサイトの「上書き」ではなく、書物の「版」が残っている、と星野さんは考えます。

星野太氏

初期の頃から全国の学芸員が書くコーナーがありました。森さんは、当時は企画展の数が少なく、学芸員が書く機会も少なかったことに触れました。artscapeは最初期から、学芸員の方たちとは書き手としてつきあってきたのです。森さんからは「キュレーターズノート」の読み手は学芸員で、同業者への目線をすごく意識した書きっぷりが楽しいと語りました。

そして、森さんはこの30年間のアートシーンにおける仕事の変化について示唆しました。美術館には最初に学芸員がいて、そのあと教育普及のスタッフが入ってきます。そしていまはインクルージョンやアクセシビリティを担当する人が注目されています。

ここ数年、artscapeでは「スタッフエントランスから入るミュージアム」で、学芸員以外の職業も積極的に紹介しています。星野さんの30周年記念企画でも、登場したのは学芸員ではなく、アートシーンのインフラを支えるような仕事に携わる人たちでした。artscapeは構造的なアートシーンを扱っていると考えたからだそうです。

森さんは、artscapeが現場の変化をキャッチアップしているのは、学芸員とまめに情報のやりとりをしている、編集部が現場に近いからだと分析します。そして、全国に増えてきているアーツカウンシルは美術館とは異なる性質をもつので、そこでプログラムマネジメントをしているような人も取り上げてほしいと望みます。artscapeは、これからも現場を裏方のように支える人の声を聞いていきたいと思っています。

また、artscapeが取り扱っているジャンルについても、レビュアーのひとりでもある星野さんから指摘がありました。アートだけではなく、写真、建築、パフォーマンス、デザイン、映像、書籍などかなり広いジャンルにまたがっていること。書く対象はレビュアーに任せている、その自由さは貴重であると。artscapeは、そのことが結果的にいいテキスト、批評を生むのだと思っています。

これからのartscape

昨今、ウェブ環境は刺激的な見出しや画像によるアテンションエコノミーに覆われていますが、artscapeの記事はその動向とは異なって、淡々とその時その時に記録すべきことが残されています。結果的にそれがウェブサイトやアーカイブへの信頼につながっているのだと、星野さんは言います。DNPがメセナとしてやっている安定感、それは守るべき資産であると。また、artscapeは90年代から日本のアートシーンというドメスティックな情報に重心を置いていることに希少性があるとも指摘しました。

森さんは、アートを語る言葉が本当に必要な時代になっている、それもひとつの正しい解釈ではなく、複数の正解があること、それを表わし続けていくことがartscapeのミッションだという言葉を残し、本会は閉じました。

これからはじまる新しい30年、読者のみなさま、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

artscape 30周年記念トークイベント 「1995 ←→ 2025 ←→ 2055 ── アートシーンとアートメディアの60年を考える」