「絵画はイリュージョンである」という定言命題はいつ頃確立されたものなのだろうか。従来「幻影」や「錯覚」という訳語に対応するこの概念は、複数の批評家が好んでこの用語を用いたフォーマリズム批評の専有物とみなされてきた。しかし、絵画が「錯覚」や「錯視」の効果をもたらすメディアであることは、古くは古代のモザイク画によっても知られているし、17世紀のオランダにおける「ヒープショー・ボックス」の発明や、同時期の風景画の発展も、明らかにイリュージョンとの並行関係にある。そもそも、「描かれたキャンヴァスの上と、観者の網膜の上とに二重に生じる偽の知覚」とされるイリュージョンの在り方は、遠近法や明暗法によってもたらされた三次元的な奥行きとも密接に対応している半面、認知心理学の立場からの検証をも要請するものであり、その概念の射程は到底批評の一流派へと限定されるものではない。にもかかわらず、イリュージョンが依然としてフォーマリズム批評との兼ね合いで語られることが多いのは、それが抽象表現主義との並行関係で強調されるようになった経緯が大きく関与している。だが、抽象表現主義が目指したイリュージョンの排除は、その後のミニマリズムの実現を経ても完全に実現されたとは言えない。ミニマリズムの極北と言うべきD・ジャッドのスペシフィック・オブジェクトも、決してその例外ではない。
(暮沢剛巳)
関連URL
●D・ジャッド http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/nmp_j/people/d-judd.html
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