「反芸術」「反東京」の前衛運動を行なった九州の美術家集団。会費によって運営されたリーダーをもたない民主主義的な組織。主にオチ・オサム、桜井孝身、菊畑茂久馬、山内重太郎、石橋泰幸、田部光子らの名が挙げられるが、メンバーの多くは流動的であった。1975年9月より機関誌『九州派』を刊行。期間は菊畑によれば、「1957年、旧福岡県庁横の街頭展を走りぞめに、1962年、百道海水浴場の〈英雄たちの大集会〉までわずか5年」(『反芸術綺談』海鳥社、1986)。しかしその後も元メンバーのほとんどが盛んに活動を続けており、88年に行なわれた福岡市美術館での回顧展では68年が終焉時とされている。初期の活動はアンフォルメル絵画やオブジェが中心で、次第にインスタレーションやパフォーマンスに向かった。純粋に造形的なものから、性、宗教、政治といった問題に関わるものまで、関心は幅広い。60年前後はネオ・ダダや具体美術協会のみならず日本各地でも前衛運動が展開されたが、九州派はその行動力と、実験性と土俗性との両面を備えているという点で、同時代の前衛美術集団と一線を画している。ただしこの両面性は矛盾をはらむものでもあり、福岡を拠点にしながら「東京への殴り込み」と銘打って主要な展覧会は東京で行なったという東京志向性も否定できない。
(垣田有香)
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