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職場美術(職美、職美協)

Shokuba Bijutsu(Shokubi, Shokubikyou)
更新日
2024年03月11日

終戦直後の文化サークル運動のなかで発生した、労働者による美術活動の全国組織の略称。職美または職美協とも呼ばれる。現在も存続。その前身は、1946年秋の「十月闘争」と呼ばれる諸労働組合の賃金闘争において、宣伝活動のために組織された「闘争美術班」であったとされる。47年3月に東京職場美術協議会として結成し、後に正式名称を全日本職場美術協議会と改称した。結成当初の加盟組織は、東芝、日立、東宝などの大企業が中心であったが、中小企業の人々のための美術研究所(1948-62)を戸塚に設立するなどして幅広い全国の労働者の美術サークルを取り込んだ。活動としては、東京都美術館で毎年「職美展」を開催したほか、地方美術サークルへの巡回展、プロの美術家を招いての技術指導、批評家を招いての講演会などを、60年代頃まで各地で行なっていた。機関誌『職場美術』を発行。地方の美術サークルでは、北海道の美唄炭鉱の労働者が《習作 人民裁判事件記録画》(1950)を共同制作したことが知られる。それらは確かに各地の労働者の自発的な美術活動でもあったが、一方で、全国的な労働組合や日本美術会の後援を受けていたため日本共産党の文化運動のひとつであったと見なすこともできる。特に職場美術では初期に明るく健康的なリアリズムが推奨されたように、戦前のプロレタリア美術運動における大衆啓蒙的な性格を引き継ぐものであったし、プロパガンダという点でそれは戦争画の裏返しでもあったといえる。

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補足情報

参考文献

『美術グラフ』15巻8号,「全日本職場美術協議会」,高田修,日本美術出版,1966
「‘文化’資源としての〈炭鉱〉」展カタログ,目黒区美術館,2009
『職美協の歩み 結成から60年(1947年〜2006年)』,全日本職場美術協議会,2007