1986年12月9日から翌年3月2日まで、パリのポンピドゥー・センターで開催された。総合コミッショナーはマルセイユの総美術館館長(展覧会準備中にポンピドゥー・センターから異動)ジェルマン・ヴィアットと美術史家高階秀爾だった。美術、写真、映像、建築、工芸、デザイン、ファッションなどの日本における1910年から1970年までの歴史的展開を、700点以上の作品、資料によって提示したが、焦点は現代美術にあった。この展覧会のカタログには、吉本隆明をはじめとする36人の論客が寄稿していて、日本の20世紀前衛芸術研究には欠かせないものとなっている。
とりわけ、戦前と戦後の前衛芸術の連続性と断絶を一望できたのは意義深いことである。萬鉄五郎の《裸体美人》(1912)ではじまる戦前の歴史は、フォーヴィズム以降の芸術運動の変遷を受容する歴史だが、戦後は身体を核にしながら独自の流れを形成する。戦後は《浴室》(1953-54)シリーズなどの河原温のドローイング、具体、アンフォルメル、反芸術、もの派を中心に構成された。この美術史観はその後の「戦後日本の前衛美術」展に引き継がれた。またハプニングなどに顕著に見られる、当時の挑戦的かつその場的ともいえる風潮を再現するのに、ヴィデオ映像と再制作を多用したのもこの展覧会の特徴だろう。再制作の例には田中敦子の《電気服》(1956)がある。
(三上真理子)
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