ナチス芸術
- Art of the Third Reich(英), Kunst im Nationalsozialismus(独)
- 更新日
- 2024年03月11日
ナチスによる芸術統制において賛美された写実的で古典主義的な芸術。1930年代にヨーロッパで隆盛していた抽象美術や表現主義、バウハウスなどを「退廃芸術」と称し弾圧したナチス・ドイツは、新しいドイツを実現するために「血と土」「アーリア人第一主義」「反ユダヤ主義」のイデオロギーを体現する純正ドイツ芸術を民衆に推奨した。「退廃芸術」を国民に知らしめる展覧会を各地で開催すると同時に、これらナチス芸術の展覧会も巡回し、37年にミュンヘンの古代ギリシャ風建築である「ドイツ芸術の家(ハウス・デア・ドイチェン・クンスト)」が完成すると、44年まで毎年「大ドイツ芸術」展を開催することになる。展示作品は牧歌的な風景画、大家族や農村の労働を描いた風俗画、優美で健康的な裸体画、記念碑的な巨大彫刻などで、前時代的な古典主義的写実ばかりであった。それまであまり知られていなかったアドルフ・ツィーグラーなどはドイツ精神を代表する画家として急激にもてはやされ、ナチス政権下の帝国造形美術院の指導者となるなど、ドイツ美術界の価値観は根底から揺らいだ。音楽においても、ジャズが徹底的に弾圧された一方、軍楽隊やヒトラーの意向を取り入れて演出されたオペラを上演する音楽祭がたびたび催されている。ナチスのプロパガンダという側面に加え、ヒトラー自身が印象派以降の美術を理解せず嫌悪していたことなどもあり、わかりやすく陳腐な古典主義芸術が賞賛された。一方で破壊された近代美術の損失は計り知れず、55年の第1回ドクメンタはモダン・アートの名誉回復をテーマに、「退廃芸術」との烙印を押された芸術家たちの回顧展で幕を開けるなど、戦後ドイツはイメージ回復と文化的復権に尽力する。
補足情報
参考文献
『ヒトラーと退廃芸術 「退廃芸術展」と「大ドイツ芸術展」』,関楠生,河出書房新社,1992
「芸術の危機 ヒトラーと退廃美術」展カタログ,神奈川県立近代美術館ほか編,アイメックス・ファインアート,1995