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グラン・ギニョル

Grand Guignol(仏)
更新日
2024年03月11日

1897年に劇作家のオスカー・メテニエが、当時流行していた自然主義演劇のための場としてパリのシャプタル街に設立した劇場の名称。「グラン・ギニョル」とは大きな指人形という意味だが、上演される舞台は人形劇ではなく役者たちの芝居で構成されていた。猟奇・残酷劇を得意としたため「グラン・ギニョル的」とはそうした演劇あるいはセンスを指す言葉となった。二つの世界大戦の間に人気となるものの、第二次世界大戦後には映画に観客を奪われるかたちでブームも下火になり、1962年に閉館した。劇場では毎回、6-7本の短編劇が上演され、暗い劇と楽しい劇とが交互に演じられるプログラムとなっていた。物語が冗漫に語られることはなく筋立ては簡潔で、恐怖を煽ることを目的とした「効果の演劇」といってよい。自然主義演劇の流れを汲んでおり、現実社会を告発するような視点を持ちつつも、他方では精神病院の狂人などに光を当てることで、非現実的で、特異な世界へ向けた興味やそうした世界を味わう趣向に焦点が絞られていた。例えば、拷問や殺人や自殺などがお決まりの様式的な演出のもとで舞台で演じられた。また、囚われた裸体の女、顔に硫酸をかけられた男などが登場し、恐怖を演出する。マックス・モーレーやアンドレ・ド・ロルドといった劇作家が劇場の最盛期を彩った。60年のフランス映画『顔のない眼』(ジョルジュ・フランジュ監督)は劇場最後の年の最後のプログラムにおいて舞台化された作品であり、グラン・ギニョル劇場での作品の雰囲気をもっともよく伝えるものである。

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参考文献

『グラン=ギニョル 恐怖の劇場』,フランソワ・リヴィエール、ガブリエル・ヴィトコップ(梁木靖弘訳),未来社,1989