会期:
2026/02/27〜2026/03/15[アデレード・フェスティバル]
2026/02/20〜2026/03/22[アデレード・フリンジ]
会場:アデレード近郊[オーストラリア]
公式サイト:
https://www.adelaidefestival.com.au/[アデレード・フェスティバル]
https://adelaidefringe.com.au/[アデレード・フリンジ]

[アデレード視察レポート]
①:フェスティバルとフリンジ(2026年3月26日公開)
②:観劇プログラムを概観する(2026年3月27日公開)


ここではアデレード・フリンジで観劇したプログラムのうち、何らかのかたちでLGBTQに関連するものを振り返りたい。全14プログラムの内訳は演劇3プログラム、ダンス1プログラム、サーカス3プログラム、キャバレー4プログラム、バラエティ2プログラム、美術1プログラムとなっている。一応のところ公式のジャンルごとに示しはしたものの、例えば「サーカス/キャバレー」と「キャバレー/サーカス」の両方があることからもわかるように、少なくともアデレード・フリンジでは、サーカスとキャバレーの違いはそれほど明確ではない。プログラムの内容を元に私なりに振り分け直せば、演劇4プログラム、ダンス1プログラム、サーカス系6プログラム、ドラァグショー2プログラム、美術1プログラムといったところだろうか。この分類に合わせて改めてプログラムの一覧を示しておこう。

『Otto』(演劇)
『Takatāpui』(演劇)
『My Grandpa Doesn’t Follow Me On Instagram: A Guide To Trans-generational Road-Tripping』(演劇)
『F.A.A.G: Footballers Are A Godsend』(演劇)
『Embers』(ダンス)
『You & I』(サーカス)
『Primal』(サーカス)
『Haus of Yolo』(サーカス)
『Bernie Dieter’s Club Kabarett』(サーカス)
『Wonderfully Terrible Things』(サーカス)
『Shake It』(サーカス)
『Gogo Bumtime』(ドラァグショー)
『Tash York’s Chaos Cabaret』(ドラァグショー)
『Nan Goldin: The ballad of sexual dependency』(美術)

演劇が少なめ、あるいはサーカス系が多めになっているのにはいくつか理由がある。まず第一にアデレードはサーカスが盛んであり、そもそもサーカス系のプログラム数が多いということ。全体の30%ほどだろうか。サーカス系のプログラムにはクィアな出演者が含まれていることも多い。一方、戯曲ベースのいわゆる演劇作品は全体の10%ほど。しかも、会場ごとにプログラムの傾向が決まっているのだが、例えば隣接し合う二つのメイン会場GardenとGluttonyは基本的にエンタメ系の会場であり、演劇の公演会場はそこからはやや離れた場所にあることが多いのだ。なるべく多くのプログラムを観ようとすると、演劇はスケジュールに組み込みづらいということになる。

私の興味関心からは外れるので今回はほぼ観劇しなかったが、ジャンルとしてはコメディも全体の30%ほどを占めていて、LGBTQ関連のプログラムも多数含まれている。日本ではあまり馴染みのないジャンルだが、LGBTQによるスタンダップコメディは英語圏を中心にひとつのジャンルとして確立しているのだ。例えばNetflixで『ハンナ・ギャズビーのナネット』など複数のプログラムが配信されているハンナ・ギャズビーも、2006年のアデレード・フリンジの新人賞でプロとしてのキャリアをスタートしたのだった(ちなみにNetflixではほかにも『アウトスタンディング: コメディ・レボリューション』など多数のLGBTQスタンダップコメディのプログラムが配信されている)。

こうして見ていくと、アーティストが自身のプログラムをどのジャンルとして提示するかは、形式の問題であると同時にプレゼンテーションの戦略の問題でもあると言えそうだ。例えば、語りと歌による一人芝居『F.A.A.G: Footballers Are A Godsend』は演劇と言ってしまっても差し支えない形式だが、実際には「キャバレー/コメディ」として登録されていた。これはおそらくひとつにはエンタメ系のGluttonyで上演するための戦略であり、より広い観客層に届くジャンルとして提示する必要があったからだろう。また一方では、スタンダップやキャバレーの文脈でキャリアを築いていこうというアーティストの志向をそこに読み取ることも可能だろう。

実際のところ、どのジャンルを標榜しているかはひとまず置くとしても、ハンナ・ギャズビー的なソロパフォーマンスはそれこそ無数に上演されていて、今回観劇した演劇4プログラムのうち3プログラムがパフォーマー自身のLGBTQとしてのアイデンティティに基づく一人芝居であった。『F.A.A.G: Footballers Are A Godsend』はゲイの元フットボール選手、『Takatāpui』はシェイプシフターの先住民、『My Grandpa 〜』は性別移行のプロセスの最中にあるトランスジェンダー女性によるパフォーマンスと、パフォーマーのアイデンティティも「多様」だ。これは私がなるべくさまざまなタイプの作品を観たいと思って選択した結果ではあるものの、そもそもこの手のソロパフォーマンスのシーン自体が多様性の見本市の様相を呈しているということでもある。シーンは市場と言い換えてもいい。やや乱暴な言い方をすれば、単にLGBTQであるというだけでは作品のフックとしては十分ではないのだ。だから、LGBTQのスポーツ選手、先住民、移民など、複数のアイデンティティの交差が作品の売りとして提示されることになる。


『Primal』宣伝ビジュアル[筆者撮影]


『Primal』の一幕[筆者撮影]

このような状況は、オーストラリアの社会のあり様の反映でもあるだろう。オーストラリアでは性的指向や性自認に基づいて差別することは違法とされており、2017年には同性婚も法制化されている。まだまだ改善されるべき点はあるにせよ、LGBTQであるということはそれだけでは特別な「問題」となるようなことではなく、言ってしまえばある程度まで「普通」のことなのだ。だからこそ、次の段階として例えばスポーツ選手の、先住民の、移民のLGBTQといったより個別の声に耳を傾け、その「問題」に目を向けることが可能になるのだろう。

実は、アデレード・フリンジには「LGBTQIA+」というサブジャンルもあるのだが、それを選択しているプログラムはほとんどない。なかにはLGBTQに関連する内容であるということ自体が概要に書かれていないプログラムさえある。初めはそのことに戸惑ったのだが、それがことさらに書くべきことだと認識されていないがゆえのことだと気づいたとき、私は彼我の社会状況の落差に呆然としてしまったのだった。日本では未だに、確かにそこにいる人々があまりにしばしばいないことにされているのに対して、オーストラリアでは、そこにいることが当たり前であるがゆえにことさらに言及されないのである。


『Bernie Dieter’s Club Kabarett』の一幕[筆者撮影]



Bernie Dieter[筆者撮影]

★──アイデンティティを固定されたものではなく状況や関係性によって変化するものと捉えるあり方を示す言葉。タイトルのTakatāpuiはニュージーランドのマオリ社会に見られる同様のアイデンティティ概念。


(アデレード視察レポート④「LGBTQ関連プログラムから考える(後編)」へ)
※4月14日公開予定

滞在期間:2026/02/28(土)〜03/06(金)