戦後日本の現代美術批評
- Contemporary Art Criticism in Japan
- 更新日
- 2024年03月11日
戦後日本の美術批評は、雑誌『美術批評』から始まった。同誌を舞台に、針生一郎、東野芳明、中原佑介、瀬木慎一らが盛んに執筆したが、彼らの美術批評は戦前からの名人芸的印象批評や職人的技術批評とは明確に断絶していた。それらは美学の政治化(針生)、欧米の最新情報の導入(東野)、科学的な論理性(中原)など、それまでは見出し得なかった原理に基づいていたからだ。50年代における雑誌『美術批評』は戦後の美術批評の基礎を築いた。だが、絵画や彫刻の概念が「反芸術」のなかに融解していった60年代になると、その混乱のなかで宮川淳や石子順造が登場し、それぞれ視点と方法論が異なるにせよ、ともに現代美術の根底にある「近代」概念の超克を目指した。70年代の美術批評を席巻したのは藤枝晃雄である。クレメント・グリーンバーグによる批評理論に基づきながら、藤枝はフォーマリズム批評ないしは作品批評を確立し、大きな影響力を発揮した。しかし、藤枝の原理的な批評は80年代のニューウェイブには対応せず、状況と原理が乖離していくにつれて批評の前線から徐々に退いていった。代わって登場したのが、ポストモダン美学を背景にした椹木野衣である。90年代前半におけるシミュレーショニズムの紹介にはじまり、90年代後半における『日本・現代・美術』における戦後美術史の再検証、2000年代のスーパーフラットの理論的な擁護など、椹木の美術批評は「J回帰」と言われる状況の変化とつねに同伴していた。そして2010年代の美術批評は、椹木の状況主義的な路線を拡張するか、あるいは逆に原理的な美術批評に回帰するか、いずれかに大別されている。
補足情報
参考文献
『美術批評』1952年10月号,「ROUND TABLE 批評家と批評」,美術出版社
『美術手帖』1972年1月号,「戦後美術批評の成立と展開」,東野芳明、中原佑介、針生一郎、彦坂尚嘉,美術出版社
『美術手帖』1978年8月臨時増刊号,「戦後美術批評の確立」,彦坂尚嘉,美術出版社
『日本・現代・美術』,椹木野衣,新潮社,1999
『シミュレーショニズム ハウス・ミュージックと盗用芸術』,椹木野衣,洋泉社,1991