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キャバレー・ヴォルテール

Cabaret Voltaire(仏)
更新日
2024年03月11日

第一次大戦時に亡命知識人の受け皿となったスイス・チューリヒに集まった芸術家たちの活動拠点として、1916年2月5日に作家・詩人のフーゴ・バルとパートナーで詩人のエミー・ヘニングスが開いたキャバレー。「ダダ」の発生源となった。キャバレーの名は、フランスの啓蒙思想家ヴォルテールに由来する。彼らのほか、トリスタン・ツァラ、ハンス(ジャン)・アルプ、マルセル・ヤンコらがキャバレーの活動に参加した。音楽の演奏、パフォーマンス、詩の朗読、美術作品の展示などのさまざまな催しが入り乱れ、対戦下の抑圧的な雰囲気のなかで、ヨーロッパの伝統的な文化・文明を逆なでするような反知性的、反道徳的な催しが展開された。音声メディアと視覚表現とが混合する状態は、当時バルが関心を寄せていたカンディンスキーが理論や実作で探求していた諸感覚の統合や共感覚性を具体的な舞台空間のなかに導入するものでもあった。当初バルは演奏や朗踊を主とした、伝統的な演芸場に基づいた文学キャバレーを構想しており、「ヴァラエティー・ショー」ないし「芸術的エンターテインメント」のような快活で祝祭的な催しを行なうことを考えていたが、キャバレーの活動は次第にダダの主導者であるツァラの影響を受け、過激さを増していった。

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参考文献

Dada East: The Romanians of Cabaret Voltaire,Tom Sandqvist,MIT Press,2006