「多文化主義」。1990年代に入るや否や訪れた50年近くに及ぶ米ソ冷戦構造の崩壊は、従来の西洋中心主義的な価値観の大幅な更新を迫ることとなった。現代美術の場合、それはモダニズム芸術観の克服というかたちで顕在化し、以後、「ヴェネツィア・ビエンナーレ」や「ドクメンタ」などの国際展で、多くの第三世界出身の作家が高い評価を受ける契機となったのである。現代美術のメイン・ストリームといえば、それ以前には、J=M・バスキアらの僅かな例外を除き、大半が西洋出身作家によって占められていたのだから、この転換は画期的なものであった。現在のところ、美術における「マルチカルチュラリズム」の先鞭は、1989年にポンピドゥー文化センターで開催された「大地の魔術師たち」展で付けられたとするのが定説である。作家の国籍や民族を問わず、一切の出品作品を現代美術として相対化しようとするその視点は、多くの批判があったとはいえ紛れもなく先駆的なものだった。もちろん、相対化を意図しつつも、フランス人である企画者J=H・マルタンが自らの主体性はしっかりと確保しようとしていた、という批判は大いに当たっている。日本におけるアジア美術の例を出すまでもなく、「マルチカルチュラリズム」の問題は、その立場を唱える者の位置を必然的に問うことで、「ポストコロニアリズム」とも密接な並行関係を形成しているのである。
(暮沢剛巳)
関連URL
●J=M・バスキア http://www.emory.edu/ENGLISH/Bahri/Basquiat.html
|